紗代子 不協和音

 窓にたたきつけられる雨。ニュースでは梅雨明け宣言がだされた。

 鬱陶うっとうしい梅雨も終わりのはずなのに、最後の悪あがきみたいな空は休日の午後を台無しにしてる。昼なのに暗い空。家の中でも照明を点けなければならないほどだ。

 窓に和幸の姿が写る。

 キッチンの中にいる和幸。その手元、ドリッパーから黒い液体がサーバーに落ちる。

 こうばしい香りが其処此処そこここに漂い、液体をカップに注いだ和幸が振り向いた。

 

 

「コーヒー、入れたよ」

 

 

 差し出されたコーヒー。湯気の中で粒子が踊るのを眺めながら一口飲むと、テーブルを挟んだ目の前の和幸が微笑んだ。

 

 

「雨だね。この雨が止んだら、きっと暑くなっていくんだろうね」

 

 

 遠い眼差しでベランダを見つめながら腕を組み、明るい未来に想いを巡らせているみたいな面持おももちだ。

 

 

「今年は無理だけど、来年はベランダに朝顔でも植えてみようか。きっと綺麗だよ」

 

 

 昼過ぎの気怠けだるい時間。なんてことない和幸の話。

 夏の日差しを浴びた青紫の花が、空に向かって咲く姿は確かに綺麗だろう。しっとりとした花びらの上できらめく水滴。それはそれで夏らしくて良いものだとも思う。しかし、口元をゆるませ如何いかににも自分は幸せだと言いたげな顔で言われると、なんとも言いようがない。言葉少ない、和幸このひとらしくない饒舌な喋り。こんなに話しかけてくることなんて結婚当初もなかった。

 

 美月と、いい感じなんだ。だから、こんなにご機嫌なのか。

 

 

「そうね……、いいかもね」

 

 

 美月あの女が上手くいってる和幸なんて、見ていられない。浮かれたいなら一人でやってもらいたい。

 なかば呆れながら、カップを前に押し返し席を立った。こんな所に居られない。

 

 

「どこに行くんだ」

 

 

 和幸の言葉で、場の空気が一瞬で変わった。張り詰めた空気と共に、表情が一変いっぺんして険しくなってる。鋭い目つき、一歩でも離れれば今にも噛みつかれそう。

 

 

「どこって、そんなの関係ないんじゃない? お互い好きにしましょうよ。その方が楽でしょ」

 

 

 そのまま席を外す私の背後で、和幸が立ち上がった。

 

 

「行くんじゃない」

 

 

 腹の底から響くような低い声。振り返って、私を見据みすえてくる和幸をにらみ返した。

 いつもより大きく見える和幸の体躯たいく。身体がらかもし出してくる暴力的な圧力にくっしそうになる。

 

 和幸このひとも結局、そうなのか。あの父と同じ、私を所有物か何かと勘違いするのか。

 

 胸糞悪い。

 

 和幸を無視して寝室へ向かった。ベットに着ていた服を放り投げ、クローゼットからお気に入りのワンピースを取りだす。

 扉の前に立つ和幸の刺すような視線を肌で感じながら、呼吸を整えて着替えた。化粧を直すためドレッサーの前に座り、鏡越しに無言でこちらを見つめる和幸と目を合わせる。

 

 私がどうしようと、それを止める権限など和幸にない。

 

 

「紗代子」

 


 無視して唇にルージュを塗った。真っ赤なルージュ、女として一気に華やぐ瞬間だ。

 

 

「行くなと言ってるんだ」

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