紗代子 不協和音

「どうして言うこといてくれないんだ。何が不満なんだ」

 

 

 不満、そう不満だらけだ。

 うつむきながら前髪をかき上げる和幸に、反吐へどが出そうになる。この物静かな男は私と結婚するために、あの父に何度も頭を下げた。過去、付き合ってきた男達が誰もやれなかったことを、和幸はやってのけたのだ。なのに——。

 あれほど情熱的で行動的だった男が、今はなに? 私が何をしたいのか、何を求めてるのか考えようともしない。

 釣った魚には餌をやらない——。それだけでも腹立たしいのに。

 

 

「紗代子……」

 

「いやだ、近寄らないで」

 

 

 ソファに置いてあったクッションを投げつけた。簡単にはじかれたクッションがフローリングの上でバウンドする。いたくもかゆくもないといった和幸の次の行動を探りながら窓際まどぎわまでさがったが、ソファをはさんで向かい合った和幸に、いとも容易たやすく追いつかれた。

「あっ」と声を上げた瞬間、そのままソファへ仰向けに押し倒され、両手首を頭の上で押さえ込まれていた。

 

 

「いやっ……、触らないでって言ってるじゃないっ」

 

 

 あんな美月と寝た男なんかに。私という女がいながら、あの美月と関係をもった男なんか。馴れ馴れしく触れてこないでほしい。

 

 足で和幸の体を蹴ったが、びくともしない。それどころかソファに押さえ込まれる力に拍車が掛かる。やっとすり抜けた両手で和幸の顔を引っ叩こうとしたが、難無なんなくく取り押さえられ、胸元で交差するように組まされた。

 

 

「やっ……放してっ」

 

「もう終わりにするんだっ!」

 

 

 和幸の一言でソファがきしみ、体重が私の体におおかぶさってきた。暴力に近い男の圧倒的な力にはすべがない。馬乗りで真上から見下ろしてくる和幸をにらみつけながら思ってしまう。女は何故なぜ、こうも弱いのかと。腕力では私は和幸に勝てない。

 

 

退いてよ」

 

「言うこと聞いてくれるのか」

 

 

 さらに、私を押さえつけてる指に舌打ちしそうになる。いつもなら、すんなり家を後に出来たはずなのに。淡々と、それが当たり前のように、この重苦しい家から出れたはず。なのに和幸のこんな強引なやり方、私は知らない。

 

 

「ねえ。なんで、そんなに熱くなってるのよ。私が外に出歩くの、これが初めてじゃないじゃない。いつものことでしょ」

 

 

 嘘は言ってない。逆に和幸にとって、これほど良い条件はないだろう。妻が、夫の浮気を容認ようにんしようとしてるのだ。これで和幸も、女としての魅力のかけらもない、あの美月と堂々と会える。こんなおいしい話はない。ただ、それには私も好きにさせてもらうと言う前提ぜんていでの話だが。

 

 

何処どこに行くつもりなんだ。誰と会おうとしてる」

 

 

 和幸が胸元で組んだ手首ごと、胸を強く押してきた。肺を押され息が出来ない。うっと声を上げそうになるのを必死でこらえた。

 

 

「あいつだろう。あの加賀見かがみ浩介こうすけとかいう男と会うつもりなんだ」

 

 

 和幸は他の男と比べたら割と華奢きゃしゃなほうだ。指だって細く長い。しかし、ついてる筋肉は男そのもの。どんなにあらがおうとも力ではおよばない。

 和幸の腕が、手が、指が、私を傷つける勢いで迫ってくる。これは今までなかったことだ。

 これは無理だ。

 

 

「わかったわ、話すから……だから退いてよ」

 

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