アキラ、異世界の地に降り立……っていた。


 要するに廻因鉄(リング)には二つの使い方がある。


「おお。おおおぉぉ~~~!」


 川のほとりで手頃な石に腰掛けたアキラは、感嘆の声をあげていた。


 掌の上で回したリングの中心に、光の粒が収束していき、膨らんでいく。


 リングの中心にはもちろん電球なんてないし、火薬が弾けているわけでもない。


 回転し始めたリングからその中心点に向かって、どこからともなく現れた光の粒同士が集まりくっつきあって、より大きな光を生み出していく。


 アキラには原理がさっぱりだが、さっきの兎獣人が語るには、この異世界には他にも光の因子を持った光因鉄や、火を発生させる因子を持つ火因鉄、といった様々な鉱石が存在しているらしい。


 それらの因鉄を廻因鉄と混ぜ合わせることで、特殊な因子を合わせ持ったリングを作れるのだそうだ。


 回転因子と同様に、特殊性の因子もそのままだと物質内で動き回っているだけだが、リングが回転を始めると、持っていた因子を中心に向かって飛ばすようになる。


 飛ばされた因子は互いに空中でぶつかり合い、科学反応のようにその因子が導く現象を発生させる。


 車輪のように回転を要する道具には純粋な廻因鉄のみのリング。灯りや火、生活の要所で用いられる道具には様々な因鉄を含んだリングというように使い分けられているわけだ。


「これは本来、懐中電灯とか、そういうもののために造られたのかもな」


 中心となる白い光の中に、赤や青、黄色、緑、紫などの小さな光が、跳ねる油のように飛び散っていくのを見下ろして、アキラはそう推測を立てた。


 兎獣人が言っていた失敗作で玩具にしかならない、というのはそういうことだろう。あまりにチカチカするから、灯りとしては未完成、ということだ。


 確かに彼にとっては失敗作かもしれない。それでも、温度のない花火が自分の手のひらの上から次々と発生していく様は、アキラにはまさに小さな魔法のように感じられた。


 廻因鉄は地面や床面に置いて今のように蝋燭のような使い方もできるが、やはり醍醐味はさっきの兎獣人がやっていたのと同じことだろう。


 アキラは回っている廻因鉄を止め、光が消えたことを確認してから、今度は自分の左手の人差し指に嵌めて右手で回転させる。


 途端に廻因鉄は磁力か何かで固定されているかのようにアキラの指から離れず音もなく回転しはじめる。


「――さあ、どうなるかな」


 結果は狙い通りだった。中空に向けた人差し指から光の粒が零れていく。


 微弱とはいえ、明らかに指向性を持った光が、アキラの指先から広がり、四方に散る。光はすぐに消えてしまうのだが、アキラはその幻想的な光景にしばらく見入っていた。


「といってもやっぱり廻因鉄が失敗作なだけあって、一発芸みたいな感じだな。灯り代わりにもならないか」


 指からぽんぽんと玩具の銃のように飛んでいく色とりどりの光の粒に、魔法のようだと思いながらもあまりのしょぼさに苦笑する。


 光量は回転の速度を上げると多少大きくなるようだが、焼け石に水程度。


 とはいえ、自分の指先から光が飛んでいく様は、異世界ならではの不思議体験だ。


「さすがに地球ほどの科学文明はないみたいだけど、これがあるからあんまり不便もないんだろうな。廻因鉄の車輪があるってことは、馬のいらない自動で動く車もあるってことだろうし」


 光を放つリングを指で弄びながら、この世界の文明のそんな考察を続ける。


 もっとも、あの兎獣人が高価だ、と言うだけあって、車なんてものは極限られた人しか持てないのだろうが。


 おそらく今アキラが持っているリングもそれなりに価値があるものなのだろう。この村の灯りは全てガスなどで起こされる火で賄われているようだし、そう簡単に手に入るものではないのだ。


「きひひ、ついてる。やりぃ」


 二重の幸運に、アキラの顔も綻びる。


 滅多に手に入らないであろう異世界の道具をタダ同然で手に入れたことがまず一つ。


 そしてもう一つは、この世界には間違いなく、自分では想像もできないような現象や法則が存在しているということがようやくわかったことだ。


 自分が異世界に転移したとわかったときから、アキラは何度も魔法を試した。


 ラノベの真似をした魔法はことごとく失敗。身体能力強化もなさげ。


 挙げ句の果てには、異世界もの定番のステータス魔法やインベントリ魔法すらなかった。


 何度こっそり「ステータスオーーープン!」と叫んだかわからない。


「これがこの異世界の魔法の代わりになるものなんだな。異世界なのに誰も魔法を使おうとしないから不思議だと思ったんだ」


 そんな変化のない異世界生活数日目で、ようやく目にした不思議現象だが、しかしこの力は異世界人たちが元から持ち合わせている力で、アキラのものではない。


 つまりアキラ自身にはなんら異世界ボーナスは付与されていない。


 これは地球の科学知識で廻因鉄を改造していく無双パターンか。


 しかしアキラに突出して秀でた何らかの専門知識はまるでない。至って普通の眼鏡をかけた高校生だったのだ。サバイバル能力なら確実に異世界人たちの方が勝るはずだし。


「いやでも、世の中にはゼロ能力、無能系無双とかもあるし……」


 未練がましく後ろ向きに自分の可能性を探りながら帰路についていると、あっという間に目的地に着いてしまった。


 北欧にでもありそうな木造で丸い輪郭の家。


 窓辺に掛けられた目の行き届いたガーデニング。あえて残されている外壁の苔。


 それこそ妖精でも住んでいそうな、見ているだけで安らぐような、アキラの異世界での居場所。


 くすんだ色硝子が嵌めこまれた木製の扉を開けて、最初に目についた人物に声をかけた。


「戻りました、メイリンさん」


 声をかけた相手はアキラが帰ってきたことに気づくと、テーブルを拭いていた手を止めた。


「あら、アキラくん、おかえりなさい。今日の調子はどうでしたか?」


 そうだ。もう一個あった異世界要素。お約束の、美少女だ。


 いくつか年上だけど。だがそれがいい。


 腰まで伸びたさらさらでつやつやの栗色の髪。純白のピナフォアの上からでもわかるその抜群なプロポーション。ぱっちりしたヘーゼル色の瞳は、甘えたらどんなことでも受け入れてくれるような柔らかな印象を持っていて、口調も丁寧。アキラの姉属性も一瞬で開花したほどだ。


 知り合ってもう数日立つけれど、いまだに話しかける度にちょっと照れてしまう。


「昨日より大分身体が軽くなりました。それよりも、変な動物を見ましたよ。兎っぽいんですが、二本足立ちして、人の言葉を話してるんです」


「もしかして、コロロピ族たちのことかしら? 彼らはリリナス王国でも正式に国民として永住権が保障されている人間との共存種なんですよ」


 オル・リリナス王国。


 王都リリーンの南方に位置するパルキルス地方タルキス村。


 アキラがこの村で目覚めたとき、彼女はここはそんな名前がついていると説明してくれた。


「ちなみにコロロピたちを傷つけたり騙したりしたら問答無用で死刑になりますから、アキラくんも気をつけてくださいね」


 とメイリンさんはにこやかに言ってくる。


「し、しませんよっ」


 ふふっ、アキラの反応を面白がってから、彼女は壁際を指さした。


「そこにある時刻台も、コロロピたちが造った廻因鉄で出来てるの。祖父の代から受け継がれているうちの宝物なんです。廻因鉄は彼らにしか細工ができないから、稀少なものなのよ」


 メイリンが指さす先には、扉ほどの高さのある置物があり、頭より少し上の位置で、廻因鉄でできたサッカーボール大のリングが静かに廻転を続けていた。


(そっか。回転するものといえば、時計もあったな)


 思い至らなかった自分の馬鹿さ加減に、短く自虐的な溜息を吐く。


 この世界の時計は、廻因鉄の中に夜因鉄と昼因鉄が混ぜて作られる。リングの内側に数字はなく、昼に昇る星と夜に昇る星、それぞれに反応する因子がリングの内側で飛び交い、複雑な色模様を描き出す。その濃淡と回転数で、この世界の住人は時刻を把握しているのだそうだ。


「へえ、そうだったんですか。てっきり僕は何かのアート作品だとばっかり」


「うーん。そんなことも忘れているなんて、アキラくんの記憶喪失は思ったよりも重いのかもしれないわね」


 小首を傾げて片手を頬に当てて、悩ましげな顔をするメイリンさん。


 この世界に来て最初にアキラを記憶喪失だと判断したのは彼女だ。以来、何かと世話を焼いてくれ、彼女の経営するこの食堂の空き部屋に身を置かせてもらっている。


 ちなみに自分が元々着ていた服は世話になっているお礼に眼鏡以外を全て差し上げた。メイリンさんは裁縫好きらしく、風変わりな布質と意匠に目をキラキラさせて喜んでくれた。


 代わりにお下がりの麻っぽいごわごわした村人服を貰ったのだが、これはこれでこの村の気候では過ごしやすかった。


 アキラはもう自分が持っていたものすらほとんど残っていない。財布もスマホもどこかに落としたらしい。この村で目が覚めたときに既に無くなっていた。


 スマホは異世界でチートアイテムらしいが、どうやら現代利器で科学無双とかできそうにはない。


 ゼロ+眼鏡からの出発だ。


(まさか異世界で眼鏡無双とかないよな……ははは)


 なんでもありの異世界界隈。ないと言い切れないのが怖い。


「あ、ほら。髪に草がついてますよ。取ってあげますから」


「ちょっ、メイリンさん!?」


 メイリンの顔が急接近してきて、アキラは固まる。


 気にしてくれているのは有り難いが、段々扱いが年下を越えて子供向け気味になってきている感は否定できなかったりする。


「でーいじょーぶだって!」


 そのとき、快闊な声とともに突然後ろから太い腕を回されて、肩をがっしりと掴まれた。


 その力強さによろけながら、アキラは彼の顔を見上げて名前を呼んだ。


「ハンスさん」


「しばらく休んでりゃいずれいろいろ思い出すさ。それまでウチで養生してりゃいい。アキラがどこから来たのか、どこに向かおうとしてたのか、俺も気になるしな」


 そう言って気の良い笑顔を向けてくれたのは、メイリンの弟であるハンスだった。


 自分が地球にある日本という国から来た、ということはまだ彼らには話していない。自分がなぜここにいるのかは本当にわからなかったし、文化文明の異なる世界の人たちに、自分の世界のことを安易に話せば混乱を招くだけだと思ったのだ。


 果たしてそれは正解だった。


 アキラの一見して大人しそうで痩せた容姿からは害意は感じられなかったし、口調は丁寧で何事にも感謝を欠かさない。


 そんな人間が一人で行き倒れていたというストーリーは娯楽の少ないこの村でにわかに脚光を浴びた。


 いくつか街の名前を伝えられ聞き覚えはないかと問われたがどれも初めて聞く場所だったし、村の住人たちにも、アキラが元々着ていた異世界では見慣れない地球出自の洋服が、どんな遠くから来たものなのかまるで推測がつかなかった。


 そんな謎深いアキラをハンスはいたく気に入ったらしく、こうして頭をわしゃわしゃと男らしい雑さで撫でてきては、アキラが落ち込んで塞ぎこまないように気を遣ってくれるのだ。


「もう、ハンス。青年団の仕事はどうしたの」


 アキラで遊ぶハンスを見かねて、メイリンさんは両手を腰に当てて可愛らしい声でぷりぷり怒る。


 異世界の人もこんな風に怒るんだと、なんだかなごむ光景だった。


「これからちゃんと行ってくるよ。アキラ、姉貴のことは頼むな」


 ハンスも本気で怒られていないとわかっているから笑顔で誤魔化し、アキラの背中を軽く二回叩いて離れた。


 メイリンの弟であるハンスもまた、アキラより二歳ほど年上だ。だからこうしてハンスはアキラを弟のように扱ってくれている。


「巡回のお仕事ですか?」


「おう、いつもの見回りだ。またお前さんみたいに畑ん中でぶっ倒れてるやつがいないとも限らないからな」


 ははは、と笑うハンスにアキラも苦笑い。


 タルキス村の青年団は、村の警備やいざこざの解決にひと役買っている。その団長であるハンスは、巡回警備をしていたときに、タルキス村の周囲に広がるオリーブに似たクイの実畑の中で倒れていたアキラを発見したという経緯がある。


「それよりハンス、おじさんたちはまだ戻ってこないの?」


「ああ、まだみたいだな」


「おじさんたち?」


 神妙な面持ちの二人にアキラが口を挟むと、メイリンが教えてくれた。


「この村出身の商人さんたちのことです。タルキスの特産品のクイの実を隣町まで売りに行ってるの。いつもだったらもう帰ってきてもおかしくないはずなんだけど……」


「もしかして、何か危険なことに……?」


 まさか、モンスターに襲われた、とか。やっぱりいるのか。魔物みたいなやつ。


 恐る恐るアキラが訊ねると、二人は数秒顔を見あわせる。


「いや、大丈夫だろう。隣町までは距離があるとはいえ、人間を襲うような動物はいないし、これまで何度も行き来しているベテランだしな」


「見晴らしのいい街道が続いているだけだから、迷うこともないはずだし……」


「ここよりずっと大きい街だから、遊びほうけてるのかもな。ほら、前にもあったろ。思ったより高く売れて舞い上がって数日飲み歩いてたことが」


 メイリンもどうやらその可能性の方が高いと思っているらしい。はあ、と短く溜息をつきながら「まったく、困った人たちねえ」とぼやいていた。


 そんなことに愚痴をこぼせるくらい、ここは平和で静かな場所だった。


 シャツ一枚でも心地良い温暖な気候。小川の水車、苔むした河岸、木製の橋や広場のオベリスク。


 アキラがいつの間にか降り立っていた、異世界最初の村。


 この村で目覚めて早五日経つが、いまだ問題らしい問題も起きていない。


 村もアキラの存在に馴染みはじめ、もとあった平穏さをほぼ取り戻している。


 転移させられたからには何か目的があるはず――あるだろう。あると思いたい。


 だが、こんな平和な場所で、自分が必要とされるような異世界的イベントなんて起こるのだろうか? 


 まるで心配事などないといった余裕の面持ちで仕事に出かけるハンスの背をアキラは見送り、できればこの平穏が壊されることがないようにと、異世界的波乱展開への不安を胸に隠すのだった。







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