学園一のイケメンにつきまとわれています。

永久保セツナ

これは、目立ちたくない少女と五人の男たちの物語である。

4月編

第1話 文月栞は空気になりたい。

 おみくじ町、末吉高校、一年A組の教室。

 私――文月ふみづきしおりは、窓際の一番うしろの席で読書に励んでいた。

「文月さん、何読んでるの?」

 私は基本ぼっちだが、たまにこうして、クラスの和を尊ぶ人が話しかけてくれることもある。

「旧約聖書」

 私はそう答える。

「……キリスト教徒なの?」

「いえ、別に」

「……面白い?」

「読み応えはあると思います」

「そ、そうなんだ……ふーん……」

 そう言って、事なかれ主義の女の子は私の元を去って、また仲間の輪に戻っていく。

 せっかく話しかけてくれたのに申し訳ないな、と思いつつ、私はまた読書に戻る。

「ねえねえ、逢瀬おうせくん、登校してきたって!」

「挨拶しに行こ~!」

「どうせこの教室来るじゃん」

「だって~、私一人じゃ恥ずかしいんだもん」

 女の子たちがにわかに騒ぎ始め、教室を出ていく。

 青春してるね~、と他人事ひとごとのように思いながら、私は旧約聖書を読み進めていた。

 高校に入学した四月はまだ始まったばかりだが、私はうまくクラスに馴染めていた――友人ができたとかではなく、教室の空気として、だ。

 でも、これでいい。

 私はこの高校の三年間を、地味に目立たず過ごそうと決めていた。

 そのための銀縁の伊達だてメガネと、みつあみにした黒髪。どこからどう見ても、おとなしくえない文学少女。それが私である。

 私はこのまま、一年A組の空気として、静かに孤独に暮らしていくはずだった――あの男に目をつけられるまでは。

「今日は委員を決めます」

 私達と同じ教師になりたてピカピカの新任女教師が、気合十分と言った様子で張り切っている。

 学級委員、保健委員、風紀委員……。

 今どきの若者はこういうものに立候補するのに消極的と聞くが、このクラスは随分と協調性があるらしく、ポンポンと順調に決まっていく。

「――では、図書委員をやりたい方はいますか?」

 私は速攻で手を挙げた。この図書委員こそ、私の一番やりたい委員である。

 本に囲まれ、貸し出し手続きをする以外は本を読んで過ごせる最高の環境。何より私向きの委員である。

 しかし。

「じゃあ、俺もやります」

 同じクラスの男子高生が手を挙げる。

 うげ、と思った。

 ――曽根崎そねざき逢瀬おうせ。朝、登校しただけで女の子たちにキャイキャイ言われていた、あの男だ。

 なんでも、『学園一のイケメン』の異名を持つとか持たないとか。

 たしかに顔はいいのだが、学校に金髪で長髪というのはいかがなものか。

「曽根崎くん、学校では髪を黒に染め直しなさいって言ったでしょ!」

 思ったとおり、担任の女教師は曽根崎くんを叱る。

「あはは、これ地毛じげなんで」

「嘘おっしゃい。地毛証明書提出してないでしょ」

「お願い、こんちゃんセンセ、見逃して?」

「うっ……」

 自分より背の高い男が、教卓に肘をついて上目遣いに見つめると、実習生を卒業したばかりの新任教師――今ちゃん先生というあだ名で呼ばれている――は、わずかに顔を赤く染めてたじろいだ。

「あーっ、今ちゃん先生、逢瀬くんに色目使ってる~!」

「い、いいい色目なんて使ってませんっ!」

「いいなー、今ちゃん先生ズルい~」

 女生徒たちは面白がって口々に騒ぎ立てる。

「と、とにかくっ、図書委員は文月さんと曽根崎くんの二人で決まりね! はい次!」

 どうやら私は無事に図書委員になれたらしい……が、曽根崎くんと一緒、というのが気がかりである。

 なーんかチャラそうだし、ちゃんと仕事してくれるのかな……。

 不意に、曽根崎くんがこちらを振り向いて、口をパクパクさせた。口の動きを見るに「よろしくね」と言いたいらしい。

 私はあんまりよろしくしたくない。

 不安を抱えながら、私は黙って他の委員の決定を見守った。


「ねえねえ逢瀬くん、今度遊びに行こうよ~」

「あ~っズルい、私も~!」

 ――不安、的中。

 図書室の貸し出し受付に並んで座る私と曽根崎くん、そして曽根崎くんの周りにたかる女子高生の群れ。

 曽根崎くんはこの状態では仕事にならないし、なにより図書室の静寂が乱される。

「あ、あの……図書室ではお静かに願います……」

「るっさいブス」

 控えめに注意すると、暴言が返ってきた。イラッ……と、私は受付の机の下で拳を握りしめる。

 ダメかなこれ、殴っちゃダメか? いやいや、冷静になれ私、クールになるんだ。

 ……もう、『あの頃の私』には戻らないと、固く自分に誓ったじゃないか。

 必死に怒りを抑えている、そのときだった。

「――今、栞ちゃんのことブスって言ったの誰?」

 何故か曽根崎くんが怒りをにじませた、硬く冷たい声で問いかけた。

 ピシッ、と空気が凍った気がする。

 女の子たちは動揺した表情を浮かべ、困惑していた。

「え? ど、どうしたの逢瀬くん……?」

「俺は栞ちゃんと一緒に図書委員やりたくて立候補したの。邪魔するんなら帰って?」

 曽根崎くんの言葉に、女の子たちはさらに動揺する。

「え、なに、逢瀬くん文月さんを狙ってるの?」

「いや、流石にジョーダンっしょ。あはは……」

「本を借りるの? 借りないなら帰って」

 曽根崎くんはズバッと女の子たちを切り捨てる。

「わ、わかったよ。逢瀬くん、また来るね~バイバイ」

 女の子たちは逃げるように去っていく。

「ふう……ごめんね、栞ちゃん」

「いえ」

 私は短くそっけなく、そう返す。

「あ、俺のことは敬語使わなくていいよ、同じ学年なんだから」

「いえ、曽根崎くんは一個上ですから」

 なんでも、本来は二年生のはずなのだが、留年して一年生をやり直しているらしい。……高校一年生の時点で留年とか、ヤバくないか。チャラそうだし、おそらく勉強が出来ないのか素行が悪いかのどちらかだろう。

 ……まあ、私が言えたことでもないか。

「すいません、貸し出しお願いします」

 女の子たちにビビって受付に近寄れなかったらしい生徒が、申し訳無さそうに本を持ってくる。

「はい、少々お待ち下さい」

 そうして私達は、図書委員の仕事に戻ったのであった。


 ――下校時刻、午後六時。

 図書室の電気を消し、施錠する。

 あとはこの鍵を担当の教師に渡して、帰り支度をするだけ。

 曽根崎くんは「栞ちゃんのかばんも持ってくるよ」と、教室に戻ってしまった。

 プレイボーイなだけあって女の子への気遣いはあるらしい。

 ……図書室の鍵をかけているときから、人の気配は感じていた。

「文月、ちょっと話があるんだけど」

 一度、曽根崎くんに怒られて退散したはずの女生徒たちが、振り向いた私をにらみつけている。

「アンタ、逢瀬くんに守ってもらえて、いい気になってるんじゃないでしょうね」

「そんなことはありませんが」

「逢瀬くんに手出したら許さないわよ、この陰気女!」

 そう叫んで、女生徒のひとりが私にバシッと平手打ちをする。

 ――その手は、旧約聖書に防がれていた。

「旧約聖書、正直なところ内容は個人的には面白いとは言えませんが――まあ娯楽小説ではないのでそれは仕方ないとして、分厚いのは便利ですね。こうやって、攻撃が防げる」

「……!?」

「アタシはあんなチャラ男、好みじゃねえんだが……喧嘩売るなら買うぞ?」

 私は銀縁の伊達メガネを外して、眼光鋭く女生徒の群れを睨み返す。雰囲気の変わった私に、女生徒たちはたじろいだ。

「言っとくが、アタシに喧嘩売ろうってんなら、覚悟しとけよ。アタシは男でも女でも容赦なく顔殴るし、股も蹴るからよぉ……」

 きっと私は下卑げひた笑いを浮かべているのだろう。女達が皆一様に、怯えた顔をしていたから。

「な、なんなの、この女……」

「こわーい。行こ行こ」

 女達はそそくさと逃げていく。

「……あー、高校デビュー失敗だな、こりゃ」

 私はハァ、とため息をつきながら、メガネをかけ直す。

 メガネを外したのは、脅しの演出のためでもあったが、メガネが割れるのを防ぐためでもあった。破片とか目に入ったら危ないし。

 伊達メガネなのであってもなくても困らない代物しろものではあるが、地味キャラを演じるには一番お手軽なアイテムである。

 ――私は、空気になりたかった。目立ちたくなかった。それを、ここでつまずいてしまうとは。

「栞ちゃんは相変わらずかっこいいね」

「!?」

 落ち込んでいた私に、誰もいないはずの静寂に、突如そんな声が降りかかる。

「曽根崎くん……いや、曽根崎。お前、もう戻ってきたのか」

「いやぁ、絶対あの子達、栞ちゃんに喧嘩売るだろうと思ったから、早く戻らなくちゃって急いできたんだ。でも、あの頃の栞ちゃんが見れて嬉しいよ」

 曽根崎は、自分と私のかばんを両手にげている。少し息が上がっているようだ。教室から急いできたというだけでなく、どことなく興奮している……?

「……お前、何者だ? なんで昔のアタシを知ってる」

 私はメガネをかけたまま、正面から曽根崎を見据える。

 この高校には、昔の私を知っている知り合いはいないはずだ。そのために少し遠い高校にしたのだから。

「あー、覚えてないかあ、そっかあ。……昔、俺は栞ちゃんに助けてもらったことがあるんだよ」

 曽根崎は私の睨みなんて効果がないようで、はにかんだ顔を人差し指でかく。

「覚えてねえな」

「小学校の頃の話だし、あの頃の俺はチビでデブだったもんね、仕方ないか」

 曽根崎は少し寂しそうに笑った。

 小学校の頃の記憶なんて、男子児童と殴り合っていたことしか覚えていない。

 同級生だろうが、上級生だろうが関係ない。私は暴力の権化ごんげだった。

 殴って、殴り返されて。蹴って、蹴られて。相手が泣いて降参し謝罪するまで暴力を繰り返す。

 だから、その中に人を助けた記憶はない。あるとして、売られた喧嘩を買ったときにたまたまそういう状況になっただけだろう。つまりは、私に関係のないこと。

「――で、中学でダイエットと身長を伸ばすように頑張ってたら、いつの間にか学園一のイケメンだって、笑っちゃうよね。みんな、俺をいじめてたくせに、手のひら返しちゃってさ」

「……」

 私の思考なんてお構いなしに話を続ける曽根崎に、私は沈黙を返す。興味がない。

「でも、栞ちゃんだけは俺を助けてくれた。『ナメられてんじゃねえよ、格闘技でも習え』ってアドバイスしてくれて。俺、嬉しかったよ」

 アドバイス? こいつと話したことがあるのか。覚えていない。私の昔の記憶は、あまりにも暴力の色に塗りつぶされている。

「ああ、そう。恩に感じるのはまあどうでもいいとして」

「どうでもよくないんだけどなあ」

 私の言葉に、曽根崎は苦笑する。

「いいか、昔のアタシのことをバラしたら、テメェでもタダじゃおかねえぞ。学園一のイケメン様とやらの顔面デコボコにしてやるからな」

 私は眼鏡越しに睨みをきかせる。

「怖い怖い。言わないよ。俺と栞ちゃんだけの約束。うん、いい響き」

「お前気持ち悪いな」

 なんでこいつは脅されてこんな嬉しそうなんだ?

 こうして、私――文月栞は、平穏無事な学園生活のために、学年一のイケメンと密約を交わしたのであった。


〈続く〉

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