(2)
アルファ、ベータ、オメガ。
それは近年の科学の発展と共に「発見」された、人類が生まれ持つ二つ目の性別……みたいな導入ではじまったりはじまらなかったり、また違った導入だったりするのが「オメガバース」。まあとにかく以下に並べる三つの性の説明から入るのがよくある転がし方だ。
一般に、アルファはリーダー的な資質を持ち、見目麗しく数々の才能に秀でているとされる。
ベータは人口の九割以上を占める大多数の人間が該当する性別で、言ってしまえばありふれた凡庸な性とされる。
オメガはかつては「産むための性」とも見下された歴史があり、高い妊娠能力と、アルファを生み出す能力を持つ。知能が低いともウワサされる(実際にそうなのかどうかは作品ごとに異なる)。
オメガがかつては迫害され、低知能などというレッテルを貼られたのには理由がある。
「
なんのために「発情期」があるかと問われれば、それはアルファと「つがい」になるためである。
発情期中のオメガのうなじや首筋をアルファが噛むことによって、双方のあいだに「つがい」と呼ばれる特殊な関係が形成される。ひとたび「つがい」になれば、オメガのフェロモンは「つがい」になったアルファしか誘引しなくなる。
そしてこの「つがい」関係には「運命」とも呼ばれる、一種の都市伝説的な関係があった。
いわく、ひと目見た瞬間にわかるという「運命のつがい」。
扱いは作品ごとに異なる(そもそもそういう設定がなかったりもする)ものの、おおむね物語をドラマティックに引き立てる役割を持つ。
「運命のつがい」と電撃的に出会って惹かれあったり、逆に「運命」ではない相手との恋を貫いたり……。
とかく物語をロマンティックに色づけ、盛り上げる装置であるという認識で間違いはないだろう。
……そんな、「運命のつがい」がわたしにいる……?
「く、くわしく!」
思わず前のめりになって京吾に問いただす。
京吾はそんなわたしの反応にびっくりしたらしく、わずかに目を見開いた。
「というか、わたしの性別ってオメガなの? アルファなの? ベータじゃないの?」
「かえちゃん、どうしたの? 本当に熱ないの?」
「熱はない! ……で、わたしって、わたしの性別――第二性別? ってなに? っていうか京吾は知ってる?」
「知ってるよ。かえちゃんはオメガ。中学のときに診断書見せてくれたじゃん。……本当にどうしちゃったの?」
どうしちゃったの? ……そう聞きたいのはわたしのほうである。
京吾は、くだらないウソをつくようなタイプじゃない。ウソも方便、というようなことすら実行できないほど、京吾はウソがヘタだ。
その京吾がマジメくさって言うのだから、この世界には――本当に第二性ってやつが存在している。
――そして、わたしはオメガである。
その結論に、わたしはめまいを覚えた。
「やっぱりわたし、パラレルワールドからきたのかもしれない」
「またそれ?」
面白くないよ、とばかりに冷たい視線を向けてくる京吾に、わたしはちょっと心が折れそうになった。
仮にも愛しい――たぶん。いや、そうじゃなかったらそれこそ心が折れる――恋人の言い分だぞ! ちゃんと聞いてくれよ! ……いや、一応聞いてくれてはいるか。聞いた上でこの反応か。
「京吾はわたしのこと愛してないの?」
クソめんどうくさい女みたいになったわたしに、京吾は今度は優しい目を向けてくる。……とても優しい目だ。生ぬるい、と表現してもいいかもしれない。
「かえちゃん……寝たほうがいいよ」
「寝てる場合じゃないんだよ!」
「つかれてるんだよ」
「違う! ……そういえば京吾は? アルファ? ベータ? オメガ?」
「アルファだけど……っていうか、診断書見せあったでしょ? 本当に今日はどうしたの?」
京吾の答えは、わたしからすると予想通りのものだった。
だって京吾は見た目は儚い系美少年だし、ピアニストとしてのたしかな才能もある。当てはめるならば、アルファ性以外にないだろうと前々から
しかし京吾はアルファで、わたしはオメガなのに「運命のつがい」ではないのか……。そこは都合よく「運命」だったらよかったのに。
……いやちょっと待て。京吾によるとわたしには「運命のつがい」がいる。でも、それは京吾ではないらしい。
それって色々と問題じゃないのか。ややこしいことになっているんじゃないのか。
だって定番じゃないか。愛しあうふたりの前に現れる、あらがいがたい「運命」なんて。
「京吾!」
「どうしたの?」
「わたし、京吾のこと愛してるからね!」
冷静に見ると頭がおかしいとしか思えないわたしの突然の言葉に、京吾は照れたように目を伏せた。
「急にどうしたの? やっぱり熱があるんじゃない?」
そんな憎まれ口を叩くものの、その頬は朱色に染まっている。
京吾は赤面症なので、こういうときはわかりやすい。ツンデレめ。わたしは心の中でほくそ笑んだ。
……いやいやいや、笑っている場合ではない。
そうだ、「運命のつがい」だ。わたしの相手はどんなやつなんだ。
「京吾はわたしの『運命』のひとと会ったことある?」
「ないけど。かえちゃんが『運命のつがいに会ったー』って言ってるの聞いただけだし」
「……あれ? もしかして疑ってる?」
「……なに? 今日のも演技なの?」
「『も』って、『も』って! 違うってば! 『運命』についてはよくわかんないけど!」
あきれたような顔をする京吾にわたしはあせる。
しかし狼狽するわたしを見たからなのか、はてまた別の理由からかは定かではないが、京吾は急に真剣な目をしてわたしを見た。コンサートホールの舞台で見るようなその眼差しに、京吾が好きなわたしは思わず胸をときめかせてしまう。
「かえちゃん、今度チャリティーコンサートで僕が演奏する曲名言ってよ」
「え?」
京吾の言葉に返すことができず、わたしたちのあいだに一瞬、間があいた。
ヤバイ。ここで正解を当てなければヤバイのでは? なんか具体的に思い浮かばないけれどヤバイのでは? わたしの背中に冷や汗が垂れた。
しかし、思い出せないものは思い出せない。そう思うと「仕方ねーや」とわたしの中の雑な性格が顔を出す。
「えっ、わかんない」
素直にそう答えると、京吾はふっと視線を外してからため息をついた。
え、そのため息はなに? ひとりビクビクとしていると、京吾はやっと目をわたしのほうへと向けて口を開く。
「僕のこと大好きなかえちゃんが曲名を正しく答えられないなんて、どうやらパラレルワールドがどうのこうのっていう世迷言は置いておいても、頭がおかしくなってしまったのは本当みたいだね」
「えっ、ひどい」
ひどい。頭がおかしくなったのではというのはわたしも思ったけれど、ひどい。
「あっ、わたしは別に高上楓のニセモノとかじゃないからね?!」
ふっと思いついたバカな考えを脊髄反射的に口に出せば、京吾はまた生ぬるい目でわたしを見た。
「……まあそれは置いておいて」
「うん? 置いておくんだ」
「いちいちつっこんでたらキリがないよ。かえちゃんは心当たりとかある? その、パラレルワールドに迷い込んだ? 心当たり」
「ない」
「即答かー……」
京吾は残念そうな顔をするが、本当に心当たりなんてものはないのだから仕方がない。
京吾はそれでもわたしよりは出来のいい頭を回転させて、なにかしら考えているようだった。
「じゃあもう、僕の心当たりはかえちゃんの『運命のつがい』くらいしかないかな」
「悩みすぎて記憶を書き換えたとか?」
「まあ、それくらいしか思いつかないね」
「もっと考えて! わたしの将来がかかってるから!」
わたしの無茶ぶりを京吾は華麗に流した。
「……まあ、かえちゃんの脳みそがそんなややこしいマネをするかどうかは甚だ疑問だけど」
「ひどい」
「逆に容量が少なすぎてパンクしちゃったのかもしれないしね」
「ひどい」
「明日だっけ? 定期健診。そのときに記憶障害については話したほうがいいと思うよ。真面目な話、いきなり記憶喪失になるなんてなにかしら脳に異常が発生している可能性もあるわけだし……」
「定期健診?」
首をかしげたわたしに、もう京吾は動じる様子はなかった。
赤面症ではあるが、彼は引っ込み思案ではないのだ。大ホールの舞台で素晴らしい演奏をできるだけの度胸がある。
わたしの電波としか言いようがない妄言に、彼はなにかしら腹をくくったのかもしれない。アホ丸出しのわたしの言葉にも丁寧に答えてくれる。
「若年のオメガはいつ発情期がくるかわからないから、定期健診を受けて薬をもらうようになっているんだよ」
「薬って……抑制剤?」
「あとアフターピルとかね。抑制剤含めて持っとかないといざというときに困るから、発情期がきてなくても定期的に病院を受診するよう推奨されてるんだよ」
「へー」
またしてもバカっぽい反応を見せたわたしだったが、内心では冷や汗をかいていた。
「オメガバース」において突然の発情期を迎えたオメガが、暴漢に襲われるというのは定番のネタである(わたし調べ)。
物語ではそこに運よく助けが入るというのがお約束の流れだが、わたしが今直面しているのは現実だ。
いきなり発情期を迎えて、フェロモンでよくわからない他人を誘引したとなっては笑えない。まったく笑えない。
定期健診には絶対に行こう。わたしは強く心に決めた。
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