62.まねきババア②(怖さレベル:★☆☆)


そして、その日の午後。


ぐったりと疲れた身体を引きずりつつ、

あたしはタイムカードを押しました。


「お疲れー、染谷さん」

「あ、お疲れ様です……」

「ねっ、スゴかったでしょ」

「は、はい……」


羽田さんに苦笑交じりに声を掛けられ、私は頷くほかありません。


特売チラシが入っていただとか、

タイムセールがあっただとかいうことは一切ないというのに、

レジに並ぶ客はいっさい途切れることはありませんでした。


「いや~、給料が時給制の私たちにはなんのメリットもないけど、

 店にとっちゃ大助かりよねー。

 だからまねきバアさんなんて言われてるわけだけど」


そんな風に言いつつ帰り支度をする彼女に、

あたしはどうしても気になって尋ねました。


「まねきバアさんって……人間、なんですか」

「さァ? 店長なら知ってるかもね」


ケラケラと屈託なく笑いつつ、

羽田さんはそれ以上の追及を逃れるかのように、

そそくさと帰宅していきました。


(まねきバアさん……まねきババア、かぁ……)


妙なジンクスがあるものだなぁ、

とその日はただただ感心するしかありませんでした。




「新しく入りました、飯野塚です。よろしくお願いします」


ようやくスーパーに勤め続けて一か月もした頃、新人が入ってきました。


彼女は勝気なまなざしの少々派手めな女性で、

若干口調はキツいものの物覚えが良く、

かなり早い段階からいろいろな仕事を任されるようになっていました。


(仕事ができる人っていうのは、なんでもそつなくこなすねぇ)


あたしは自分より後に入ってきたにも関わらず、

すでにベテランのように客をさばく姿に感心しつつも、

彼女とはシフト時間が見事にズレていた為、

ほとんど接点らしい接点を持つことはありませんでした。


そんなこんなで、あたしは彼女の評判も知らず、

ただただ働き者だなぁ、くらいの印象だけを持っていました。




と、そんなある日のことです。


あたしはいつも通り、少し早めに家を出て、

自転車置き場にやってきていました。


財布と携帯だけが入ったカバンを抱え、

もはや習慣となっている朝のまねきババアの有無を

チェックをしようとして――目を見張りました。


「え、ち、ちょっと……飯野塚さん!?」


珍しく早番のシフトだった彼女が、

スーパーの入り口のところに居たまねきババア相手に、

何ごとかを怒鳴りつけていたのです。


「ここ、お婆さんの家じゃないですよ! 邪魔してないで帰ってください!」

「…………」

「聞こえてないんですか!? 警察呼んで引き取って貰いますよ!」


ヒートアップしていく彼女の声に、

あたしはカバンを放り投げて慌てて止めに入ります。


「い、飯野塚さん、ちょっと!」

「あ……パートの。あなたも言ってやってくれません!? 迷惑だって」


不機嫌さを隠しもせず、彼女はイライラと足を踏み鳴らします。


「だ、ダメですって! まねきバアさんの話、

 他の皆さんから聞いてないんですか!?」


そう、このまねきババアと呼ばれるお婆さん。


このスーパーに富をもたらす福の神――なのですが、

ゼッタイに声をかけてはいけない、というルールが存在したのです。


あたしも、何度かこの老婆を見かけて、気にかかっていたものの、

同じパートの方たちに、キツくそう言い聞かされていました。


その理由に関しては、

「ま、変人には関わらない方が良い、ってコトよ」

と曖昧な返答ではあったものの、

そうすることが暗黙の了解となっていたはずなのに。


「あー……まぁ、聞いてますけど。

 でもこんなトコにいられちゃ迷惑でしょ?

 そんな迷信、みんな信じちゃってバカバカしい」


彼女は元来の性格ゆえか、それとも入ったばかりで

まねきババアの影響を実感していないのか、

あたしの慌てっぷりを鼻で一蹴しました。


「でもこの人、さっきから何の反応もないんですよ。

 だから、あなたもちょっと言ってやってくれませ……ん?」


彼女が、小馬鹿にした表情で老婆に向き直った、その瞬間でした。


フッ


その老婆は、あたしたちの前で、

まるで蜃気楼のように一瞬で姿を消してしまったんです。


「えっ……」

「あら、どっか逃げたのかしら。まったく」


しかし、彼女はちょうど見逃したのか、

尻尾を巻いて逃げ去ったとしか思っていないようでした。


そんな彼女に、ただでさえ見下されているらしい身分で意見することも出来ず、

プンスカと未だ怒りの収まらぬ様子で肩をいからせている飯野塚さんに、

ただただ苦笑いを向けることしかできませんでした。




「……うーん」


その日の仕事が終わった後。


普段であれば大勢の客の訪れる、

まねきババアの現れる日、だったのですが。


その日は、別段普通の日と変わらない客入りです。

むしろ、若干来客が少ないかな、と思うほどの。


(これ……やっぱり、飯野塚さんがまねきババアを追っ払ったから……?)


今までの流れからしても、十中八九間違いないでしょう。


あたしがここに勤め始めて二か月。


まねきババアを見た回数は今日で四回目ですが、

それまでの三回は、皆総じてバタバタと客が入っていたのですから。


(何者なんだか……)


目の前で、パッと魔法のように消え去った老婆。

やはり、只の人間ではないのでしょう。


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