7.夜の散歩(怖さレベル:★★☆)

(怖さレベル:★★☆:ふつうに怖い話)


私、夜の散歩が好きだったんです。


涼しい風に吹かれて、

なんの音楽もかけず、自然の音だけを聞きながら、

昼間とは違う、

電灯と星空だけで照らされる河川敷を、

毎日夕食の後に散歩する。


それが私の日課でした。


同居していた親には、

女の夜の一人散歩なんて危ないからやめろと

反対されていたのですが、

そこはもう社会人になったのだからと押し切っていました。


なにせ、

幼い頃からずっと育ってきた場所です。


その河川敷周辺だって、

親しみを感じこそすれ、

怖いなどとは思ったこともありませんでしたから。


星空の下をのんびりと歩くことは、

私にとって唯一といっていいほどの

ストレス解消法となっていました。


そう、それができなくなったのは、

肌寒くなってきた秋の中頃のできごとのせいでした。


秋の夜は日中と違い、

厚手の上着がないととても耐えられません。


薄いストールを首に巻き、小銭の入った財布とスマホを

ウエストポーチに収め、近くの河川敷へと足を運びました。


市内有数の広い幅のある川の横には、

公園やサッカーグラウンドが併設されています。


また、川を渡った反対側には県道も通っていたために、

土手の上にかなり長い遊歩道がありました。


朝や昼には犬の散歩やマラソンランナーが多数通行するそこは、

夜の九時も過ぎればロクに人影もありません。


さわさわとほのかに吹く風が、

枯れかけた彼岸花をチロチロと揺らしています。


秋の虫たちの声も、

冷え始めた夜気をそっと彩っていました。


そんな静かな夜の遊歩道を、

上機嫌で歩いていたその時です。


向こうの方から、

歩いてくる人影がありました。


まだらに点在する街灯に照らされてはおりますが、

かなり距離があいているので顔は見えません。


ですが、その長髪と体つきから、

女性であることは一目でわかりました。


「……えっ」


しかし、その服装に目をやって、

思わず息を飲みました。


その、長い髪を風に流したその女性は、

闇に溶けるような真っ黒な喪服に身を包んでいたのです。


こんな河原の土手の道に、

喪服姿で散歩するなど常識では考えられません。


私の脳裏に浮かんだのは、

”かかわってはいけない”という言葉でした。


どう見ても、

普通の人ではありえません。


下手に気づかれて絡まれては面倒だと、

私はそっと踵を返し、

来た道を戻ることにしました。


相変わらず、夜の河川敷は虫の声と、

遠くに走る車のエンジン音くらいしか

物音がありません。


心細く思いながら、

速足で歩を進めていると、


――ブン。


進行方向にあった街灯が、

一瞬、

プツンと光を失いました。


そして次の刹那、

明かりの戻った蛍光灯に照らされたもの。


それは、さきほど反対方向でみたはずの、

あの喪服姿の女であったのです。


(うそ、どうして)


どう考えてもあり得ません。


土手をおりて全力で走ったとしても、

こんな短時間で反対側へ回り込めるわけがないのです。


さらに悪いことに、彼女は

さっき目にした時よりも、

かなり近づいてきていたのです。


「え……」


そう、近づいてきているのです。


あの女性の足は、

まったく動いていないのに。


「ひ、ひぃ……っ」


照明に照らされ、真っ黒に陰った顔は、

どんな表情をしているのかもわかりません。


ただユラユラと揺らぐ長髪が、

この世のものとは思えない不気味さで宙を泳いでいます。


「い、いやあっ!」


もう、なりふり構ってはいられません。


真正面にはその化け物がいて、

後ろを振り向くのも恐ろしい。


となれば、

私のとる手段はひとつでした。


ガサガサガサッ


土手横の草むらをかき分けて、

無理やり車道の方へと駆け下りました。


服にも靴にも土と草がへばりつきましたが、

気にしてなんかいられません。


とにかく人のいるところへ、

と近くの交差点にあるコンビニへ駆け込んだのです。


「お……お客さん、大丈夫ですか」


すさまじい形相で飛び込んできたこちらを見て、

店員は引き気味で尋ねてきます。


「え……いえ……すみません」


言いつつ、人と会えたことにホッとして、

ボロボロと涙をこぼしながら

その場にしゃがみこんでしまいました。


困惑する店員に、不審者に追いかけられたと説明し、

親が迎えに来るまで店内で待たせてもらえることになりました。


従業員用の休憩室をお借りしつつ、

申し訳なさで縮こまりながらボウっと親を待っていると、

ガーッとコンビニの入り口が開きました。


私はなんの気なしに、

休憩室に備え付けられている

店内の監視カメラに目をやったのです。


「いらっしゃいませー」


店員が気の抜けたような決まり台詞をかけるその先。


映された人物に、

全身の血が凍りました。


――あの、女です。


黒く長い髪、

漆黒の喪服。


あの時はなかった深々と被られた帽子で、

その表情は見えません。


その女性はやはり、スーッと足を動かさず、

ゆっくりと店内を回り始めました。


コンビニの店員は、その異常さに気づいていないのか、

つまらなそうな顔で棚の商品を整えています。


その背をするりと女性が通っても、

まるで気にならぬように値札を並べていました。


私は声を出すこともできず、

金縛りにでもあったかのように、

ガチガチに身体を固めてその光景を見つめていました。


女性は狭いコンビニ内を回り終えると、

商品を手にとることもなく、

スーッと出入口の扉を透かして外へ出ていきました。


「え……透け……?」


私は、そこでようやくやはりアレは人間ではなかったのだと、

確信を持ち、肝の冷える思いを味わいました。


コンビニの店員は、休憩室でコチコチになって

監視カメラを凝視する私を見て驚いていましたけれど、

迎えに来た親には、いわんこっちゃないとばかりに叱られ、

夜の散歩は禁止させられました。


いえ、禁止されるまでもなく、

もう夜間の道を歩きたいなんて思えません。


あの喪服の女性。


コンビニに来た彼女は、

買い物をするためにあそこへ来たわけではないのでしょう。


あの監視カメラを通し、

彼女の陰った口元が動いているのがよく見えたのです。


その口は、


”つれていく、つれていく”


と執拗に繰り返しているように見えました。


彼女は私を、

いったいどこへつれていくつもりだったのでしょう。


あの河川敷の遊歩道は、

今は昼間でも通ることができません。

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