5.背中を向けた女②(怖さレベル:★★☆)


あの調子ではまだサウナから出てはこないと思ったのですが、

万が一見つかってまた絡まれるなど御免でしたから。


幸い、周囲は家族連れで埋まっており、

ホッと胸を撫でおろしつつ、

メニュー表を眺めていると、


スッ。


あの時と同じ、

空気が動く気配がしました。


(え……)


ゾク、

と震える身体。


サッと周囲に視線を巡らせれば、


「ウソ……」


思わず悲鳴のような声が出ました。


目に入ったのは、

家族四人の座っている一つ向こうのボックス席です。


さっき見回した時には確かにいなかった一人の女が、

まるでその家族の五人目であるかのように平然と、

こちらに背を向けて座っているのです。


「ひっ……」


引きつるように喉がなりました。


只の不審者としか思っていなかったその女が、

途端にバケモノのように思えてきたのです。


ガタガタと震える身体を両手で抱きしめ、

身動きもできずにいると、


「お客様、お待たせいたしました。

 ご注文はいかがいたしますか?」


なんともタイミング良く、

私の元に給仕の男性が注文を取りにやってきたのです。


私はといえば、

すっかり食欲など消え去ってしまっていました。


それに、

また例の女が近づいてくるのではないかというのも怖くて、

曖昧に断りを入れ、席を立とうとしたのです。


と。


スッ。


「…………ッ?!」


再びあの感覚。


瞬間、

尋常でないほどの悪寒が

全身をかけ巡りました。


「……ご飯、たべないの」


至近距離からの声。


そう、

それは真後ろから耳元に吹き込まれたのです。


「メニュー見てたのに。

 食べないの……わたしのせい?」

「あ……や……」


ガチガチに固まった身体は、

まるきり金縛りのように動くことができません。


「わたしのせい?」

「い……あ……」

「わたしのせいなんだ」

「ち……ちが……」


声はもはや私の言葉など聞きもせず、

自己完結するかのように続けて言葉を発します。


周りには、

こんなに人がいるのに。


目前で平和に昼食をとっている光景が、

まるで空間自体を切り離されでもしたかのように、

現実味がありません。


「わたしの」

「わたしの」

「わたしのせい……」


繰り返し吹き込まれる声が、

まるで呪いのように脳内に木霊します。


「わたしのせい……

 いや、お前の」


ガッ。


女性の力とはとても思えぬ力で

肩をガリっと掴まれました。


「や……いや、やめてッ」

「お前の……お前が……お前に……」


ギリギリと食い込む爪が、

肩の肉をちぎらんばかりに苛みます。


あまりの痛みに、

私はとっさに、


「やめてください!」


大声を上げてふり向いてしまったのです。


「……あ」


虚空にぽっかり浮いたような音とともに、

その奈落を直に見てしまいました。


女性の形をしているのは、

その肉体のみ。


顔があるべきところにあるのは、

ただ空洞のような真っ黒の深淵。


「お前」


その地底の唸りのような音とともに、

プツンと意識が途切れました。



目覚めたときは、

温泉の休憩室でした。


傍らで付き添っていた係員によれば、

あのまま座席で気を失っていたのが発見され、

休憩室に運ばれて、

救急隊を今まさに呼ぼうとしていたところだったそうです。


意識を飛ばしていたのがほんの数分と知り、

私は思わず不気味な女がいなかったかと尋ねました。


が、その係員は首をひねるばかりで、

特に心当たりはないというのです。


あんな生々しい出来事が、

白昼夢だったとでもいうのでしょうか?


もう一分一秒もこの場所に滞在していたくなくて、

私は謝罪するのもそこそこに、

すぐさま温泉施設を飛び出しました。


まさか追ってくるのでは、

という不安もありましたが、

運転中も、そして帰宅後も、

なにも起こることはありませんでした。


あれは、

疲労から来た幻だったのか?


それとも、

現実に存在した人間であったのか?


わかりませんし、

確かめたいとも思いませんが。


一つ確かなことは、

あの女性に掴まれた私の肩には、

青黒い大きなアザが出来ていた、ということです。


もう、サウナに入りたいとは思いません。


またいつあの女性が、

こちらを待ち受けていないとも限りませんから。

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