第36話 姫、元嫁を嫌う

 加悦かや…!


 半年ぶりに会った元妻は、少し頬がこけたような気がした。

 もともと気の強い女だったが、今はさらにきつい表情をしている。

 娘が拉致されたのだから、当然といえば当然だが、警察に食って掛かるのはお門違いだ。

 さないを保護してくれているのだから。


 それにしても、53歳にしては若い。スタイルもいい。

 穏やかな顔をしていれば、かなりの美人なのに、般若の形相では元夫の俺もドン引きだ。


 昔はもっと可愛かったのに。

 そうだよ、これでも恋愛結婚だよ。今では信じられないけどな!

 俺もハゲデブじゃなかったし!


 おい、おまえ!


 じゃないや。お義母かあさん?


 いや、離婚した後にソフィが養女になったんだから、違うな。

 さないが変えたくないと言ったので、加悦も椥辻なぎつじ姓のままだけど。

 おばさん……、でもないし。


 あれ? どういう関係になるんだ? 赤の他人?


「加悦さん、お久しぶり」


 加悦のことをどう呼んだらいいのかためらっていた俺に先んじて、姉ちゃんが言った。

 こういう時は姉ちゃんの物事に動じない性格が、助かる。


「お義姉ねえさん……、いえ、かがりさん。ご無沙汰してます。が、今は悠長に挨拶している場合じゃないわ! そこにいるガイジンはソフィーリア、ね。篝さんも何が起こっているかはご存知なのよね。」


 加悦がめちゃくちゃ冷たい目で俺を見る。怖え!

 しかも初対面なのに呼び捨てかい。


 義理の娘だから?

 いや、違うよな。やっぱり赤の他人のはず。


「外人じゃない。醍醐だいごの娘の椥辻ソフィーリアだよ。加悦さん、ここは病院だ。もう少し静かに話そう」

「私もそうしたいところだけど! この警官たちが要領を得なくて! 実に会わせてくれないし! あの子がヤクザに襲われるなんて! あなたのせいでしょ! ソフィーリア! なにがあの人の娘ですって!? ろくでなしは、ほんとにろくでもないことしかしないわね!」


 加悦は昔からストレスに弱い。

 自分の思いどおりにならないことがあると、すぐに声を荒げる。


 それについては、俺が実のことや、家のことにほとんど関与しなかったせいもあるだろう。

 金だけ渡して、全部加悦にしょい込ませてたからな。


 後悔先に立たず、か。


 実が襲われたのは加悦に言われるまでもなく俺のせいだ。

 芸能界を甘く見てた。やっぱり、今でも裏社会とがっつり繋がってたんだ。

 うわさだけじゃなかった。

 ある程度は注意していたけど、こんな直接的な手段を取るとは思わなかった。


 俺、有名になって浮かれてたのかもしれない。

 だいいち、俺が有名になったわけじゃない。俺の力でもない。

 全部ソフィの力だ。

 なのに、油断して、実を危険な目に合わせた。

 鶏冠井かいでさんも愛車を燃やされてしまった。


 全部、俺のせいだ。確かにろくでなしだ。


「今はダメです。治療中です」と、私服警官の一人が言う。

「私は親ですよ!」

「加悦さん、話したいことがあるんだ。談話室デイルームに行かないか?」


 姉ちゃんが制した。


「そこのガイジンが責任を取ってくれるとでも? 実を元に戻して!」

「ソフィーリアのせいじゃない。彼女も被害者だ。とにかく、少し話そう」


 姉ちゃんが加悦の腕を取っていささか強引に談話室に引っ張って行った。

 こういうときはさすが重量級、強いな。



◇◇◇


「やはりあなたのせいじゃない! こそこそと実と連絡取りあって! だから実が狙われたんでしょ!」


 姉ちゃんが、今日のいきさつをかいつまんで話した。あいかわらず話を纏めるのが上手い。

 人気作家だけのことはある。

 でも、加悦は素直に受け入れなかった。


「ソフィーリアも被害者だと言っている。悪いのは浪花なにわ興産だし、浪花興産をけしかけた黒幕の誰かだ。間違っちゃいけないよ、加悦さん」

「そもそもそれはその子が芸能界で目立ったからでしょ!? その子が襲われるのは当然として、なんで実がレイプされなきゃならないのよ!」

「襲われるのは当然じゃないだろ。それに実も薬は盛られたが、レイプはされていない。手を付けてしまったらソフィーリアを脅せないからな。反社会的集団は馬鹿じゃない。精神的に追い込んでくるからな」


 鶏冠井さんの車は物理的に燃やしたけどな。まああれも精神攻撃といえばそうかも。大事なものを奪う、器物損壊。


「未遂でもキズモノにされたのは一緒よ!」

「実はモノじゃない。ましてや他人からどう見られるかじゃない。実自身にとって、不本意な性交がなかったということは、これからの生き方を変えなくていいということだ。喜ばしいことじゃないか」

「篝さんはいつもそう言って話を逸らすのよ! だから作家は嫌い!」

「話を逸らしているのはどっちなんだ。もう一度言うが、実を襲ったのは反社会的組織だ。ソフィーリアも被害者の一人なんだ」

「そもそも実が狙われたのはその子が携帯で会う約束をしたからでしょ!」

「いや、それは違う」


 姉ちゃん、をするのか。


「違うって、違わないでしょ!」

「確かに今日襲われたのはソフィーリアとの待ち合わせを狙われたからだ。でも、おかしいと思わないかい? ソフィーリアと実が会うのは久しぶりだ。実が前からマークされていなければ、今日二人が会うなんてわからない。ましてや拐取してソフィーリアを呼び出すなんて発想はどこから来た? なぜ実とソフィーリアの関係を浪花興産は知っていたのか? どう思う? 加悦さん」

「どう思うって、どっちもあの人の娘だからでしょ!? だから」

「違うよ。加悦さん、あんたは半年前に籍を抜いただろ。実も一緒に。普通なら、醍醐の別れた妻子の存在なんて気がつかないし、脅しに使うなんて発想にはならない」

「じゃあなんでよ!」

「あんただよ、加悦さん」


 出た! 姉ちゃん得意の『犯人はお前だ』ポーズ!

 さすがに俺相手じゃないから指差しはしないけど。眼が鋭く光ってるよ。


「加悦さん、あんたソフィーリアのスキャンダルとして醍醐のことをあちこちの新聞や出版社に持ち込んだだろ。そのなかに週刊ポータルもあったね」


 そうだ。そもそも実に加悦の連絡先を聞こうと思ったのは週刊ポータルからのSOSだった。


「週刊ポータル出してる毒島ぶすじま書店は帝国映画帝映芸能部の広報誌からスタートしてる。知ってるだろ? 帝映のかつての看板シリーズがなんだったか」

「帝映? 『仁義なき抗争』とか『極道の男と女』とかの? ……あっ」

「そうだよ。帝映は戦後の日本映画界、芸能界を支えた大企業だが、大宮組と縁が深いんだ。映画のモデルだからな。そして昭和の大女優といわれたあの人や、歌姫といわれたあの人も、当時大宮組が興行元だった。どっちも当時の帝映の常連だった。その帝映広報部がスタートの毒島書店、そして週刊ポータルと大宮組は今でも繋がりがあるんだよ」

「そんな……」

「聞けば、ソフィーリアの事務所にまで、あんたを何とかしてくれと週刊ポータルが頼んできたらしいじゃないか。当然毒島書房の上層部も知っているだろう。ここからは推測だが、そんなトラブル話が大宮組や浪花興産に伝わったんだ。で、たまたまソフィーリア潰しをどこからか頼まれていた浪花興産にとっては、格好のネタだったということさ。現状ソフィーリアの唯一のネガティブ情報だからな。多分あんたも実も奴らに監視されてたんだよ。ソフィーリアと繋がる瞬間を」

「そ、そんな、そんなのデタラメよ!」

「ああ、推測にすぎない。でも、今日の浪花興産の動きは早すぎる。以前から実が狙われていたとしか考えられない」

「き、気分が悪い、失礼するわ!」

「実の回復を待ってなくてもいいのかい?」

「どうせ今は会えないなら、明日にするわ!」


 そういって加悦は病院を出て行った。


「センセイ、サスガデス」


 ソフィはニコニコしている。


「あんなこと言いたくはなかったんだけどね。加悦さんにははっきり言わないと、わからないようだったから」

「アノヒト、でぃーごヲ、ロクデナシト、イイマシタ。ワタシ、アノヒト、キライデス」

「加悦もこれに懲りて馬鹿な考えをやめてくれればいいんだがね」

「サナイサンガ、カワイソウ、デス」

「ああ、今回は実、そして鶏冠井さんが大変な目にあった。姉ちゃん、俺、このまま芸能人でいてていいのかな?」

「ソレデハ、マケヲ、ミトメルコトニ、ナリマス。ボウリョクニハ、タチムカワナイト、ダメデス!」

「いや、その過激な考えはどうなんよ! ソフィ。あれ? そういえば、鶏冠井さんは? 病院に一緒に来たんじゃなかったけ?」

「鶏冠井ならとうに出て行ったぞ。車手配してくるって」


 え、車?

 鶏冠井さんの車炎上したじゃないか? まさか例の筈巻書房のトラック持ち出してくるのか?


「醍醐、芸能界をやめてみろ、鶏冠井が絶望するぞ。国家的損失とか言いそうだ」


 またそれかい!


 それから半時間ほどして実が目を覚ました。

 医師立会いの下で、病室で寝たまま事情聴取が行われた。

 俺たちは聴取の間は入れなかったが、医師の配慮か20分足らずで私服刑事が出てきた。


 入れ替わりで俺と姉ちゃんが集中治療室に入った。


「実」

「お姉ちゃん……」

「おばさん、ソフィ……。心配かけたみたいね……」

「ううん。お姉ちゃん大丈夫? なにがあったか覚えてる?」

「さっき警察にも言ったけど……、会社を出たら急に意識がぼんやりして、車でどこかに連れて行かれて……。後は……。なにかソフィのことを聞かれた様に思うけど……」

「覚えてないならそれにこしたことはないさ。事件は終わったし、ここは安全だ。ゆっくりお休み」

「……ありがとう、おばさん。ソフィ、ごめんね」

「お姉ちゃん、ほんとにもう大丈夫だからね。安心して寝て」

「うん、まだ頭が痛いから、休むわ……」

「おやすみ」

「おやすみなさい、お姉ちゃん」


 寝息をたてはじめたのを確認して、病室を出た。

 通路の椅子にはさっきの私服刑事が座っている。事情聴取はまだ途中なんだろう。


 鶏冠井さんからメッセージふるふるが届いた。


『車を持ってきました。夜間出入口前に着けています』


 相変わらずタイミングばっちりだな。もしかして魔法使えてる?


(さすがにそれはないです。ディーゴ)

(そうだよな。でも時間の読みが抜群に正確だよね)



「なにこれ!」

「セカンドカーです。あまり持ち出したくはなかったのですが」

「いやいやいや、鶏冠井さん、いったい何者? これだったら、火を着けられても平気だったんじゃない!?」


 出入り口前に停まっていたのは、いかつく黒光りする、まるで軍用車両のようなオフロード車だった。

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