第22話 文月栞、海へ行く。
前回までのあらすじ。
最終的に
結局、文月栞の五日連続という驚異のデート勝負はなかったことになり、彼女の貴重な五日間は無駄に浪費されて終わったのであった。
そのデート勝負が無になったお詫びに、
いきなり水着を用意しろと言われ、慌ててショッピングモールで準備をした。先輩は本当にそういうとこ、配慮が足りない。
それどころか「わたくしが水着をご用意しましょうか……?」などとセクハラめいたことを言われて、本当にお詫びの気持ちがあるのかと問いたい。
絶対ろくでもない水着をご用意されてしまうのが目に見えていたので、丁重にお断りし、自分で買いに走ったわけだ。
……まあ、せっかくの夏休みだし、海には一度は行きたかったのが本音だ。
プライベートビーチというくらいだから人もいないんだろうし、人混みを気にせずゆっくり海水浴が楽しめるというのは正直嬉しい。
神楽坂先輩と一緒というのは不安要素ではあるのだが、まあ
私は桐生先輩に全幅の信頼を寄せていた。
なにせ桐生先輩は私に恋愛的興味はないと断言しているのだ。興味がないと言われてこんなに嬉しく思うのは、今年
なにはともあれ、私は今朝神楽坂先輩のお迎えの車に揺られながら、プライベートビーチに向かったのである。
「栞さん、本日は我がプライベートビーチにおいでくださりありがとうございます」
神楽坂先輩はいつもの優雅な笑みで私を出迎えた。
波に光が反射してきらめく青い海。ゴミひとつ落ちていない白い砂浜。ビーチパラソルが立てつけられ、丸く白いテーブルにはトロピカルジュースが用意され、これまた白いビーチチェアがパラソルの日陰に置かれている。ロケーションとしては完璧だ。おみくじ町周辺にこんな場所あったのか。
「…………で、なぜあなた方もいらっしゃるのですか?」
神楽坂先輩の口の端が少し引きつったのが見えた。
そう、このプライベートビーチに招かれた客は私だけではなかった。
「当方がご招待いたしました。緋月様と文月栞だけでは寂しいかな、と。善意です」
「桐生ゥゥゥ!」
要は、いつものメンバーが揃ってしまったわけである。
桐生先輩、いい仕事しますね。
曽根崎は一応危険人物のひとりではあるが、銀城先輩と猫春がいてくれれば心強い。
いざとなったら桐生先輩も加勢してくれるだろうし、私の身の安全は保証されたようなものだ。
……それにしても。
海なのだから当然全員水着姿なわけだが、男性の水着姿は異性の私にはまぶしいものがある。男性の上半身裸とかなかなか見る機会ないし。
曽根崎はすでにトランクスタイプの海パンに、上半身は何も着ていない。
銀城先輩は学校用の水着を着てきたようである。お金をかけたがらない先輩らしいっちゃらしい。
神楽坂先輩もトランクスタイプの水着だが、上半身にはアロハシャツを羽織っている。
桐生先輩は泳ぐつもりはないらしく、ワイシャツにベストとズボン姿である。暑くないのか、と思うが汗一つ流していない。
猫春はTシャツと短パン姿だった。「僕、泳げないんです」と彼は言っていた。
「栞さん、そのワンピース姿も素敵ですが、そろそろ水着に着替えていただいても……?」
神楽坂先輩は期待に満ちた目で私を見る。
「え、これ水着ですけど」
「え」
「ワンピースタイプの水着、ご存知ありませんでしたか」
たしかに見た目は普通の衣服となんら変わりはないのだが、水着としても使えるし、もちろんこのまま泳げる。
ワンピースの下は短パンタイプの水着も装備しており、完璧な布陣だ。
「それは……帰りはどうするおつもりで……?」
「速乾性があるので少し日光浴すればすぐ乾きますのでご安心を。上からTシャツとスカートを履けば車の座席に海の塩がつく心配もありませんし、いやあ便利な時代になったものですね」
Tシャツとスカートはあらかじめカバンの中に入れてある。完璧すぎて怖い、怖いわ~。
「それは……便利ですね……はい……」
神楽坂先輩はあからさまに落胆していた。
「ちぇ~、栞ちゃんのビキニとか期待してたんだけどな~」
曽根崎は頭の後ろで手を組んで唇を尖らせる。
「喧嘩してた頃の古傷とか
「それこそ顧客の求めていたものですよ!?」
「神楽坂先輩は別に顧客じゃないでしょ」
なんだ、顧客って。
傷といえば、銀城先輩の身体にもいくつか古傷があった。歴戦の戦士って感じの雰囲気が出ている。流石に格闘技やってると傷の一つや二つできるものだが。
「で、これからどうするんだ。泳ぐのか、砂遊びでもするのか」
銀城先輩の言葉に、曽根崎と神楽坂先輩の目がギラリと光る。
「じゃあ、俺と一緒に泳ごうよ、栞ちゃん」
「いえ、栞さんはわたくしと波打ち際でも散歩しませんか」
二人に同時に腕を掴まれ、私は大岡裁きの状態になる。
「わ、私、ジュース飲みたいな~……なんて……」
「ジュースですね? こちらにご用意してあります」
「ビーチチェアもございますので、こちらにお座りください」
神楽坂先輩と桐生先輩がテーブルのほうまで案内してくれる。……私にも既に見えてるけど。
「桐生、フルーツの準備を」
「はい、緋月様。マンゴーが食べ頃でございます」
「じゃあ、俺が栞ちゃんに食べさせてあげるね?」
「文月、暑くはないか?
「ぼ、僕は何をすれば……」
男性五人に取り囲まれ、いたれりつくせりの状態である。なんだこれハーレムか?
「あの……落ち着かないんですけど……」
「ふふ、良いのですよ、おとなしく享受していれば。栞さんの貴重な五日間を無駄にしてしまったお詫びなのですから」
お詫びになっているのだろうか、これは。
私が落ち着かないのに一方的に厚意を押し付けられても困惑するばかりである。
金持ちには平凡な庶民の気持ちはわからないんだろうな。
「猫春くん、岩場でウニでも捕りましょう」
「栞さん、それ密漁ですよ」
私は猫春の手を取って男の群れから少しでも離れようとする。
「待て文月、自分も同行する。岩場で足でも滑らせたら危険だ」
と、ついてくる銀城先輩。
あとの三人は? と歩きながら後ろを振り返ると、曽根崎と神楽坂先輩は私が飲んでいたジュースのストローを奪い合っていた。桐生先輩は神楽坂先輩の傍らに黙って控えている。
あ、あいつら……。
頭を抱えたくなってきたが、とりあえずストローを
とりあえずあの三人から離れて、プライベートビーチの端っこにある岩場にやってきた。ちょうど潮が引いたところで、岩のくぼみに海水がたまり、そこに小さな魚や貝が置き去りにされている。天然の水槽だ。
「ウニでも捕ろう」というのはあくまで冗談である。実際にウニはいたのだが、食べるつもりはない。密漁は犯罪である。
「文月、君は泳ぎは出来るのか?」
不意に、銀城先輩がそう訊ねた。
「二十五メートルのプールを往復できる程度には泳げますよ」
「なら、遠泳でもしないか? あの島まで」
銀城先輩が指差した先には、島……というか大きな岩のような影が見える。
「猫春くんが泳げないのに、置いてけぼりにしたら可哀想ですよ」
「あ……栞さん、遠慮しなくていいですよ。僕はここで見てますから」
むしろ猫春のほうが遠慮がちにそう申し出る。
「私は、猫春くんと一緒がいいんです」
「!」
私のストレートな言葉に、猫春はカッと顔を赤らめる。
「ふむ、自分が付け入る隙は無しか」
銀城先輩は、むしろ面白そうに笑っていた。銀城先輩が笑うのは珍しい。この人は逆境にいるときにこそ笑みを浮かべるタイプである。
「そんな泳ぎも出来ない貧弱なモヤシのどこが好きなんだ?」
銀城先輩の無情な一言は、猫春の心にクリティカルヒットしたらしかった。もともと気弱な猫春は、痛いところを突かれて今にも血を吐きそうな顔をしている。
「銀城先輩、言葉選びには気をつけましょうね。……怒りますよ」
初めて会ったときから思っていたが、先輩は人とのコミュニケーションが下手である。だから友人は曽根崎しかいない。
多分悪気はないのだろうが、言い方がストレート過ぎるというか、オブラートに包んだ表現というものを知らない。もっと本を読んで語彙を増やしたほうがいい。
「猫春くん、水泳の練習しませんか? 言われっぱなしは性に合いません」
別に私自身が言われたわけではないが、猫春を馬鹿にされるのはむかっ腹が立つ。
「え、いいんですか? せっかく遊びに来たのに、僕の水泳の練習を見てくださるなんて……」
「泳げるに越したことはないですからね。今の世の中、何が起きるか分かりませんし」
異常気象や天変地異が頻繁に起こるようになった現代である。もしかしたら水害で溺れる危機もあるかもしれない。
岩場から少し離れた場所で、チャポン、と海に足を沈める。
「まずは浅瀬で練習しましょう。私が両手を持ちますから、だいじょう、ぶ、」
ポチャン、と突然私の身体が深く沈んだ。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
どうやら、浅瀬は狭く、少し歩いただけでいきなり深みに落ちたらしい。
おまけに海底で何かに足を挟まれた。巨大な貝……!?
しまった、うろたえてゴポゴポと息を吐いてしまう。
なんとか腕の力だけで海面まで上昇した私を、銀城先輩が海に飛び込んで陸へと引き上げる。
「文月! 大丈夫か!?」
「ど、どうしよう……!?」
「中島! 君は桐生を呼んでくるんだ! 早く!」
海水を飲みすぎて、銀城先輩と猫春の声が遠くに聞こえる。
私の意識は、そこで途絶えた。
次に目を覚ましたとき、顔のすぐ近くにイケメンの顔があった。
「っ……!? ッゲホッ、ゲホッ」
私は
「ご無事ですか、文月栞」
「あんまり無事じゃないです……」
「生きて人語を話せるならご無事と判断します」
桐生先輩が私の身体を支えて……というか、抱きかかえている。どうやら、先輩に助けられたらしい。
「あの、私、なんかすごいデカイ貝に足を挟まれて……」
「シャコ貝ですね。こういった事例はたびたび報告されております。当方がナイフで貝柱を切断いたしました」
桐生先輩はフルーツを切っていた果物ナイフを見せる。貝柱を失ったシャコ貝は口を大きく開けたまま私の足元に転がっていた。
「ああ、おかわいそうに……貝に挟まれた痕が痛々しく足首に残っておりますよ」
どこからかニュッと現れた神楽坂先輩が私の足首を撫でる。
「あの、桐生先輩……また助けられてしまいましたね」
「そうですね」
桐生先輩はそっけなく答える。
「桐生先輩ズルいぞ! 栞ちゃんに人工呼吸するなんて!」
曽根崎が悔しそうに人差し指を突きつける。
は? 人工呼吸……?
「曽根崎逢瀬くん、人工呼吸はあくまで人工呼吸に過ぎません。応急処置を
「ええ、人工呼吸はキスではないですから、ノーカウントですよね、桐生?」
「はい緋月様、ノーカンですノーカン」
そうだね、ノーカンだね。四度目のキスまで奪われたなんて思わなくていいよね。
「ごっ、ごめんなさい、栞さん! 僕のためにこんな……」
「いえいえ、もともと私が泳ぎの練習をしようと誘ったんですし、深みにハマったのも自業自得です」
「でも……」
「いえ、わたくしもホストとしてもっと注意すべきでした。岩場の近くが急に深くなることは知っていたのですが、まさか泳ぐとは思っておらず……」
神楽坂先輩は珍しくシュンとしていた。
まあ、神楽坂先輩は曽根崎とストローを奪い合っていたから、気づかなくてもしょうがない……。
……いや、しょうがない理由になるか? それ。
「一度、神楽坂グループの経営するホテルに向かいましょう。ホテル内に小さなクリニックがあるので、栞さんはそこで少し手当を受けたほうがよろしいかと」
ホテルは車で数分もかからないすぐ近くにあった。プライベートビーチの近くにホテルなんて建ててもほとんど神楽坂の血縁しか使わないので、実質別荘のようなものである。
その中にあるクリニックで診察を受け、貝に挟まれた足首は大したことはなかったが一応包帯を巻いてもらった。歩行も問題ない。
「ホテルの部屋を一人一部屋ずつ取っておきましたので、少し休憩していきましょう」
神楽坂先輩が、ひとりひとりに部屋のカードキーを渡す。
「どうせなら夜までここで休んでいかないか? 実は花火セットを持ってきているんだ」
銀城先輩がリュックの中からガサッと花火の詰め合わせの袋を取り出す。
「夏の思い出に花火、いいですねえ」
「栞さんが望むならそう致しましょうか。桐生、なにか必要なものがあれば用意しておいてください」
「かしこまりました。手持ち花火ならバケツと水が必要ですね」
おそらく神楽坂先輩は手持ち花火は初めてなんだろうな、会話から察するに……。
そうして私たちは、使う客なんてほとんどいないだろうに無駄に豪華な部屋で夜まで休息を取ることになったのである。
その日の夜。
プライベートビーチの砂浜で、小規模な花火大会をすることになった。
曽根崎はふざけて手持ち花火を振り回しているが、良い子は真似をしてはいけない。
銀城先輩はヘビ花火に火を点けているが、正直あの花火って何が面白いんだろう……。
私と猫春くんは、向かい合って線香花火をただただじっと見つめている。
「そろそろ打ち上げ花火を致しましょうか。桐生、点火を」
「はい」
打ち上げ花火を少し砂に埋めてなるべく垂直にし、導火線に火を点ける。
ヒュゥゥゥ……パァン、と、夜空に花が咲く。
――キレイだ。
この夏休み、祭りやらデート勝負やら色々あったけど、長かったような短かったような、変な気持ちだ。
でも、終わりよければ全て良し、なんだかんだで充実した長期休みを過ごせた気がする。
「あーあ、夏休みが終わっちゃうの、なんか寂しいなあ」
黒い海を眺めながら、曽根崎は言う。
「結局栞ちゃんとあんまりイチャイチャできなかった気がする」
「いや、充分でしたよね?」
「わたくし、あの屈辱は一生忘れませんよ」
神楽坂先輩は恨みがましい目で私を見る。
「あのデート勝負で一番お金をかけたのは間違いなくわたくしですよね?」
「カネかけりゃいいってもんじゃないんですよ先輩。特に私のような物の価値もわからない庶民にはね」
私は涼しい顔でそう答えた。
「っていうかいつまでデート勝負のこと引きずってるんですか。アレは無効試合なんでしょう?」
「そうだそうだ~」
「曽根崎くんは最下位ですから無効になってよかったですね」
「なんだと~!」
ガルル、と威嚇し合う学園一のイケメンと学園の王様。
海へと向かって吹いていく夜風の中、私は踊るようにくるりと回った。
すっかり乾いたワンピースは風に煽られ、ふわりと舞う。
その光景に、男五人は
「……すっかり暗くなりましたし、神楽坂先輩、送ってくださいます?」
「ええ、もちろん」
神楽坂先輩は私の前にひざまずき、執事のようにうやうやしく私の手を取る。……いや、執事役は桐生先輩だから、『執事のように』という表現もおかしいか。
そして、私たちは六人乗ってもまだ余るほど広いリムジンに乗り込み、帰路につくのであった。
〈続く〉
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