魔陣幻戯3 『ブラック・マスカレード』編

高尾つばき

第1話 「戦うエクソシスト」

 コンパスで描いたような満月が、したたり落ちるような黄色く妖しい光をあふれさせ、天の位置にある。

 墨色の空を覆う雲もなく、流れ出た月の精を刷毛ハケで散らしたように、幾千もの星がまたたいていた。

 くっきりと肉眼でも確認できる月の模様は「うさぎ」ではなく、「本を読むおばあさん」だ。


 東ヨーロッパ南東部にある共和制国家、ルーマニア。

  国の中央を逆L字にカルパティア山脈が通っている。

 町から遠く離れた林道を歩く影ひとつ。

 全身が黒一色である。


 左右に伸びる樹木の空いた隙間から月光がさした。

 小柄なその人物は、スータンと呼ぶ神父の着る黒服姿であった。

 頭には丸いカロット、帽子をかむっていた。

 背には大きな布製のバッグ、胸元には鎖に通した十字架がゆれている。


 右手に持った杖で土道を確かめるように、ゆっくりと歩いていく。

 月光がさらにその顔を浮かび上がらせた。

 真っ白な長い眉に丸い眼鏡、鼻の下から顎にかけてこれも真っ白な髭をたくわえている。

 どうやら高齢の聖職者であるらしい。

 老人は散歩するような足取りであった。

 外灯はなく、頼りになるのは天に飾る満月と星の光のみだ。

 この季節は摂氏二十三度程度であり、比較的過ごしやすい。


「ふうっ。

 きゃつめ、すでに遠くへ逃げておるやもしれぬわい。

 仕事とはいえ、老体には難儀じゃのう」


 口からもれるため息まじりの言葉。

 むろん英語であるが、表記上、和訳する。

 そよ風が長いスータンのすそもてあそぶ。

 遥か前方の道から鋭い声が老人の耳に届いた。


「なんじゃ、まだやっておったのか。

 近ごろの若いモンは仕事が遅いわい。

 わしらの若いころなぞ、師匠から殴る蹴るの厳しい教えがあったからこそ、早うに一人前になったんだがの。

 今ではパワーハラスメントじゃなんじゃと、うるそうなってしもうた。

 仕方ない、どれ、急ぐとするか」


 老人は歩く速度を上げた。

 大地をついていた杖を肩に乗せ、さらにスピードをつける。

 全力疾走だ。

 とても老人の走る速度ではない。

 一陣の風となり、まっしぐらに先へ疾走していく。


 老人の視界が目的物をとらえた。

 ふりそそぐ月光の下、いくつもの影が右に左に動きながら何かと応戦しているようだ。

 老人の目にその正体が映る。

 それは大ぶりの剣を振りかざす、何十体もの白骨体であった。


「ほう、まだ魔力が残っておったか。

 さすがは熾天使セラフィムベルゼブブの配下よ」


 老人は立ち止まると、ニタリとほくそ笑んだ。

 白骨体と対峙しているのは老人と同じスータンを着た若者である。

 やや長めの黒髪、目尻の下がった二重の大きな目元は普段は柔和に映るであろう。

 だが今は鋭い眼光を放っている。

 笑みを浮かべたような口元に、真っ白な歯がのぞいていた。

 恐怖心を凌駕りょうがする、好奇心が全面に浮かんでいるようだ。


 西洋人ではなく、東洋系の面立ちだ。

 若者は幾体もの不気味な白骨体たちを澄んだ瞳で眺めまわし、両の指先を、物をつかむようにすぼめ右腕を引き、左腕を伸ばす。

 腕が鎌の形になった。

 さらに左脚を前に伸ばして腰を落とした。

 その姿は獲物を狙う獰猛なカマキリだ。


 指先は月光を受け、見る角度によりブラックとグリーンの色に輝いている。

 マジョーラカラーのグローブをはめているのだ。

 しかも、その光沢から金属製であるとわかる。

 また両脚の脛にも同様の金属で作られた脛当てがあった。


「おーい、フィリップよう」


 老人は後方から声をかける。

 フィリップと呼ばれた若者は油断なく目線だけをチラッと老人に向けた。


「マルティヌス先生!」


「ちゃっちゃっと浄化してやらにゃ、そやつらも辛かろう。

 悪魔にいいようにこき使われて。

 わしゃあ、ぬしの指導責任者として、ここで実務採点をいたすぞ」


「い、いや、先生。

 これは模試ではなく本番でありますから、少しは援護射撃など」


 言いかけた直後、白骨体たちがいっせいに大剣を振りかざし、フィリップに襲いかかった。


 シュッ!


 フィリップは鋭い呼気を吐き、沈めていた身体をそのままに動き出す。

 生きた人間のように、手にした剣で狙う白骨体たち。

 剣先が月光を反射し、一閃した。


「ハイッヤッ」


 フィリップは気合を吐き紙一重でかわすと、左脚を大きく蹴り上げ、さらに腕を白骨体の腕にからめて肩関節の根元から折る。

 振り向きざまに回し蹴りで白骨体の背骨を粉砕した。


「イヤアッ、ハィッ!

 ハイッ!

 ハイーッ」


 フィリップは独楽コマのように身体を回転させ、拳や脛で白骨体たちをなぎ倒していく。


「ほほう、さすがに体術は目をみはるものあり、と。

 しかし、わしらに求められる技術は体術だけではないでのう」


 独特の構えに攻撃は、西洋の格闘技ではない。

 しかもフィリップのはめたグローブと脛当ては単なる金属ではないようだ。

 白骨体を破壊する瞬間に銀色のスパークを走らせる。


「トウリャアッ」


 垂直に上げた爪先が、目の前に迫る白骨体の下顎骨を砕き、さらに上昇する。

 そのまま後方を振り返ると、背後から襲おうとした白骨体の大剣を脛当てで真っ二つにへし折った。

 動きはさらに加速していく。

 白骨体の足の甲を左足裏で踏み押さえ、右足裏で白骨の膝がしらを蹴り折る。

 さらにグローブをはめた両手で肋骨を突き破った。


「やんややんやっ。

 さすがは東洋の秘術よ。

 相手の甲を踏んで動けぬようにして攻撃するなんぞ、まさしくマンティスカマキリじゃ」


 老人マルティヌスは土の上に腰をおろし、胡坐あぐらを組んでいた。


「待てよ。

 あやつをこのままエクソシスト祓魔師として修業させておくにはもったいなくはないか。

 格闘技の世界に連れていけば、たんまり銭を儲けられるやもしれぬ。

 わしら公務員の年収の比ではないぞい。

 もちろん、そのときには、わしがマネージャーとして転職するがの」


 ぶつぶつと真剣な表情で独り言を口にしている。

 そこへフィリップの攻撃から逃れた白骨体が一体、カタカタと下顎を鳴らしながら老人に向かってきた。

 ビュッと振りかざした鋭い刃先がマルティヌスの脳天へ食い込んだと見えた瞬間、ガキッと剣先が大地をえぐり、土を飛ばした。


 白骨体は眼球のない黒い眼窩がんかを横に向ける。

 胡坐をかいていたすぐ横に、いつの間にかマルティヌスは立っていた。


「わしの休息時間をつぶすってか。

 おいっ、コラッ!

 二度と甦れぬよう、わしが葬ってやろうか、おうっ」


 眉間にしわを寄せ、丸眼鏡の奥でブルーにヘーゼルカラーの混じった瞳が光る。

 マルティヌスは手にした杖で、軽くポンと頭骸骨の眉間を突いた。


 それだけだ。

 すると、ビシッと音を立てて前頭骨にヒビが走る。

 その割れ目がみるみるうちに頭部全体に走り、パンッと粉々に飛び散った。


 さらに身体を構成していた骨にも亀裂が起き、白骨体は無残な粉塵へと化した。


「先生! 申し訳ありませんっ」


「フィリップよう、わしは休息時間を邪魔立てされると」


「承知しております!」


「根っから温厚なわしじゃからして、このたびは減点せずにおこうかの」


「恐れ入ります!」


 フィリップは直立不動でマルティヌスに頭を下げる。

 そこへすかさず襲いかかる白骨体の群れ。

 腰を九十度に曲げたまま、フィリップは素早く両手を大地に着け、両脚を開いて回転する。

 人間独楽コマだ。

 白骨体が脛当てにより次々に折り砕かれていく。


 マルティヌスは土の上で胡坐姿になり、ポリポリとカロットの上から頭をかいた。

 

 時間にして十分ばかり経過しただろうか。続々とわいて出た謎の白骨体たちは、すべてが倒され、流れる風に骨片が舞っていく。


「雑魚どもと遊んでいるあいだに、親玉は逃げたようじゃな」


 マルティヌスは置いていたバッグを背負う。

 フィリップも林道のかたわらに置いていたバッグを引っ張り出した。

 肩に担ぐと、はめているグローブを見下ろす。

 軽く手首同士をカチンと合わせる。

 すると指先からカチャンカチャンカチャンッと金属板を折る音と共に縮んでいき、最後には両手首に幅一センチほどのブレスレットになった。

 脛当てはグローブと連動しているのか、同じようにアンクレットとなり、黒いズボンの裾に隠れた。


「ベルゼブブの配下であれば、同じように悪魔信仰の民を増やすために、この先へ進んでいくのは間違いありません」


「そうじゃな。

 あやつらは人々の欲望や肉欲に、実にうまく火を点けるでな。

 まあ、そうはいうてもよ、フィリップ。

 わしゃ、ちと疲れたわいなあ。

 一度宿にもどろうぞ。

 エクソシトとはいえ、わしらは生身の人間じゃでな」


 フィリップは額に流れる汗をスータンの袖でぬぐい、うなずいた。


「わかりました。

 バチカンへの報告は、ぼくが行います。

 ここではスマホも圏外ですから」


 ふたりの神父は滴り落ちる月光を背に、林道を歩き始めた。

                                  つづく

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