#10 イレギュラー・ベイビー

 ねえ、聞いてよ。

 聖女の話? そうねえ……まあ、ある意味聖女様の話ではあるんだけれど。

 ええ、そうよ。ちゃんと召喚されたわよ。

 ただ、成功したかと言われると、言葉に詰まる感じかしら?


 召喚自体は成功したのよね。

 でもどういうことか――時間軸が間違っていたのかしら? 召喚されたのは赤ちゃんだったのよねえ。

 そうよ。赤ちゃん。三ヶ月くらいの子かしら?

 まあとにかくとても巡礼の旅ができるような年齢じゃなかったってわけ。


 でもすぐには元の世界には帰せないのよね。

 あなたも知っての通り、聖女召喚の儀は一年ほどかけて準備されるわけよ。

 つまり元の世界に帰すための準備も同じくらいかかるから、それまでだれかがあの子の世話を見なきゃならなくなったのよね。

 まだ乳離れもしていない子だもの。大人の手は絶対に必要だものね。


 それで、国王様ったらどうしたと思う?

 え? 違う違う。まあ、そうするのが普通だと思うんだけどね。

 でも国王は普通じゃないというかなんというか、そのあたりちょっとノンビリしていたわけ。

 鈍感とも言えるわね。

 まだ子供のいない夫婦にあの子を預けちゃったのよ。


 もちろん、その夫婦は貴族よ。出仕していた宰相補佐の貴族様に預けちゃったのよねえ。


 そうでしょ? そりゃあ普通は王宮のほうで乳母なりなんなりを用意するのが普通でしょうよ。

 でもその国王は「いらんことしい」というかなんというか……。

 その宰相補佐はね、結婚して三年が経つんだけれど、まだ子供がいなかったのよ。

 ええ、そうでしょ。「いらんことしい」でしょ。

 家族計画なんて家庭それぞれなんだから、放っておきなさいよって感じよね。


 え? そりゃあもちろん断れるわけないじゃない。

 そういうわけであの子は今、その宰相補佐の屋敷でお世話されているのよ。

 ちょっと無責任だと思わない?

 わたし?

 もちろん反対したわよ。でもさっきも言ったけれど国王はノンビリしてるっていうかね……。

 無神経とも言えるわね。

 だって、「練習になるだろう」って言ったのよ、国王は。

 ちょっとそれってあの子に対してもヒドイわよねえ。


 さすがに宰相も国王をいさめたけれど、聞きゃあしないのよあのヒト。

 というか、なんでそんな風に反対されるのか、本気でわかっていない顔だったわね。

 あの子は庇護して世話してくれる大人ができる。

 宰相補佐夫婦は赤ちゃんの世話を予習できる。

 それでみんなハッピーだとマジで思っているのよ。

 わたしが「鈍感」って言った意味、わかるでしょう?


 まあそんな感じだったからね、わたしも心配でちょくちょくのぞき見してたのよ。

 宰相補佐のことを信じていないわけじゃあないけれど、どうなるかわからなかったし。

 それとちょっと様子見してわかったんだけれど、宰相補佐夫婦ってどうも仮面夫婦ってヤツみたいだったのよね。

 表向きは普通に仲がいい感じなんだけれど、屋敷の中じゃあ互いに干渉せず、やり取りをするときは執事やら侍女やらを通していたのよ。

 え? ヒトをノゾキ魔みたいに言わないでよ!

 単純にあの子が心配だったから見てただけだってば。

 それに気づかれるようなヘマはしないわよ。なにせ、わたしは魔女だから。


 まあそんな感じであの子の世話をすることになっちゃったのよね、その宰相補佐様は。

 屋敷に帰るとさすがに面倒なことになったなって感じのことを言っていたわ。まあ、普通はそうよね。

 でも国王じきじきの命令だもの。

 それを差し引いてもあの子はまだいたいけな赤ちゃんだしね。

 無碍にはできないってところだったでしょうね。


 でも当然モメるわよね。「あなた、そんな子預かって来ちゃって」って。

 でもまあそこは仮面夫婦。

 互いに干渉しない約束でもあるみたいで、宰相補佐は自分でやるからって言ったの。

 妻は「あらそう」って感じですぐに興味をなくしたみたいだったわ。


 それで宰相補佐は普通に乳母を雇ったの。まあ、そうするわよね。

 で、それで元の世界に帰す準備が整うまで乳母に世話をさせればOKかと思ったら……どうなったと思う?

 え? 違う違う。乳母はなにもしてないわよ。さすがにその辺りは事前調査してふるい落としているでしょ。

 問題はあの子だったの。


 そう、あの子は仮にも聖女としての力を与えられているからね。

 でもその肝心の使い手はまだ自我が確立できていない、発達途中の赤ちゃんだから……案の定、暴走させちゃったのよ。

 ポルターガイストって知ってる? そう、モノが浮遊したりする。

 そんな感じの暴走の仕方だったのね。


 特にひどかったのは泣き声。なんだか聞いているとものすごく不安になるんですって。

 それと同時にモノがびゅんびゅん部屋中を飛び回る。

 世話をしているほうが危なくてたまったもんじゃないわよね。

 そういうわけで乳母はそうそうに辞職願を出しちゃって、宰相補佐は困ったことになったの。


 何度か乳母を入れ替えてみたけれど、みーんなあの子に恐れをなしてやめちゃう。

 いよいよ宰相補佐は困ったことになって、で、どうしたかっていうと、自分で世話をするようになったのよ。

 聖女の力がなんぼのもんじゃい! って思ったのかは知らないけれど、乳母に頼るのはやめたみたい。

 たしかに直接自分が世話をすれば話は早いでしょうけれどね。


 でもまあ最初から上手く行くわけないわよね。

 母親だって最初から完璧に育児なんて出来ないわけなんだし。

 月齢的に昼間は起きていて夜には眠る、っていうサイクルが出来はじめるころとはいえ、たそがれ泣きとかもあるからね。

 唯一の救いはそのときはまだ自分では動き回れなかったところくらいかしら?

 まあ、なぐさめにはならないわよねえ。


 で、そんな感じだから育児ノイローゼまっしぐら。

 さすがに昼間は使用人に世話をまかせていたけれど、普通に宰相補佐としての仕事もあるしね。

 それで、どうなったと思う?

 それがね、おどろきなんだけれど、妻が手伝ってくれるようになったのよ。


 そう、仮面夫婦の妻が。

 というか宰相補佐がいないあいだはほとんど妻が面倒を見ていたのよね。使用人には口止めをして。

 互いに不干渉を貫いていたのに、なんで夫である宰相補佐を助けるようなことをしたのか、不思議よね?

 どうも、あまりにもあの子の世話がへたくそで見ていられなかったみたい。

 でも自分たちは仮面夫婦だからって、ないしょで世話をするようになったようなのね。


 え? 貴族のご令嬢に赤ちゃんの世話ができるのかって?

 それがねえ、その妻は元は庶子で子供のころは下の兄弟の面倒を見ていたんですって。

 だから、赤ちゃんの扱いはお手のものってところかしら?

 実際にあの子をあやす手つきを見ても、手慣れている感じだったしね。


 で、宰相補佐はそれを知っておどろいた。でも、怒ったりはしなかったのね。

 どうしたかと言うと、妻に頭を下げてあの子の世話を頼んだのよ。

 国王よりもずっと出来た人間だと思わない?

 え? まあねえ、たしかにあんな鈍感無責任な人間は珍しいかもしれないけどね。

 でも、仲のよくない相手に頭を下げて頼むことが出来るってのは、すごいことだと思うわ。


 妻もバレちゃったからって世話をやめたりはしなかったの。

 でも、手の空いているときはあの子の世話を手伝うこと、ということだけ約束を取りつけた。

 それであの子の世話は上手く回るようになったのね。

 このときはわたしもホッとしたわ。


 それでおどろいたことが起こったのよ。

 仮面夫婦だったあのふたりが、段々打ち解けるようになってきたのね。

 あの子がモノをつかんだり、はいはいできるようになったりすると、それを互いに報告したりしていっしょに喜んだりね。

 喜ぶって言ってもあからさまな顔はしないんだけれどね。

 でも言葉の端々からうれしいですって感情が見えるの。おもしろいわよね。


 そうやっているうちにあの子も慣れてきたのか力が暴走しなくなったのよ。

 そうしたらまた乳母を雇おうかって話にもなるんでしょうけれど、このふたりは夫婦で育てることを選んだ。

 情が湧いていたんでしょうね。


 仮面夫婦だったふたりもちょっとずつ変わって行った。

 いっしょにあの子の面倒を見ているうちに戦友、みたいな連帯感が生まれて行ったのは想像にかたくないわよね。

 で、ある日宰相補佐が花束を持って帰って来たのよ。

 妻は当然「どうしたの?」って感じになったんだけれど、その日は妻の誕生日だったのね。

 宰相補佐がそうやって直接お祝いの花束を渡すのなんて、それが初めてだったみたい。

 妻も妻でおどろいてはいたけれど、イヤがっていたわけじゃなかった。

 もうここまで来たら、仮面夫婦、なんて言えないわよね?


 なんで仮面夫婦になっていたのかは知らないけれど、なんだかんだ和解できたのは喜ばしいことよ。

 ふたりもそのきっかけになったのはあの子ってわかったから、あの子にかなり感謝していたわね。


 それで、今日がちょうどあの子がやって来てから一年だったの。

 元の世界へ帰すにはまた最終調整があるからまだ余裕があるけど、もう別れの時間はすぐなのね。

 それであのふたりがそろってわたしのところに来たの。

 ふたりで話し合って、どうにかあの子になにか残してあげたいと思ったんですって。

 それで、わたしから加護が貰えないか頼みに来たんですって。

 それくらいしか出来ることはないからって……。


 ええ、もちろんわたしは加護を与えたわ。ささやかなものだけれどね。

 あの子が幸せでありますように。あのふたりの愛情を込めて魔法をかけたわ。


 そう、それでだれかにこのことを話したくなったから来たってわけ。

 え? そんなことないわよ。

 あの子がいなくなっても、あのふたりはもう夫婦を演じなくても済むわ。きっとね。


 えー……あなたってリアリストっていうより悲観的すぎるんじゃない?

 いいじゃない、たとえそうなったって、あのふたりのあの子を思って、それから伴侶の美点に気づいたっていう思い出は、きっと尊いものよ。

 だから今日だけはいい気分に浸らさせてよ。ね?

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