桟橋にて
海岸には多くの船が停泊してずらりと並んでいる。一つひとつは小さくとも、港を覆い尽くさんばかりの数だった。
それを横目に見ながら、サラは桟橋の先に座り込み、意識を集中して海を凝視していた。
近くで見る海は峠から見ていたものとはまた違う顔を見せる。
深い青だと思っていたそれは、海の底を映し出すほど透き通り、風を受けて揺れる波の音が聞こえる。
その海の上に浮きが一つ、ぷかぷかと揺れている。サラはそれが動く時を、一本の竿を握りしめて待っていた。
呼吸を整え、生命の鼓動に耳を澄ませる。
餌に吊られてやってくる者たちを心の目で見据え、それらが目当ての針に食いつくのを、今か今かと待ち焦がれる。
「……今!」
勢いよく竿を引き、海の中から一匹の魚が姿を現す……はずだった。
陸に上がったのは餌を食い取られた針と、無力に静止した浮きのみ。
魚はそんなことは知らない、とでもいうように海面を去っていった。
「なんで……どうして釣れない!」
手に持った竿を強く握り締め、悔しそうに地団太を踏む。
かれこれ釣りを始めてから二時間が経過した。リューは何度も諦めるよう説得したが、当のサラは「一匹は釣らないと気が済まない」の一辺倒で竿を手離さなかった。
「おねえちゃん下手くそ~」
「う、うるさい。次は、次こそ釣れる」
いつの間にかサラの周りにはこの辺りの住民らしき子どもたちが群がり、黙々と釣りに励むサラを見て面白がっていた。
最初は応援こそしていたものの、飽きてきたのか今度はささやかな罵倒が飛び交うようになっていた。
いよいよ耐えられなくなったサラは、すくっと立ち上がり、一番近くにいた坊主頭の少年に竿を押し付ける。
「そこまで言うなら、やってみせておくれよ」
当の少年は軽い口調で「いいよ~」と返し、浮きのついた糸をひょいと投げる。
「生命よ。私の声が聞こえるならば、今すぐここから立ち去れ……」
『大人気ないぞサラ』
怪しげな指の動きで呪文を唱える魔法使いを、リューは冷静に制止する。
しかし、そうこうしている間にも、釣り竿を握る少年は肩を動かした。
「きた!」
掛け声と同時、勢いよく振り上げられた糸の先端に視線が集中する。そこには一匹の魚が空を舞っていた。
灰色の鱗をしたそれは地面に叩きつけられ、ぴちぴちと必死に身体をくねらせている。よし、と少年が握り拳をつくる様に、サラはあんぐりと口を開けていた。
「お、お前……何を使った? まじないか、それとも呪術か?!」
『おい』
負けず嫌いも極まり、相手が子どもだというのに、サラはあるはずもない疑念を口汚く飛ばしてしまう。
これ以上言わせると魔法についてのあれやこれを垂れ流しそうなので、リューは低い声で一喝を入れる。
「何故だ。何故彼にできて私にできない……」
「それはね、捕まえようとするからいけないんだよ」
悔しそうなサラの前に颯爽と現れたのは、竿を貸してくれた中年の男性。
焼けた肌に穏やかな顔つきをした彼は、サラに竿を握らせ、後ろを回ってサラの両手首を掴む。
これでは誰が釣りをしているのやら、と思いかけたところでサラは首を激しく横に振る。
「餌を撒いたら、そこに紛れ込むように入れる。生き物のように上下に軽く動かして、食いつくのを待つ」
そんなもので釣れるのか、と半信半疑になりながらも、大人しくその時を待っていた。
サラが一人でやっていたときとは違い、それはすぐにやってきた。
「きた、きたぞ!」
「まだだ。揺すって魚がしっかりと針を飲み込ませるんだ。そうすれば……それ引け!」
男性の合図とともに、サラは力任せに思い切り竿を引っ張った。
水しぶきが上がる。その上空には、彼女の顔くらいはあろうかという大きな魚が舞っていた――
サラはその一部始終に目を白黒させて見ていた。あんなにも粘っていたのに、彼の指導一つで簡単に釣れてしまった。
悔しさよりも驚きの方が勝り、サラはその場で固まってしまう。
「ど、どうして」
「こいつらだって生きてんだ。捕まりたくないに決まってる。だから魚釣りは、如何に魚を騙せるかが勝負だ。コツさえ掴んでしまえば、嬢ちゃんだって簡単に釣れるものさ。」
前にも似たようなことを、言われたことがある。
魔法は使おうとするものではなく、使わせてもらうのだと。
大いなるマナの力を分け与えてもらうことで、魔法使いはその力を振るうことができる。
これも同じように、食べ物を捕獲するということは、その生命を分け与えてもらうことで血肉となる。
そんな当たり前のことに、サラは改めて気付かされた。
「なるほど……確かに、これは奥深いな。おじさんも君たちも、教えてくれてありがとう」
ぎこちないながらも微笑むサラに対して、子どもたちはニカッと笑い返す。
「さ、残念ながらこれは食えない魚だ。きっちり逃がしてやらんとな」
手際よく魚の飲み込んだ針を抜き取り、元いた海へと放り投げられる。
折角なら獲れたてのものを食べたかったと、サラは名残惜しそうに見つめていた。
その様子を見るなり、男性は市場の方を指差す。
「市場から一番目の曲がり角に知り合いの料理屋がある。よかったら寄ってみな」
男性はサラの頭を掴み、またわしゃわしゃと豪快に撫でられる。
やや不機嫌そうな表情を浮かべつつも、彼は気にせずその場を去った。
子どもたちも手を振って別れを告げ、駆け足で市場の中へと消えてゆく。
残されたのは、不機嫌そうにその背中を睨むサラと、興味がないのか終始無言だったリュー。
ようやく口を開き、ムッとなりつつもどこか満更でもない顔をしている彼女を見据える。
『嬉しそうだな』
「こういうのは……なんというか、慣れていない。こんなに優しくしてもらうことはもちろん、住民との交流もしてこなかった。上手く言い表せないけど、いい村だな」
今まで触れたことのない人の温かさに、サラは戸惑っているようで、どこか落ち着かない仕草で指を交差させ、視線は海へと移る。
だが、同時に考えてしまう。
「でも、彼らは私のことを知らない……もし私が魔法使いだと知ったら、彼らは同じ態度で接してくれるのだろうか」
それが限りなく薄い希望だと、サラは知っている。
けれど初めて触れた優しさに心が揺らいで、そんな希望すらもあるのではと考えてしまう。
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