第7話 おっさん、寿司を食べる

「法人設立の手続きは後でいいや。ちょうどいいのが来るし。それより……」


 姉ちゃんが俺をじっと見る。怖い。


「貴女、すっぴんよね。なのにその破壊力。下手に芸能界デビューしたら、共演者全員公開処刑。それはそれで面白いけど。……いや、それもありか。前言撤回、芸能活動したほうがいいな」

「ワタシ、ミカタハ、コロシマセン、デス」

「公開処刑ってのは言葉のあやね。貴女が桁違いにきれいすぎて、ちょっときれいなその他大勢が敗北を知るってこと」


 よく聞いてたら、姉ちゃんがあんたって言う時は俺に対して話す時で、ソフィには貴女だな。

 なにその違い? なんで変える?

 ……変えるか。

 俺は姉ちゃんだし、ソフィは先生とか神と呼んでるもんな。

 第三者が聞いてたらおかしな会話だろうな。


「頬の傷、大丈夫?」


 忘れてた。そろそろ丸半日になるか。俺はぺりっとテープを剥がした。


「どう?」

「あんたそんな乱暴に! ああ、傷は塞がってる。まだうっすらピンクだけど、これは時間がたてば落ち着く。もう傷テープは要らないね」

「そっか、ありがと姉ちゃん。心配してくれるとは珍しいな」

「あんたを心配したんじゃない。ソフィの顔を心配したの」

「そりゃそうだろうけど」


 姉ちゃんに、大丈夫? なんて言われたの、久しぶりだな。

 退職したときも離婚した時もなーんにも言わなかったな。そういえば。


「そいで、あんた、風呂入ってないね。歯も磨いてないね。髪も梳いてないね」

「うっ!」

「あんたの部屋は風呂なしだし、あんたの歯ブラシをソフィが使うのはどうかと思うけど、ショッピングセンター行く前に銭湯行け! ドラッグストアで歯ブラシセット買え!」

「センセイ、ワタシニオイマスカ?」

「いや、貴女の匂いは大丈夫よ。でも若いからってケアを怠っちゃダメ。気を付けないと」


 俺とソフィで態度変えすぎだろ! 同じ体なのに!

 二心同体! 差別反対!


「それに下着も要るね。体形が崩れることはまだなかろうけど、ただでさえ暴力的なのに、ゆさゆさ揺れてりゃますます……。採寸はした?」

「あばたート、スンポウマデ、オナジデハナイノデ……。こーでぃねーとハデキマシタガ、シチャクハ、ヒツヨウデシタ」

「ああ、なるほど。じゃああたしが測ったげる!」


 ええ……。これってここでバスタイム的な流れ?


「カンナビダイセンセイニ、さいずシラベテイタダケルトハ! ナントイウゼイタク!」

「ということで、うちのお風呂使っていいから。採寸の前に入っといで」

「アリガトウゴザイマス!」


 いいんかい!


「デモ、……ソノマエニ」


 ああ、そうなんだ。さっきから俺も感じてる。


「オテアライヲ……」

「あ、そこの扉開けて」

「ハイ」

「俺、目つむってるわ」

「ベツニ、カマワナイノデスガ。タンナルセイリゲンショウデス」

「いや、構うよ! 音も聞かないし!」

「そこで口に出すのがあんたよね。黙って引っ込んでたらいいのに」


 うっ。一応姉ちゃんにも聞こえるように言っとかなきゃと思ったからなんだけど。


「ま、あんたは深く沈んどきな。ソフィ、醍醐はほっといて、早く済ませておいで」

「ハーイ」


 この後しばらく俺は魂の奥に引っ込んで五感を切っていた。寝てたともいう。

 だからこの間なにがどうなったか知らん。

 いや、ホントに知らないからね! こっそり覗いたりしてないよ!


(ディーゴ、もういいですよ)


 ソフィに呼ばれ、俺は感覚を戻した。


 目の前に、女神がいた。


 いや、鏡だが……。


 おいおいおいおい、姉ちゃんなにやってんの! さっきただでさえ暴力的とか何とか言ってたんじゃないのかよ!


 ソフィは、髪を編み込んでアップにし、薄く化粧をしていた。すっぴんはまだ幼さが残っていたが、大人っぽい、隙のない美人にクラスアップしてた。

 って冷静に見れない! 自分の顔なのに! キラキラしすぎ!


(どうですか? 甘南備台かんなびだい先生にメイクしていただいたのですが)

「姉ちゃんがメイク!? いや、めっちゃきれいになってる。なってるけど姉ちゃんが!???」

「あんた失礼ね。あたしだって化粧ぐらいするよ。素顔で外に出る勇気はないぞ」

「いや、姉ちゃん化粧してもあんまり変わらんだろ」

「あんたほんまに失礼ね!」

「でぃーご、イマノハヨクナイ。カンナビダイセンセイニ、アヤマッテクダサイ」


 ソフィまで怒っちゃったよ。

 姉ちゃんの大ファンだしな。確かに今のは言いすぎた気がする。


「ごめん姉ちゃん……」

「えらく素直だね。あたしもこんなに化粧映えするとは、まあちょっと思ってたけど、想定以上だねえ。これじゃもう、うかつに外を歩けないな」

「逆に地味メイクとか出来ないのかよ?」

「すっぴんでも破壊力抜群だからねえ。帽子とサングラスとマスクで物理的に隠すしかないだろうね」

「芸能人のあの姿って、余計目立つんじゃないかと思うけど、それなりに効果はあるんだ」


 ほかほかしてソフィのいい匂いがパワーアップしてる気がする。

 窓の外がもう暗い。風呂入ってメイクされたんだから、1時間ぐらいは経ってるのかな?

 この部屋には時計がない。スマホはどこいったんだろう?

 服はさっきのコーディネートのままで着てるけど、ポケットには入ってないな。


「ああ、あんたのスマホはここだ」


 ごそごそ探してたら、姉ちゃんが渡してくれた。午後6時半か。ロックを外すと今のメイクバージョンのソフィがモデル立ちしてる写真が壁紙になってた。

 うん、美人。

 じゃない。


「へへへ、おそろだよ」


 姉ちゃんが自分のケータイを見せる。それもソフィの待ち受けだった。画面サイズの都合上バストショット。

 姉ちゃんのはともかく、俺のスマホの壁紙いじるって、なんでロック番号まで知ってんの!?


 あ、ソフィか。


 姉ちゃんはケータイ派だ。仕事で8インチタブレットを持ち歩くので、スマホはいらないそうだ。

 きっとタブレットもソフィの壁紙にしたんだろう。

 でもやけにプロっぽい写真だな。モデルがいいとはいえ。


「センセイトイッショデ、コーエイデス!」

「ソフィ、自撮り初めてなのに上手だよね」

「ヒシャカイシンドトカ、シボリトカ、ふぃるたートカ、チョットイジッテミタラ、コウナリマシタ!」


 フォトもアプリだから無双出来るのか。なんでもありだな!


 二人が見つめあって、ハートマーク出てる気がする。

 おい姉ちゃん、あんたBL作家だろ! 百合に転向してどうすんねん!


(お風呂とっても気持ちが良かったです。ディーゴの記憶ではもっと大きくてたくさんの方と一緒でしたが、お湯にゆったり一人で入るのがこれほどリラックスするとは……)


 ソフィが脳内で話しかけてきた。意識を切っていた間の情報共有かな?

 って入浴の様子をイメージしようとするから、慌てて目を閉じた。脳内の。


(それは銭湯っていう所で、バスルームとは違う。あっちの世界に風呂もシャワーもなかったな)

(はい、濡らした布で体を拭いていました。王宮では蒸気で汗を出してからぬぐう部屋がありましたが、お湯を張って浸かったのは初めてです。さすがは神の国ですね!)

(俺には魔法の方が凄いと思えるが。まあ異文化交流ってそんなもんかもしれないな。当たり前だと思っていることが、異邦人にとっては珍しくて興味深いことは良くある)

(ディーゴは物知りですね)


「あ、そろそろ出前が来る時間だ。ちょっと準備しようか」

「え、姉ちゃん、出前取ったの? 晩御飯よばれていいの?」

「ああ、まだ尋ねたいこともあるからね。ソフィに何食べたいか聞いたら迷わず寿司って言ったから、電話した」


 姉ちゃん太っ腹!

 そしてソフィグッジョブ!

 寿司情報は俺の脳内記憶だな。

 俺に奢ってくれたのはせいぜいマイドコンドバーガーぐらいだったのに!


「ああ、百円寿司じゃないぞ。出前してくれるとこにした」


 二人で玄関からリビングまでごみと洗濯物をひととおり片づけた。


 ってこれが準備かい!

 大体きれいになったところで、チャイムが鳴った。ティン・トーン。


「まいど~~っス。出前で来た~~っス」ぶっきらぼうな物言いの兄ちゃんだった。


「あんた、受け取ってよ。にっこり微笑んでさ」


 姉ちゃん悪魔か。


 部屋の扉を微笑みながら開けて「ありがとうございます」って言ったら、出前の兄ちゃん真っ赤になってフリーズしたよ。

 ほらね。


「あの?」

「すすすすみません、ごごごご注文の寿司二人前お持ちしやしたー! あああありゃあとーござまーす!!」


 最敬礼しながら寿司桶渡してくれた。


「おおお桶は玄関の宅配ボックスの横に置いて…。はっ! いいいいえ、ここここの扉の前に出していただければばば!」


 それじゃ、解錠しないと取りに来れないじゃないか。ってか、ここまで取りに来たいんだな。


「いえ、それではお手間ですから、下に出しておきますね。ご苦労さまです」


 兄ちゃんは名残惜しそうに帰っていった。

 寿司屋にもあっさりストーキングされるとは。

 出前頼むのも考えないとな。家バレするとマジ危険かも。


 ってこれ大トロにカニにイクラに……、ウニも入ってるよ。特上じゃん! 姉ちゃん奮発したなあ。


「豪勢だろ。ソフィに会った記念日だ。とりあえず食べよ。後で人が来るし」


 そういや編集の人が21時……午後9時に来るって言ってたな。



◇◇◇



 特上寿司は旨かった。

 俺も寿司なんて久しぶりだ。

 百円寿司もここしばらく行けなかったよ。失業者だから。


「オオトロ、チュウトロ、ハラス、ケンサキ、ズワイ、ニアナゴ、ホタテ、ボタンエビ、イクラ、バフンウニ、タマゴヤキ……」


 寿司ネタを一所懸命覚えようとするソフィがおかしくて、姉ちゃんが笑っていた。

 心底笑ってる姉ちゃん見るのも久しぶりかもしれない。


 食べ終わり、歯を磨き終わったら、姉ちゃんに座るように促された。

 姉ちゃんちには使い捨て歯ブラシが常備されている。

 泊まり込みで原稿を待つ編集さんたち用だ。


 今度は、ローテーブルに温かいお茶を用意してくれていた。

 

「寿司を喰えってだけの歌を昔アイドルが歌ってて、よくこんなプロデュースができたなと感心したけど、超絶美人が寿司食べるビジュアルって尊いね。非日常掛ける非日常というか、明後日の方向同士の掛け合わせというか。組み合わせの妙って無限の可能性があるんだ。新しい攻め受けのパターンを思いつきそうだ」

「カンナビダイセンセイハ、カミノリョウイキダト、オモイマスガ、ナニカノひんとニ、ナレタノナラ、サイワイデス」

「あたしは神なんかじゃないよ。いつももがいているだけさ。でもソフィがファンでいてくれるのは嬉しい。さて、が来る前にもう少し教えてもらいたいことがある」

「?」

「魔法のことだ。運動量保存コンサーベイション・オブ・モーメンタム。術式を今ここで書けるかい?」

「アノジュツシキニハ、センヨウふぉんとガ、ヒツヨウデス。ソトカラデモ、ツクレマスガ、ふるだいぶシタホウガ、ハヤイデス」

「じゃあ、もう一度ネットにダイブしてくれる?」

「オノゾミノ、ママニ」


 また俺の中からソフィが消えて、ノーパソの画面にアバターが出現した。


「書いてくれ」

『分かりました』


 アバターソフィが目をつむると、しばらくして魔法陣が画面に現れた。

 専用フォントとやらはもう出来たらしい。


「なるほどね。ふむふむ、三層構造だね。召喚、開放、障壁に対応しているのかな」


 姉ちゃんにそう言われると、明滅するようにパターンを変える魔法陣は、ずれてモアレを起こしているようにも見えないこともないな。

 三層あるなんて、目を凝らしても俺にはわからないけど。


「古代エノク文字に似ているが、やはり違うな。文字そのものは読めないが、記述パターンに規則性があるな。それ、そこで発動させたらどうなるんだい?」

『保護と破壊の対象を指定していませんので、このパソコンを中心に繋がってる近くのパソコンが電子的に破壊されると思います。ディーゴの時のように一気に膨大なパワーが流れ込むわけではないので、限定的ですが』

「指定すれば選択的にサーバーを破壊出来るってこと?」

『やってみましょうか?』

「いや、さすがにやめとこう。共有回線だからほかの部屋の人のパソコン壊して恨まれたくないし、プロバイダが壊滅したら仕事が出来ない。あ、破壊といえば昨日為替操作したろう。あれ、下手したら死人が出るから。もう絶対やめとけよ。まあ、1.2円ぐらいの動きだったから、レバレッジ規制のある今、耐えられてると思うけど。でも外国業者で取引してる人とか、機関投資家とかはエライ迷惑こうむったろうなあ」


 俺たちが20億円以上も儲けた以上、損した人も相当いるよね。ごめんね、どこかの誰かさん……。

 飛び込み自殺なんて起きませんように……。


「ソフィ、その魔法陣をサークルじゃなくてただのテキストに出来るか? 三層を別々に」

『それは簡単です。魔法の教科書みたいに平文にすればいいのですね』

「魔法の教科書があるのかい。それは読んでみたいな」

『大概は覚えていますので、記述できますよ』

「そうかい、参考に、一番短い術式も平文にして、両方プリントアウトしてくれないか」

『では明かり魔法ライトにします。平文化してプリンタデバイスに送信します』

「姉ちゃん、プリンタってどこにあるんだ?」

「書斎にあるよ。Wi-Fiで繋がってる」

『プリンタのプロパティによると、運動量保存コンサーベイション・オブ・モーメンタムが128ページ。明かり魔法ライトが20ページになりますが、実行してよいですか?』

「いいよ。うち業務用のレーザープリンタだから数百ページくらい大丈夫」


 職業柄大量印刷の必要があるんだろうな。


『印刷、開始しました』

明かり魔法ライトに使われている言葉と、日本語の対応表作れる?」

『§%&☆△% : 真なる

 ¶$Å&%% : 形

 ∂?!◇〇□ : 分ける

 みたいな感じでいいですか?』

「そう、それそれ」

『なるほど、辞書ですね。承知しました』

「理解が早くて助かる。貴女、電脳空間の情報、面倒だから電素セルと呼ぶよ、電素セルがネットの中でなら魔素マナ代わりに使えるけど、それを現実に持ち出す方法はまだわからないんだろ?」

『……はい、おっしゃるとおりです』

「それがわかっていたら、貴女も自分の世界に早く戻り味方を助けたいはずだからね。でも、出来ない」

『ハイ……』

「だから、あたしも手伝うよ。その方法を見つけるのを。『一人より、二人なら何倍も』でしょ。そのためには魔法を理解しないとね!」

『! それはキューティプリティの教え……。甘南備台かんなびだい先生!』


 あ、アバターが涙目になってる。

 って、俺戦力外!?

 さらっとヒドクね! 姉ちゃん!

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