1-2
「なんや、夢見が悪かったっちゅーから大人しゅう聞いとったら、いつもの病気やないか」
「誰が病気ですか誰が」
ジャージ姿で煎餅を齧る女の視線はさっきからパソコンから離れない。聞いていたと言っても本当に口を挟まずに聞いていただけで、それに対する返事が先ほどの病気認定だった。
「病気みたいなモンやろ、あんたのそれは。なぁにが詐欺師や」
「けっ、ヒーローなんて大半が詐欺師っすよ。あんなの名前を売りたくて人助けしてるだけで、他人の目がないところじゃ何をしてることやら」
「なんちゅーか、あんたはホンマ、筋金入りやねぇ」
ときところ変わって、大学の一室。講義棟の端にある部屋で、別段出入りが制限されていたりするわけではないのだが、俺は自分と、遺憾ながら先輩であるところのこの女以外の人間がここに出入りするところを見たことが無い。
というかそもそもこの部屋、扉についているプレートはまっさらで講義室とも準備室とも書いていないし、館内図でも部屋のスペース自体は載っているものの何の表記もない。
ほんと何の部屋なんだここ。
「ほんで、それをウチに話して、結局何て言うて欲しいんや?」
「いや、何か言って欲しいとかそういうんじゃ無いですけど」
「にゃぁるほろ、愚痴りたいだけか。ま、あんたの事情まで知っとるのウチくらいのもん……あ、スマン、まず愚痴聞いてくれる友達がおれへんかったな」
「いや、別にそういうわけじゃ」
「そういうわけじゃ?」
「無い、こともない、です、けど」
いまさら見栄を張る気も失せて渋々認めると「せやろ?」と笑いかけてくる。そこでようやくこちらを振り返った眼鏡越しの瞳が、コーヒーの湯気を挟んで俺を捉えた。
毎日色違いのジャージにボサボサ頭でこの部屋に入り浸り、片手にお菓子、片手にマウスを握り、不安定な回転イスの上に器用に胡座をかいて座り、パソコンにかじり付いて離れない。場所が大学でなければ完全に引きこもりである。
まぁ一応、日や時間帯によっては不在のこともあるし、講義には出ているようだが……いやでも講義で見かけたことねぇな。コンビニ行ってただけとかあり得そうで怖い。
「だいたい、ウチにそんなん話して、元気づけてくれるとでも思うたん? あり得へんやろ、ウチはヒーロー擁護派やで」
「そりゃまぁ、知ってますけど……」
先輩に淹れてもらった、ワケではなく自分でお湯を注いだインスタントコーヒーに口をつけながら一応首肯する。
そう、この人がこの部屋に閉じこもりパソコンに喰らいついて何をしているかといえば世界中のヒーローに関する情報収集だった。
奏先輩はヒーロー擁護派であると同時にヒーローマニアでもある。
ヒーローについて、多くの一般人は自分の生活圏で活動しているヒーローくらいしか関心を持たないのが普通だ。一つの街にだいたい三、四人ほどいると言われているヒーローたちを国だとか或いは世界なんて規模で全部覚えようなんてよっぽど酔狂な人間のすることである。そんなことをするくらいなら歴史の偉人と年号を覚えるのに記憶力を使う方がよっぽど役に立つ。
しかし目の前のジャージが似合う、というかジャージ以外の服装を見たことのない先輩はそんな無駄なことに記憶力を使っている酔狂な人物だ。全世界のヒーローニュースをリアルタイムでネットを通じて監視し、それを分析してまとめたサイトを一人で運営している。
サイトでは新しい情報とソース記事の掲載だけでなく、話題に上ったヒーローの行動が持つ意味や社会的な影響力に着目した持論を展開するちょっとした論文のような記事も書いている。というより、どちらかといえばそっちの方が先輩のサイトのメインコンテンツと言えた。
公式に論文を発表するとかそういうことをしているわけではないので、あくまでもネット上でいち個人が自分の意見を述べているに過ぎないのだが、ネット社会という言葉が定着して久しい現在では下手な専門家よりも名の知れたヒーロー擁護派の論客だった。
本名の真ん中をもじった、捻りの無い「スミカ」というハンドルネームは、ヒーロー関連の掲示板などで頻繁に目にする名前の一つとなっている。
「あんたもいい加減、ワイルドガウンと他のヒーローを区別しぃや?」
「してますよ、あいつが最悪の例だってことくらい解ってます」
俺の答えに、やれやれとばかりに首を振る奏先輩。さっき自分でも言ってたけど、この人は根っからの擁護派だからな。反ヒーロー主義者の俺と意見が合うはずがないのはわかりきったことではある。
「そら確かにあれが真っ当なヒーローやったとは言わへんけど、そういうことやのうてな」
「じゃどういうことなんです?」
「いきなり喧嘩腰やなぁ」
くつくつと声をかみ殺すようにして先輩が笑う。反射的に「別に」と否定しようと開きかけた口を無理矢理閉じた。この人相手じゃ言い返すだけ無駄だしなぁ。
「なんちゅうかアレや、あんたはワイルドガウンが最悪としても、他のヒーローまで全部おんなじにくくって詐欺師やー言うとるやろ? せやけど考えてみぃ、名誉欲だけでホンマもんの銃口に立ち向かうんがどういうことか」
「……詐欺師じゃなくて大馬鹿ってことですか」
ちゃうちゃう、とぱたぱた手を振って否定する奏先輩。
「名前売るためだけに命張って犯罪に立ち向かう阿呆が、世界中に何百人いやさ何千人もおるか、ってことや」
「純粋に赤の他人のために命を張る人間が何百人もいるよりは現実味があると思うんですけど」
「何もそこまでは言うてへんよ。ヒーローが純粋な善意だけで動いとるなんてウチも信じとらん。ヒーローなんて呼ばれとっても、ウチらとおんなじ人間なわけやし」
「同じって、口から火だの氷だの吐いたり目からビーム撃ったりビルが丸ごと吹っ飛んだ跡から無傷で出てきたりする連中なんですけど……」
「あーはいはい屁理屈言いなや、力のことやないのくらい分かっとるくせに。ほんま捻くれもんやなぁ自分、シシシ」
今度は笑いをかみ殺すこともしない。こうして歯を見せて笑うのがこの先輩の本来の笑い方だ。どことなく動物くさいというか、ネコ科っぽい。
いい意味で人間らしくないこういう所作が、俺がこの人を嫌いになれない理由の一つかもしれない。良くも悪くも、この人がもっと普通だったら、俺がこの部屋によりつくこともなかっただろう。
「世のため人のためでもなく、名誉欲でもないなら、何のためだって言うんですか」
「うーん……まぁウチに言わせれば正直そんなんどうでもええっちゅーか、考えるだけ無駄っちゅーかな。十人十色ってヤツや。ヒーローって言葉でひとくくりにされとっても、活動の動機なんてそれぞれ別モンやと思うで」
答えになってませんよ、と言い返すところかと思ったが、先輩の言葉にはまだ続きがあった。
「けどまぁ、例えば目の前でどこの誰とも知らん人が困ってるのを見て、自分にはそれを助ける力が備わってるとしたら、ちっとくらい手ぇ貸したってもええかなー、くらいのことは思うやろ、普通」
「それは、まぁ。でもそれを実行する人って多くないんじゃないですか?」
「ま、せやな。それは何でやと思う?」
「面倒っていうか……自分が危険に曝されるからじゃないですか?」
「それもあるやろね。けど最大の理由はそうやない。人助けを躊躇う一番の理由は、自分じゃなくてもええからや」
ぴっ、と人差し指を立て、ふふーんと得意げに無い胸を張る。
「自分じゃなくてもいい、ですか?」
「せや。自分が助けへんでもなんとかなるやろー、とか、自分じゃなくても他の誰かが何とかしてくれるやろー、とかそんな感じ」
それは……少し、わかる気がした。
大抵「困っている人」の周囲には自分以外にも人がたくさんいる。それが自分の知り合いでないなら尚更だ。自分と同じような赤の他人もたくさんいるし、自分よりその人と親しい誰かだっているかもしれない。
自分には自分の用事があって、見知らぬ誰かを助けることは、徳を積もうという意識が高いのでも無い限りメリットが無い。困っている人は可哀想だけど、本当は助けてあげた方がいいのかもしれないけれど、頼まれたわけでもない自分が出しゃばるだけの理由が無い。
きっと誰か、もっと相応しい誰かが、なんとかしてくれる。あるいは、当人の問題は当人で解決しなきゃいけない。
そんな風に思ってしまう自分が、いないとは言えなかった。
「ほんでも、自分しかおれへんかったら? 例えば、どこの誰とも知れん人が崖から落っこちそうになっとって、近くには自分しかおれへん。相手は自分より小柄で、簡単に引っ張り上げられる。自分にとって大した苦労でも無いことが、人の生き死にを左右するとしたら? いくら捻くれモンのあんただって、助けるやろ?」
「……そりゃ、その状況で無視するほど薄情な人間じゃないつもりですけど」
「ヒーローもそういうもんちゃうかなー、っちゅうのがウチの考えや」
「そういうもんって……いやだって、命がけですよ? いまの例えとはワケが違うじゃないですか」
「まぁ確かに危険度は段違いかもせんなぁ。けど、あんたがさっき自分で言うたみたいに、ヒーローっちゅうんは火ぃも氷も吐くしビームも撃てるし常人よりよっぽど丈夫に出来とる。危険っちゅうもんの度合いがウチらとは違うやろ?」
「まぁ、そうですね」
「ほんでそんな特別な力を持ってる自分にしか救えない人たちが、目の前に仰山おるとしたらどや? 警察で手に負えへん犯罪なんて、このご時世じゃ日常茶飯事やで?」
「…………」
考えてみる。自分にしか助けられない人。自分にしか、までいかなくとも特殊な能力を持つ自分が、周囲のその他大勢よりも救助や助力に向いていることが明らかな場合。それを躊躇う理由はあるだろうか?
あることはある。例えば恐怖。例えば痛み。事件の現場に飛び込むということは、誰かを助けるということは、他人が受けるはずだった苦痛の一部を自分が肩代わりするに等しい。痛みを恐れない人間なんてそうそういないだろう。
小さな怪我でも瞬間的に「痛っ」と声に出てしまうのと同じで、実際に傷が大きいとか小さいとかそういう問題ではなく、痛みを受けることに本能からの拒否反応が付きまとうのは当たり前のことだ。
けれど、さっきの先輩の例え話で言うなら、崖から誰かを引っ張り上げれば自分だってかすり傷くらいは負うだろう。でもきっと、そのくらいのこと、咄嗟に気にはしない。ヒーローにとって火事や爆発や銃弾がその程度の危険でしかないとしたら? 躊躇わずに手を差し伸べることもあり得るだろうか。
「……わからん。一応、先輩の言うことは理解したつもりですけど、まだ納得はできません。だって」
だって、人を助ける痛みを厭わないなら、人を騙す痛みだって厭わないかもしれないから。
結局、話は振り出しに戻るしかない。俺も先輩も、ヒーローではないのだから。
「シシシ、頑固やなぁ自分。ま、そーゆーとこも嫌いやないで」
納得できるまで考えてみぃや、と言って、先輩は話題を区切る。俺もひとまずこの議論を保留とすることに異論はない。温くなったコーヒーにちまちまと口をつけながら少し頭を整理する。あとでもう少し考えてみる価値はあるだろう。
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