第6話 告白06

 指先で箱をつまみながら藤堂は僕を見下ろし目を細めた。その目には明らかに呆れの色が含まれている。


「食堂へ行くのが面倒と言うのはまだいいとしても、購買に行くならもっとましなもの食べませんか」


「ああ、パンとかおにぎりとかってこう、片手に持ってもなんかボロボロと」


「ながら作業で食事しないでください」


 言い訳はバッサリと遮られた。なかなか手強い。でもまさかこんなことを問い詰められることになるなんて、思いも寄らなかった。


「意外と先生って食に興味ないタイプですよね。朝晩もこんな感じなんでしょうね」


「う、否定はしないが、毎日昼がこれってわけじゃないぞ」


 朝はまず食べない。夜も食べたり食べなかったり。腹が減ったら食べる。空かなきゃ食べない。それが普段の食生活だ。基本的に感覚任せで規則正しい食生活からはほど遠い。でもそれでいままで困ったことは一度もない。


「お節介することにしました」


「……?」


 手にした箱を元の場所へ戻し、藤堂は急に真剣な表情を浮かべる。

 じっと見つめてくる藤堂。その表情も言葉の意味もわからず首を傾げると、ふっとため息をつかれる。


「これから毎日、先生にお昼用意してきます」


「え? いや、いい! いい、悪いから」


 その言葉に慌てて首を振れば、藤堂は僕の腰かける椅子の背もたれと机に手を置き身を屈めた。途端に距離が近くなり覗き込むように顔を寄せられる。あまりの近さに身体が仰け反った。


「悪いと思うなら普段からちゃんと食べてください。身体を壊したらどうするんですか」


「うーん、わかってはいるんだけどなぁ」


「それはわかってないんです」


「う、うーん」


 どれもこれも正論過ぎて言い返せない。それでもなにか言い訳はないかと頭を巡らすが、目の前で再び小さなため息をつかれる。


「無駄に考えないで頷いたほうが利口だと思います」


「な、なんでそこまでするんだ」


「愚問ですね。そんなの先生のことが気になって仕方ないからに決まってるじゃないですか」


「そんな恥ずかしいこと真顔で言うな」


 冗談でもそんな理由は困るのだが、真剣に言われるとさらにどうしようもなくむず痒い。しかもなぜにこう、藤堂は甘い言葉をいとも容易く言ってしまえるのか。

 今時の若者ってみんなこんなもんなのか? 自分には絶対無理だ。その前にそんな台詞は僕に似合わない。どん引きされて終わりだ。


「先生?」


 急に黙り込んだ僕に藤堂はふいに眉を寄せる。


「俺みたいなのが相手で面倒くさいって思ってますか?」


「いや……違、う」


 藤堂の目が不安そうに揺れ、思わず首を左右に大きく振ってしまった。――弱い。この顔に弱過ぎるぞ自分。


「そうじゃなくて……ああ、うーん」


 それに藤堂の顔はどんなアップにも耐えられる気がするが、こっちは見慣れない綺麗なものが間近に迫って、心臓はすでにもう耐えきれずに限界だ。しかし顔を背けるわけにもいかず、視線をわずかにそらしているのだが、目の前で話をされるたび動く口元が目に入ってさらに墓穴を掘った気分になった。


「と、藤堂? あのな……ち、近い」


 そう申告し、耐えきれず藤堂の肩を押した。けれどなぜか逆にその手を取られ、さり気なく指先に口づけられてしまう。あまりにもさり気なさ過ぎて、一瞬なにが起きたかわからなかった。けれど僕は反射的に飛び上がるようにその手を上げてしまった。


「な、なんだ!」


 めまいがした気もするが気のせいだと思いたい。心臓の音が胸じゃなくて耳の横で鳴っているのかと思うほどうるさい。


「逃げられると追いかけたくなるっていう心理はよくわからなかったんですけど……いま、わかったような気がします」


「そんなものはずっとわからなくていい!」


 微笑む藤堂に思わず突っ込んでしまった。

 だが忙しなく目をさ迷わせる僕に対し、藤堂はいままでにない笑みを浮かべる。ゆるりと唇が弧を描き、瞳には悪戯を思いついた子供のような表情と艶のある光を含む。


「ちょ、待った」


 藤堂の手が撫でるように僕の髪を梳き、指先が頬の輪郭を添うように滑り落ちる。その慣れない感触に緊張のためか嫌悪とは違う、ざわりとした感覚が広がった。

 藤堂の吐息が微かに僕の唇に触れる。そして僕が藤堂の気配に思わず目をつむってしまったその瞬間――雰囲気を打ち破るように、勢いよく部屋の戸がガラリと音を立てて開いた。


「あ、ごめん。邪魔しちゃった」


 その声に慌てて目を開くと、驚きの表情を浮かべる片平が戸口に立っていた。


「うわっ!」


 そして片平の存在を頭が認識すると同時、僕は目の前の藤堂を力いっぱい両手で押しやった。藤堂の表情が不機嫌そうに歪む。

 お約束な展開で、ほっとしているのはもちろん僕だけのようだ。


「わざと?」


 いかにも不機嫌ですと言わんばかりの、黒い負のオーラを発し始めた藤堂がジトリと片平を見る。


「違うわよ、不可抗力。こんな面白い展開だって知ってたら三十分くらいはあとに来てたけど」


 藤堂の様子をものともせず、片平は相変わらずの調子で肩をすくめた。口を尖らせた片平に対し、ふぅんと小さく呟き藤堂はいまだ機嫌悪そうに髪をかき上げる。


「あずみだからな」


「やあね、今回は全面的にバックアップしてるじゃない」


「どうだか」


 後ろ手に戸を閉めながらこちらへ歩み寄る片平と、元の椅子に腰かけ直す藤堂。二人のやり取りになぜか僕は首を傾げる。なんとなく感じる違和感。


「あずみの場合は面白がってるだけだろ」


「面白くなきゃ手伝ってあげないわよ。ね、先生」


 じっと二人を見ているとふいに片平がこちらへ視線を投げる。そして僕を見てなぜか一瞬だけ驚いたように目を丸くし、その後にこりと笑った。


「先生ってほんとに鈍いのね。優哉、頑張らないとなかなか大変よ」


「うるさい、余計なお世話だ」


「まあ、いいけどね。じゃあ余計なお世話ついでにこれをあげる」


 至極楽しそうに片平は口元に手を当てて笑い、ブレザーのポケットから取り出したものを藤堂に手渡す。


「先生に持ってきたんだけど、優哉も嫌いじゃないでしょ、こういうの」


 片平に手渡された二枚の細長い紙に視線を落とし、藤堂は不思議そうに首を傾げた。


「月島渉、写真展?」


「あ、それ」


 藤堂の手から一枚抜き取り、僕はそれをまじまじと見る。


「先生、もしかして好きなんですかその人」


「ん、あんまり個展とかやらないから、やるといつも観に行くんだ」


 それは学生時代から好きだった写真家の個展招待券だった。最近はすっかりご無沙汰で全然チェックしていなかった。そういえば前に片平たちと部活の時間にこの話をした気がする。覚えていたのか。

 ふと視線を持ち上げ片平を見ると、いつの間にか戸の隙間で手を振って部屋を出て行くところだった。


「おい、片平!」


「お邪魔さま。それ来週末で終わりだから二人でどうぞ」


 そう言って片目をつむると、片平は満足げな表情で去っていった。


「相変わらず台風娘だなあいつは」


「ほんとですね」


 重いため息をつき閉まった戸を見つめれば、急に疲れが押し寄せてくる。藤堂もまたそれに同意するように小さく息をついた。


「藤堂はこういうの興味あるか?」


「結構好きですよ」


 藤堂の前で招待券を振って見せると、少し首を傾げてから藤堂は優しく笑う。でもなぜだかその笑顔に胸がくすぶった。


「ふぅん、そうか」


「で、終わりですか? なんだか急に落ち込んでますけど、どうしたんですか」


 なんとなくもやもやしたまま話していたら、ズバリとそれを藤堂に指摘されてなんだかさらにへこむ気がした。なんだこれは、このちょっと胃の辺りにムカムカと込み上げてくる胸のムカつきと、苛々と神経に障るような感じ。


「藤堂」


「なんですか?」


「なんでもない」


「先生? ほんとにどうしたんですか」


「……なんでもない」


 やっぱりムカッとする。

 なぜか藤堂を見ていると苛々が募る。そしてますます顔が険しくなっていく僕に、藤堂は本気で戸惑い、困ったように眉を寄せていた。



 不可解なこの胸のムカつきの意味に僕が気づくのはもう少し先。



告白 / end

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る