姫とおっさん

さぐさぐ2020

第1話 おっさん、姫になる

 一瞬のめまいのあと、俺は、異世界にいた。


(またここか……)


 戦場だった。木々の間で数百人の騎士が入り乱れて斬りあっていた。剣と盾のぶつかる金属音が周囲を包んでいる。怒号。そして肉を断つ音。血の匂い。


「姫さま! お早く!」


 数名の敵騎士に押し切られそうになっていた老騎士が叫ぶ。

 ギュルダンだったか。


「ああ、している」


 俺は応えた。鈴の音のように澄んだ、凛とした声で。

 同時に、俺の腰のあたりから光の魔方陣が水平に生まれ、そして瞬時に戦場全体に広がった。


運動量保存コンサーベイション・オブ・モーメンタム!」


 魔方陣に沿って丸い光球が生まれ、その中は超高熱に包まれた。

 爆煙が散った後には、森林すらも灰燼に帰した円形の焦土に味方騎士だけが残されていた。選択的に障壁に守られたのだ。


 これは、そういう魔法だ。


 俺はまた大勢の命を奪った。


 勝鬨かちどきを上げる騎士たちとともに本陣に戻った俺は、老騎士を下がらせ自室でひとりになった。


 持ち主にあった清潔感のある部屋だった。

 焚き染めた香の匂いが、昂ぶった気持ちを落ち着かせる。

 鏡の前で身にまとった白銀の甲冑を脱ぐ。

 魔法強化されており驚くほど軽いが、鎧は鎧だ。解放され下穿き姿になった俺は大きく伸びをした。

 盛り上がった胸がさらに膨らむ。

 今の俺は長い金髪、爆乳と細い腰、すらりとした長い手足を持つ美少女。


 ノイマン王国が第二王女、ソフィーリア・クリスチネ・フォン・ノイマンその人だ。


 俺の世界に似た名前の天才科学者がいたが、偶然だろう。

 そもそも言葉は日本語じゃないのだが、脳内で勝手に翻訳される。俺の知っている響きの言葉に置換されているだけなのかもしれない。


「あー、だりー、あー」


 美しい声で悪態をつきながら、俺は藁を布でくるんで造られたソファ兼ベッドで大の字に寝ころんだ。

 大股開きになる。

 下穿きといっても、スウェット上下というか、ワンマイルウェアみたいな恰好だ。さすがにブラジャーとかショーツのたぐいだったらこんな格好ははばかられるが……。


(ちょっと。いつも言っておりますでしょ。私の体にだらしない恰好をさせないでくださいな!)

(うっせえソフィ。毎回毎回勝手に呼び出しやがって。こっちの都合も考えろ)


 ネット配信のなつかしロボアニメを一気見している最中だった。しかも第18話でライバルに敗北した主人公機がパワーアップして再登場する第21話Bパートだったのだ。

 想い出補正かと思っていたが、今観てもやっぱり面白い! 燃える!

 ってところを無理やり!!


 ……。


 …………。


 ああ、そうだよ、ヒマだよ。ヒマだったんだよ。悪いか!


 そういえばあっちは深夜だったが、こっちは昼間だな。こないだ呼ばれたときはどっちも昼間だったような気がするが。

 異世界との時差ってどうなってんだろう?


(こちらもぎりぎりだったのです。まさか大隊を二つも配置しているとは思わなかったのです。出来ればディーゴの手を煩わせることは控えたかったのですが……)

(たしかに押され気味だったな)

(考えてみれば、今日の緒戦の敵軍の敗走も、こちらを誘う罠だったのでしょう。不意打ちと物量で一気に攻め落とすつもりだったのですわ)

(攻め落とす? 森林のど真ん中だっただろ? エリア制圧はこの戦いでは意味がないんじゃないか?)


 俺もこの戦争の事情はよく知っている。既に何度も見聞きしているからだ。


(敵の狙いは私ですから。すなわち、超爆炎の魔法王女、白銀のソフィーリア!)


 俺の脳内にびしっとポーズを決めるソフィの姿が浮かんだ。ソフィ自身の妄想が漏れているのだ。

 俺のオタク趣味を相当学習している――というかむさぼるように共有記憶を読んだり視聴したりしていた――から、良く知っている決めポーズだった。


 魔法の美少女キューティプリティR。


 こいつ、順調にジャパニメーションを吸収していやがる。

 最近はちょい腐りはじめてやがるし。早すぎたんだ!

 ……違うか。


 しかし「超爆炎の魔法美王女」って、よく恥ずかしげもなく自分で名乗れるな。

 そもそもあの魔法は俺のおかげだろうに。


 ……ま、まあ美少女なのは間違いない。

 地球で言えば北欧美人の系統になるのかな? 肩甲骨あたりまである長めのプラチナブロンドの髪と澄んだ青い目。白く透き通るような肌の色。

 彫りの深い顔立ちだが、大きな瞳がくるくる動く様は華やかさと可愛らしさのベストバランス。

 そして日本人には見られないボンキュッボンなプロポーション。

 これで16歳だというのだから、ファンタスティック!

 異世界サイコー!


 ああ、はじめは俺もそう思ったんよ。


 はっと気がついたらどっかーんと回りが爆発してるわ自分が女の子になってるわ。


 正直、シビれたね。


 なんだこれ! チョーかわいい! オッパイめちゃでけえ!

 不幸の後には幸せが訪れるとは本当だったのですね。

 しかも異世界ですよこれ。魔法だってあるんですよ! そしてきらきらぴちぴちしているこの女体!

 オレと真逆の存在! 街で見かけたら、人生イージーモードかよ、けっ! と嫉妬間違いなし! だったのに!

 なんというご褒美! ありがとう! 神も仏もないものかと腐っていた自分を叱ってやります! ゴッドイズワンダフル!

 わけはわからんけど、これはやり直しの大大々チャーーンス!

 コスプレイヤー? いやグラドル? いやハリウッド女優? まあなんでもいいや、芸能人になったら間違いなく天下を獲れる!

 おおお稼げる! キタコレ! 生活安泰!


 で、自分の体を『触って確認』しようとしたら、


(私の身体は貴方のものではありません!)


 と脳内で怒られたのだった。


 ……なんだよ。せっかくトランスセクシュアルTS出来たというのに。元人格ありなんて聞いてないよ。生殺しじゃん……。


 でも現実社会を捨てて異世界ライフ! 可愛い声のサポートナビ付きで! プランB! これはこれであり! とか思い直したら。


(……ようやく魔力が回復してきました。これであなたを帰還させることができます。今回はありがとうございました)

(え、?? 帰還って? え? 帰るの? 帰らされるの? ええええ???)

(はい、あまり長時間、魂を切り離すと、あなたの元の体が大変なことになりますし…)

(大変なことって?)

(それは私の口からは……。たぶん、まだ、大丈夫ですよ、このくらいなら。では、ごきげんよう)

(え、ちょっと、えええええ!!!)


 そして俺は現実世界にあっさり戻されたのだった。


 ちなみに大変なこととは、魂がない間筋肉が弛緩していろいろ垂れ流しになっていたり、変な姿勢でダウンしているのであちこち怪我してたり筋肉痛だったり……。

 自発呼吸はしていたので、戻ったら肉体からだが死んでる! ということはなかったが、たしかに長期間意識がなければ水も食事もとれないから衰弱死の可能性はある。


 ……だけじゃなくて、戻った時猛烈な乗り物酔いのようになったことが一番きつかった。一目散にトイレへ駆け込んだよ!



 夢だけど、夢じゃない!

 けど、終わった。終わってしまった……。

 さようなら異世界。さようならTSライフ。

 うたかたの夢として仕舞っておこう、一瞬だが、いい想い出だった、さて、あのナイスバディをちょっとオカズに……。


 などと浸っていたのに、その後もちょくちょく召喚されてしまうのだ。今日のように。

 

 なんなんだよ!

 俺、ただの便利使いかよ!


 ……おかげでこの世界のことがそれなりにわかってきたわけだが。


 俺は日本の元サラリーマン、現在絶賛無職、椥辻なぎつじ醍醐だいご。55歳。おっさんだ。

 ソフィーはダイゴという発音が難しいらしくと呼ぶ。

 俺自身のことは、後で語ろう。


 まずはこの異世界のことだ。


 ノイマン王国は、カールガウス大森林をはさんだ隣国、オイラー帝国と戦争状態にある。


 が、俺が知っている戦争とはちょっと違う。


 ざっくり言えば定期代表戦だ。


 戦争げつという区切りがあって、その期間だけカールガウス大森林を舞台に両国を代表する軍が交戦する。

 カールガウス大森林はどちらの国の領土でもない。

 というか、この世界は魔物や魔獣といわれる謎生物が多く、カールガウス大森林も魔物の生息地なので人間の支配が及ばない。

 そんな地域があちこちにあって、国と国とを物理的に分けている。

 人間からすれば、どこの国の所属でもない緩衝地帯なわけだ。

 だから、ここでの戦争被害は両国の直接的な被害にはならない。

 もちろん軍の損耗はあるが、国土や国民を失うわけではない。

 

 勝てば、相手国から戦争結果に応じた戦果――賠償金や資源、貿易権など――を得る。

 期間中に決着がつかなければ、引き分けだ。


 死傷者がいなければスポーツ交流戦のようなものだが、戦争は戦争だ。現に今さっきも俺は百人単位で人を殺した。


 ただ、大量殺人を犯している実感は薄い。

 俺は勝手に呼ばれただけで、直接手にかけるわけではないし、なによりどこか視聴者目線というか、ゲーム感覚で見ている。


 だって異世界なんだもん。


 召喚された後、ソフィの体の制御が俺に移る理由は不明だ。

 ソフィもそんな術式は組んでないと言う。

 たぶん、大魔法・運動量保存コンサーベイション・オブ・モーメンタムを使ってもなお魔力に余裕があるからじゃないかと推測している。

 俺の方が魔力が大きく魂が重いため、より肉体側に沈む=表に出てくるという理屈だ。

 ソフィは俺の召喚で魔力が枯渇寸前になっているから、魂側、つまり裏へ回り、一定量魔力が復活すると、俺を帰還させることが出来るようになる。

 そういうことではないかと。


 ちなみに、俺は術式なんて知らないから、魔法は使えない。

 魔力が大量に残っていたとしても、ただ無駄なだけだ。

 俺が現実世界に帰るには、ソフィにスイッチして転移術式を展開してもらわなければならない。


 肉体が死んでしまっては元も子もないので帰らなければならないが、正直、あんまり戻りたくはないんだけどね!

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