和幸 傷心
怪訝そうな顔だ。何をしてるのかと覗き込んでいる。それは紗代子を待ち疲れたからだろう。いつ帰って来るのか。もしかしたら帰らないのか。実家に居る、そう思っていても顔も知らない浩介という男の存在が嫌になるくらい大きくなる。あの女が言ったように、こうしてる今、紗代子は男と肌を重ねているんじゃないかと。
ソファから起き上がり、紗代子の手首を掴んだ。
「な、なに?」
歪む表情。痛いだろ、しかし、こちらも心が痛かったんだ。
「ちょっと、離して。なんなのよ」
手を振り払った紗代子が睨みつけてきた。
「痛いじゃない。なんなのよ、もう」
「遅かったね」
「そう?」
悪びれる様子もない紗代子の後ろで、時計の針が日付けを変えた。
「こんな時間まで、何処に?」
「はっ?」
呆れ顔で、紗代子が首を傾げた。
「何言ってるの? 今朝、母親に会って来るって言ったばかりじゃない。もう忘れたの?」
そう、義母の明奈に会うと言っていた。それは知ってる。聞きたいのは、そこじゃない。明奈と別れた後、何処で何をしていたかと言うことだ。
「わたし——」紗代子はピアスを外した。
「シャワー浴びてくるわ」
以前の自分なら、紗代子が気分を害する事など言わなかっただろう。無意識に、紗代子に嫌われたくない、そう思ってしまった
浴室へ向かう紗代子の後ろ姿を見送った後、先にベットに入りながら、深夜、浴室から聴こえてくる水音に耳を傾けた。紗代子の肌、髪の一本一本、自分のものだと思っていたものが遠くに感じる。
どうしたらいい。これから自分は、どうすればいいんだ。
髪をドライヤーで乾かし終えた紗代子が、寝室の扉を開けた。リビングの照明を消してベットに入ってくる。ピクリとも動かなくなったマットレスに、もう寝たものだと紗代子の方へ向き直った。
暗闇の中、ぼんやりと艶かしさを放つ紗代子が自分を凝視していた。
——嗚呼。こんな時でも思ってしまう。
自分から気持ちが離れてしまっても、もう、自分のものではないと分かっても、紗代子は、こんなにも綺麗で手放したくないと思ってしまう。
「眠らないのか」
「貴方こそ、もう寝てたんじゃないの?」
きゅっと唇を噛んだ紗代子が目を細める。
なあ、教えてくれて紗代子。自分は男として、夫として駄目な人間なんだろうか。
「そうだな、もう寝よう。おやすみ……」
頷いた紗代子が背を向けた。この背中に容易く触れることは、もう出来ないんだ。
紗代子、君が帰った時。今朝つけていた香水の香りがしなかった。かわりに嗅いだことのない石鹸の香りがしたよ。
君は今まで、誰と一緒にいたんだ。
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