精霊の願い
『それはこっちの台詞だ。わたしの縄張りに人間風情が、気安く入ってくるでない』
複数の声が反響している。そもそも人間のように肉体がないのだから、音を発する器官もない。
実際に発している音と、念力が反射してそう聞こえるのだろう。
「それは失礼した。私は旅の魔法使い。ここに立ち入ったのも、事故みたいなものなの」
『魔法使い』
「うん」
黒く染めていた髪は銀色に、藍色の瞳は精霊と同じ、赤へと移ろう。
赤い瞳が交差し、精霊は口をへの字に曲げ、目を細めて不機嫌を露わにする。
『なるほど。まあ、来た時点でなんとなくわかってはいたがな』
精霊が不満げに左手を振ると、至って優しくサラを地上に降ろす。
乱れた髪を簡単に整え、前髪を雑に掻き分ける。すぐに首飾りをかけると、精霊は訝し気にこちらを睨む。
『げ。ドラゴンまで連れているのか』
『相変わらず図々しい生き物だな。妖精は自分たちを生物の上位だと思い込んでいるらしい』
リューが今までにないほどの嫌悪を前面に出している。というのも、古来ドラゴンと精霊は長きに渡る因縁があるらしい。
――かつて人間がこの世界に生まれるよりも前。ドラゴンは渓谷に、精霊は森に住んでいた。
それまでは互いに不干渉で、関わるようなこともなかった。しかし問題が起きたのは、ドラゴンの間にいくつかの派閥ができたところから始まった。
さらにその一派が渓谷を離れ、森に住処を移したことで、火蓋は切って落とされる。
受け容れられない精霊の怒りと、知らぬ存ぜぬと我を突き通すドラゴン。後のことは想像に難くない。
『傲慢なトカゲめ。貴様らが森を焼いたことで、どれだけの生命が脅かされたと思っている』
『貴様らもさして変わらぬわ。肉を持たぬ分際で』
偉大なるドラゴンと森を統べる精霊の、なんと程度の低い口喧嘩か。
ここまで知能が下がったリューを見るのは初めてで、サラは肩を落としつつ二人の間に割って入る。
「種族間の因縁はどうでもいいよ。私は早くこの森を出たい。危害は加えないし外にも話さないから、出してくれると助かるんだけど」
『……』
精霊は沈黙する。
もはや嫌いな人間と、憎きドラゴンに話すことなどない、といわんばかりに頬を膨らませてそっぽを向く。
これが千年を超えて生きる精霊の器量なのだろうか。
サラは言葉を発するでもなく、一際強い光の差す方へと踵を返した。
『待て。魔法使い』
精霊に呼び止められ、サラは足を止める。踵を返して振り返ると、なにやらそわそわと落ち着きのない姿が映る。
『この近くの村に行くのか?』
「宿があるなら、今日はそこに泊まろうと思う」
『……っ』
はっきりしない態度を浮かべる彼女。
なにか言いたいことはあるのだろうが、やけに口が重いらしい。
痺れを切らしたリューは「行くぞ」と催促する。サラは後ずさりながらも、精霊に背を向けた。
『その村のある男に、渡してほしいものがある』
ようやく口を開く。サラは黙って向き直り、妖精の瞳を覗き込む。
『わたしは人間が嫌いだ。彼らは大いなる自然に胡坐をかき、冒涜を繰り返してきた。人間はこの世界の害でしかない。いつしかそう考えるようになり、森に入る人間を追い返してきた』
弾んだ声色で精霊は心底嬉しそうに語る。最初に会ったときの対応といい、本当に人間が嫌いだと伝わる。
精霊は続ける。
『そんなある日、一人の少年が足を踏み入れてきた。どうやら周りの人間からいじめられたらしく、縮こまって泣いていた。その声が不快だから、少し悪戯をしてやった。したら――』
『お姉さん、誰?』
さきほどまで曖昧だった夢が少しずつ形となって、現実と融合していくような感覚。
憎いと思いつつも、心中にある興味を抑えることはできない。
そんな幼さの残る、寂しそうに森を揺蕩う人物。それが誰なのか、サラは確信した。
『そいつは、わたしを見たんだ。どうやら、やけに見える目を持っていたらしい。魔力なんて空っきしだったのにな。ある種の魔眼(まがん)持ちだったのだろう。……久しぶりだった。人に見られるのは。恥ずかしかったわけではないが、そのときはとっとと外に出した』
精霊の表情は、今までにないほど柔らかく、懐かしそうに笑っていた。
邪魔をしたがるリューを抑えつつ、サラは続きを促す。
『次の日も、そのまた次の日も奴はやってきた。あまりにしつこいんでわたしは、何故こんな森に来る? 食ってしまうぞ、とな。したら奴はこう言った』
『僕は変なものが見えるからバカにされる。いっそ殺してくれ』
『わたしは笑ったよ、人間は短い生命に固執する愚かな生き物だと思っていた。それがこんな子どもから死にたいなんて。本当に、人間はつまらん』
その思いはサラと似て非なるものだろう。
人間が嫌い、許せないと感じているのはサラも精霊も同じかもしれない。だが精霊が人を嫌うのはもっと別の理由に違いない。
サラは改めて問うた。
「どうして、そんなに人間が嫌いなの?」
『森に籠ってはいれど、各所を渡る精霊から事情は聞いている。群れを成し、国を作り、利益のために争う。その最中に奪われた自然も、様々な命すらも正当化してしまう。この世界のどの生物よりも弱く、ズル賢い生き物よ』
ゆっくりと溜まった感情を、少しずつ吐き出す毎に精霊の表情は怒りのものへと変わってゆく。
人間の文明が繁栄する。それは同時に、今まであった自然やその他の生物を淘汰することでもある。
そんな当たり前のことを忘れた人間を嫌い、こうして森から遠ざけている。
それは至極真っ当な理由で、サラにはそれを止める権利もない。
だがさっきの話からすれば、少なくとも彼女は人間を――
「その少年のことも嫌い?」
『ああ嫌いさ。嫌いだが……あの少年だけは別なのでは、とも思っている』
心の底から憎むようなドスの効いた声は徐々に和らぎ、表情から怒りが消えていくのが見て取れる。
『この村の住人はわたしの存在を認知していない。その少年も、きっと幼い頃の夢と忘れているかもしれない。だが、わたしにとっては初めてだったんだ。人間に見られ、一つの生物として話してくれた奴がもし生きていたのなら、これを渡してはくれないか』
気恥ずかしそうに目を逸らし、精霊はサラに一本の花を手渡す。
サラの瞳と、精霊の瞳と同じ色をした深紅の花びらを付けた薔薇の花。
見とれてしまうほどに美しく、愛の象徴と謳われるそれを渡したいらしい。
きっと精霊は、人間が付けた薔薇の意味を知らないのだろう。もしも知っていたとしたら、彼女はこれを選ばなかったはずだ。
「綺麗な花だね」
『当たり前だ。わたしの森で育った気高き花が、美しくないはずもなかろう』
「そうだね。それで、少年の名前は?」
『グランだ。土のような髪色で、弱々しい目をした男だ』
サラは頷き、踵を返して森の出口へと歩を進める。
その最中、サラは何かを思い出したように笑みを浮かべる。それにようやく自由を得たリューがすかさず突っ込む。
『あの精霊は妙だったな』
「そうじゃないよ。ただ、私もアリアに花を贈ったことがあるんだ。裏山に忍び込んで、一番綺麗な花を選んでね。きっと、あの精霊も同じだったのかな、と思って」
サラが精霊に出会うのはこれが初めてだった。
自然を支配する森の長に恐れを抱かなかったのは、きっと彼女だったから。
精霊という生き物であり、人間を嫌っている。
興味はあるのに、その一歩が踏み出せない。そんなどうしようもなく人間らしい一面があったからだろう。
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