名もなきドラゴンの生命
この世界が大地と海に分かれた頃。草木が芽吹き、陸に生物が誕生したとき、既にドラゴンという種は生きていた。
他の生物を圧倒する知能と体躯、そして人間が魔法と呼んでいるそれを使いこなす。生物における階級の最上位生物。
しかし人間が生まれ、文明を築いてからというもの、欲に眩んだ人間たちに悉くが殲滅され、海を渡って最果てへと住処を移した。
今ではその影もないことから、彼らは幻想種と呼ばれ、現代まで語り継がれている。
それがこうして水晶の中とはいえ少女の前にいる。その事実を、容易には受け止めきれずにいる。
「まさか、この世界の幻想種が一体とは。道理でマナも濃いわけか……それにしても、どうしてこんなところにドラゴンが?」
サラが首を傾げて問うと、ドラゴンはバツが悪そうに言葉を濁らせる。
『我とて好きで封印されているわけではない。これも、欲深き人間の仕業よ』
「なら、どうして殺されなかったの?」
純粋な疑問を投げかけたつもりだったが、ドラゴンは不服そうにサラを睨んだ。
いくら水晶の中とはいえ、視線を向けるだけでも相当な圧がある。
「気分を損ねたのならすまない。悪意はなかった」
『それくらいは分かる。ただ、思い出すにも怒りが湧く』
怒り冷めやらぬ、といった様子のドラゴン。
サラは怯えながらも、細々とした声で問うた。
「聞いてもいいかな? どうして封印されたか」
再び、ドラゴンの目はぎょろりと動く。暫しの静寂が挟まり、ドラゴンの視線は外れた。
喉を鳴らしつつ、ドラゴンはゆっくりと、記憶を辿るように語り始めた。
『我がここに住み始めたより後、この近くに大きな人間の国ができた。人間には関わるまいとひっそり暮らしていたが、その国の王は我に目を付けた。我は元より戦うのを好まぬが、巣に無断で入り込むならばと追い返した』
「それで、封じられた?」
『不本意ではあったがな。か弱き人間ならばまだしも、そこには優秀な魔法使いがいた。そいつは我をこの水晶に封じ込め、マナを吸い取る術式を施した』
それは……と、サラは言いかけて口を噤む。
このドラゴンはいずれマナが尽き、死ぬ運命にある。彼も十分に理解しているであろうことだった。
しかし彼はサラの考えもお見通しのようで、皆までは言わせなかった。
『おそらく、あの国の人間は我のことなど忘れているだろう。この洞窟に人が入ってくるなど思いもしなかった。お前のような物好きはやってきたがな』
その声色はどこか弾んでいて、向けられた視線には敵意などなかった。
死に向かう恐怖は平等だ。人間もドラゴンも、きっと変わらない。
「……私はサラ。サラ=メルティア。魔女狩りの後に生きる魔法使い」
『サラか。いい名だ。最期にお前のような者と話せて、我は嬉しい』
虚しさと、やりきれない悲しみに満ちた視線にサラの胸がちくりと痛む。
これはどこかで感じたことがある――あの日の、サラと似ている。
大切なものを奪われた。生きる意味を失って、亡霊のようにこの世界を彷徨っていた。
その苦しみを、孤独という病を、サラは知っている。
「あなたの願いは何? もしかしたら、叶えられるかもしれない」
ドラゴンは押し黙る。どうせこんな小さな人間にできるはずもないとほくそ笑んですらいた。
しかし自然とドラゴンの声は、心はその言葉を発していた。
『そうさな……できるならもう一度、大地を見たい。様々な生命が芽吹く大地を、どこまでも広がる我らの空を、この翼で翔けたい。なんということはない、平凡な願いだ』
「わかった。その願い、叶えてみせよう」
『なに?』
言いきったサラの表情は自信で満ち満ちていた。
たとえ目の前のドラゴンが動揺していようと、無理だと決めつけていようと、サラはそれをやり遂げねばならないという義務を自らに命じた。
「この封印は魔法使いが作ったんでしょ? なら、解除もまた魔法使いの私が適任。違う?」
『弱ってはいるが、我でも壊せない強固な封印だぞ。それをお前のようなひよっこに解けるものか』
「わかってる。けど……孤独に震える者を放ってはおけない」
強い眼差しでそう言い放つと、サラは近づいてドラゴンの封じられた水晶に触れる。
同時に理解する。これは生半可な術式ではない。
何重にも縛られた鎖のようなそれは、一つ一つを丁寧に解かねば永遠に雁字搦めのままだ。
数日……いや、数年はかかるかもしれない。やはり、サラはまだ未熟な魔法使いなのだと気付かされてしまう、そんな封印を目の当たりにした。
追い打ちをかけるように、ドラゴンは言う。
『わかっただろう。懲りたらさっさと去れ。我のことは忘れ、自由に生きるがいい。人間の生命など短いものだ』
「でも……このまま死んでいくなんて、私には耐えられない」
必死に、半ば躍起になって、サラは術式の解除を試みる。
かといって手当たり次第というわけでもない。絡まった紐を解くように、慎重に、繊細に。
サラは全神経を集中させ、やがてドラゴンの声も聞こえなくなるほどに没頭していった。
一つ、また一つと術式が解除されてゆくのは心地よかった。少しずつゴールに近づいているような気がして、その一歩を踏み締める。
術式に触れすぎた痛みも、眠気も、空腹すらも遠くのものになってしまう。もはや、集中しているかも――
『起きろ、サラ』
すり減った無音の心にドラゴンの声が鳴り、ようやくサラは眠っていたことに気が付く。
指先は火傷だらけで、底知れぬ空腹が唸りを上げる。生命力の高い魔法使いといえど、流石に限界のようだった。
「ごめん。気を失っていたみたい。さあ、続きをやろう」
霞む視界を奮い立たせ、再び水晶の前へと座り込む。
が、当のドラゴンはそれを良しとはしなかった。
『何故そこまでする。人間は自己中心的な、薄汚い生き物であろう』
サラの脳裏に過ぎるのは、あの日、噴水のある公園に集まった人々の顔。
大切な人を殺し、それに歓喜した醜い人間たちの顔を、サラは鮮明に覚えている。
だが――サラは手のひらを胸に当て、囁くように言う。
「私は、ある人に助けられた。その人は行き場のない私を拾って育ててくれた。彼女が私にしてくれたように……私は、優しく生きたい。相手が人間でも、ドラゴンでも同じこと」
優しい眼だった。赤く揺れる瞳の奥に映るは、一人の女性。
サラの恩師であり、憧れであり、最愛の人。
一日でも早くあの人に近づけるようにと、サラは必死に生きてきた。
だからこうして、名も知れぬドラゴンにさえ手を伸ばす。
そんな健気な姿勢に、もはやドラゴンが返す言葉はない。その代わりに、彼はある提案を持ち込んだ。
『我がまだ空を翔けていた頃の力が戻れば、このような封印は内側から破れよう』
「魔力を譲渡すればいいの?」
『それでは足りぬ』
足りない。それ以上とはなんなのか、サラには見当もつかず、ただ首を横に傾ける。
ドラゴンは、こう続けた。
『お前、我と契約を交わす気はないか』
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