因果の転がる先
ハナミズキの集まりが元に戻り、街には平穏が戻りつつあった。
オオガネ教の真鍮の位を持つ者の突然の来訪、オオガネ教主催の祝典、そして天秤の儀式中に不幸な事故。
この数日間はまさに目まぐるしい日々であった。
一時は街中にオオガネ教への不審感が漂っていたのだが、今ではその雰囲気も薄れている。
その理由としては、告発された水城が何度も教会に通っているという影響によるものだ。
あれだけの事があったにも関わらず、彼女は子供達と一緒に教会で小さな演奏会を開いている。
最近は他のクラスメイトも興味を持ったのか、一緒に演奏の練習をしていたりもする。
あれだけのことがあったのに何と無用心だということで、彼女を好んでいる歳の近い若者達が彼女を守るために集まっていたりする。
それが青年団である。
いざとなれば、その身を挺して彼女を守ることだろう。
普通であればここまでのことはしない。
だが、あの事故はあまりにも出来すぎていた。
偶然ではなく、運命や奇跡…神の意思だと錯覚した者達がいても不思議ではないだろう。
だからこそ、彼女の近くであれば安息が約束されていると思う人々が増えている。
彼女の起こす奇跡、その恩恵にあやかろうとしている人々が。
ハナミズキの集まりが教会に通うことで、自然と他の人も教会に足を伸ばす。
だが実際は中にいる人物、水城が目的である。
つまり、オオガネ教を隠れ蓑としたカルト集団が出来つつあった。
この件で彼女を弾劾しようにも、外から見ればオオガネ教というガワに守られている。
この国の唯一であり、一番の力を持つ強大な宗教だ。
そして直接的な手段をとろうにも、彼女は何も罪となることはしていない。
なにせ周囲の人間が彼女を祭り上げているのだ、彼女をどうにかするには周囲を何とかしなければならない。
むしろ彼女に何かあれば余計に手に負えなくなる、殉教者を生み出す可能性があるからだ。
彼女を慕う人達の名誉のためにもいうが、彼らは狂信者というわけではない。
大切な人が傷つけられれば悲しくなる、怒りを覚えるのは当たり前のことだ。
彼らは、ただただ大切な人を守るために行動しているに過ぎない。
そしてそれ故に、傍目からは普通の人に見える。
その普通の人を弾劾するということは、弾劾する者の隣人すらもその対象となる。
迂闊に手も口も出せない環境が出来上がっているのだ。
そして、不本意ながらもその環境は一人の男子によって作り出された。
過去の彼が今の状況を見たとき、何と思うだろうか。
けれどこの状況に波紋を起こしたのは彼でも、外部の人間でもなかった。
クラスメイト達が転移してきてからしばらく住まわせてもらった家に、何人かの仲間が集まっていた。
只野を知る美緒、その彼に怯える詠、そして数名の男女のクラスメイト達である。
「ここに集まっているってことは、皆もおかしいってことに気付いているんだよね?」
「もしかしたら…程度だけどな」
美緒が最初に口火を切り、男子がそれに同意する。
「私達を見る街の人たちの目もそうだけど、一番おかしいのは只野くんよね…」
彼のことはこの世界にきてから知るようになった人がほとんどだろう。
だからこそ、只野という人間がどういったものか掴めないでいる。
「みんな…あの日、只野くんが何処にいたか知ってる…?」
「ん? 俺たちの近くにいたんじゃないのか?」
「違うの。あの日、あの時…只野くんは関係ない人達と一緒にいたのを見たの…」
たまたまであった。
この世界にきてから、奇想天外なニュースを持ってくる只野に、もしかしたらまた何かしてくれるかもしれないと期待していた。
だから彼女はあの時に周囲を見渡し、自分達の近くにいないことを知った。
それだけならまだしも、彼が隠れるように離れた場所にいる所を見つけてしまった。
不思議に思っただろうが、それだけで終わったはずだった。
あの日、何もなければそれで終わったはずのものであった。
「…あれが、只野のやったこと?」
「わ、分からないよ! ただ…私も気になっただけだから」
「そういえば俺も見た…あいつが…」
ここに集まったクラスメイトは疑念を確信に変える為に集まったわけではない。
むしろ否定してもらうために集まったのだ。
ただの気のせいだと、考えすぎだと思いたくて集まったのだ。
だが、そういう人間ばかりが集まればどうなるのか…疑念は膨らむ一方であった。
彼の行ったことの因果がここに集約されてしまった。
あまりにも大きな事を成したせいで、只野という人間が知られなかったせいで。
だがその密談は突如聞こえた足音によって止まった。
人の陰口を叩いているようなものだ、後ろめたくなって会話を止めるのも当たり前である。
けれどここに居る全員がこうも思ってしまった。
只野が来たのではないか、と。
本来なら有り得ないような考えだが、この家を知っている人はそう多くない。
自分たちに用があるのなら、向こうの家に向かうはずだ。
だからこそ、全員が緊迫した顔となっている。
しかし、その予想はある意味において裏切られてしまった。
扉が開けられ、そこから入ってきたのは子供だったのだから。
その場にいた全員が呆気に取られていたが、すぐに気を取り戻す。
子供の手には小さな紙が握られていた。
「ニースくんじゃない。どうしたの?」
「宿題できたから、持ってきた!」
そういってその紙を手渡してきた。
紙には数字と記号が記載されている算数の課題が書かれていた。
「あぁ、そういえば出来たら持ってくるように言ってたわ」
男子のその言葉に全員が安堵した。
しかし、紙を受け取った一人の顔が急変した。
「なぁ、ニース…どうして俺たちがここにいるって知ってたんだ?」
「 タ ダ ノ に 教 え て も ら っ た ! 」
その場の空気が凍りついた。
何故知っている、知っているなら何故ここに来ない、何故何故何故…
紙には確かに宿題の答えが書かれていた。
だが、あちらの世界のことを知る者にしか分からない言葉も書かれていた。
I SEE YOU
『お前を 見ている』だ。
ニースは宿題を渡し終えたことで、ようやく自由に遊べるとその場から去った。
残された者達には、恐るべき紙片だけが残されていた。
ここには彼らに仇なす者は誰もいない。
だというのに、心臓がナニかに握られているかのように錯覚する。
目に見えぬ恐怖が虫のように背筋に湧き上がる。
この場に取り残された者達の背中に、言葉にできないモノが這い登ってきた。
古来より虫の知らせ、不吉な予感…そして死の気配と呼ばれるものであった。
もはや一刻の猶予も無いことを、ここにいる全員が覚悟した。
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