第十三節:魔道具と突入


 グルーガン要塞にて、アルガドは再び苛立ちを抱えていた。

 気を鎮めようと剣を振るうも、昂る感情のせいで身が入らない。

 あの正門襲撃から早五日以上が経過したが、状況には何の変化も起こっていなかった。

 侵入者が抜け道を使うだろうという予測も、結果的には裏切られた。

 まさか、全て待ち伏せされていると考えたのか?

 だとすれば相手は恐ろしく慎重だ、評価を修正する必要がある。

 

 「(どうする……?このまま要塞に籠り続ける意味はあるのか?)」

 

 それは難しい判断ではあった。

 現状脅威と予想されるのは、姿もまだ曖昧な冒険者の一行のみだ。

 少なくとも彼らは、複数の大鬼の戦士を残らず殲滅する程度の戦力を有している。

 兵力を分散した状態で、各個に叩かれる事が最悪のパターンだ。

 現状のグルーガン要塞の戦力は決して豊富とは言えない。

 悪手を取って徒に戦力を減らす事が、アルガドにとって一番避けるべき事柄だった。

 

 「将軍、失礼を。一つ、どうしてもご報告したき事が」

 「なんだ、侵入者の件か?」

 「いえ、そちらとは別で……」

 

 不意にやってきた配下の言葉は、アルガドをまた少し苛立たせた。

 今現在、件の侵入者の事以外で自分に報告すべき問題など、一つしか存在しないからだ。

 

 「……監督官殿か。客室で大人しくしていれば良いものを、一体どうした?」

 「はっ。閣下は、用意した客室に大層満足頂けたようではありますが」

 「何か我儘でも言い出したか」

 「いえ、地下の方を嗅ぎ付けたようで、そちらで問題を……」

 

 地下、という言葉に大鬼の将は軽くため息を吐いた。

 このグルーガン要塞は、今はアルガドを将とした大鬼の群れが支配している。

 だがこの地に陣地を持っているのは大鬼だけではなかった。

 その相手もまた同じ「混沌の仔」。

 争うよりも争わない利益の方が大きく、多少の取引と不可侵のみを結び、お互い不干渉でやって来たが。

 

 「そちらの水も甘いと踏んだか、節操のない奴め。それで、状況は?」

 「奪える物は奪ったのか、閣下も今は客室に戻られています。相手方の被害までは」

 「そうか。まぁ大人しくなったのならそれで構わん」

 

 正直なところ、それについて頭を悩ませるのも面倒だった。

 

 「それで、将軍。対応については」

 「良い、捨ておけ。監督官殿が勝手にやった事で、此方には関係ない」

 

 配下の確認の言葉を、アルガドはあっさり切って捨てた。

 元より、関係上での戦力的優位は自分達の方にあった。

 不可侵を選んだのも、要塞の内側で争って兵力を無為に減らすのをアルガドが嫌った事。

 加えて、争わずに相手から得る「物」が魅力的であったからに過ぎない。

 あの監督官の強欲に付き合わされたのなら、相手の被害も決して軽くはないだろう。

 それをわざわざ骨身を折ってまでどうにかしてやる必要性を、アルガドは毛ほども感じなかった。

 

 「もしそれで向こうが文句を言うようであれば、それなりに対応してやれ。

  まぁ、流石にそこまで間抜けではなかろうがな」

 「では、そのように」

 

 決定を受けて立ち去る配下を一瞥してから、アルガドは再び思考に沈む。

 まだ見ぬ冒険者達に対し、次はどう手を打つべきか。

 それ以上に優先すべき事柄など、今のアルガドには存在しなかった。

 

 

 

     *   *   *

 

 

 

 「さて、此処までは予想通りだな」

 

 一方、再び山の麓までやってきた冒険者一行。

 彼らが向かったのはグルーガン要塞――ではない。

 其処は要塞の入り口があった場所とは丁度真逆の方向、白く煙る湖だった。

 沸き立つ薄い湯気のせいで分かり辛いが、横の広さも縦の深さもそれなりにある。

 手で触れたなら、その温度は人肌よりややぬるい程度。

 熱湯というほどでもなく、そこまで熱くはない。

 その湖の畔に、クロエ達の姿はあった。

 

 「本当にあったの?」

 「あぁ、直接確認してきた。間違いはない」

 

 クロエの言葉にガルが応じる。

 その鱗はびっしょり濡れており、余分な荷物もなく殆ど裸に近い恰好だ。

 幸い(?)腰布はしっかり結ばれている為、公衆浴場であったような惨劇は起こらなかったが。

 それでも少しだけ頬が火照るのを、クロエはなるべく意識しないようにする。

 そんな様子には気付かずに、ガルは言葉を続けた。

 

 「湖のかなり深い部分だったが、山の方に伸びている地下水路があった。

  恐らく、山の地下の何処か繋がっているだろう」

 

 この辺りの山は地下水脈が多い。

 ガルはその話を聞いてから、一つの可能性を考えていた。

 先日の探索で発見した、山の麓にある温かな湖。

 その何処かに、山の中に通じる水路が通っているのではないか、と。

 己の考えが正しいかを確かめる為、蜥蜴人の戦士は一人湖へと飛び込んだのだ。

 斯くして、その予想は的を得ていた。

 

 「いやしかし、流石だねぇ旦那。水の中を苦も無くスイスイと、見事なもんだよ」

 「蜥蜴人にとって、陸の上も水の中も大きく変わらんからな」

 

 ルージュの賞賛に対し、ガルは当然の事のように答えた。

 蜥蜴人の定住地は湿地帯が多く、彼らの生活の多くは水と親しんでいる。

 そして生態として、彼らの種族は魚人等の水棲種族に次いで、水中での長時間の活動が可能であった。

 それについて、ビッケやルージュも知識としては知っていた。

 が、冒険者とはいえども普段はそうそう泳ぐ機会はない。

 故にさながら魚のように水底へ潜るガルの姿を、三人は驚きと共に見る事となった。

 

 「で、中はオレらも入れそうな感じ?」

 「流れはそう早くない。呼吸さえ何とかなれば溺れる事はあるまい」

 「オッケーオッケー、なら準備しときますか」

 

 そう言いながら、ビッケはいつも下げている鞄に手を突っ込む。

 これを少し漁ると、青色に輝く宝石を三つほど取り出した。

 キラキラと光るその石を、クロエは不思議そうに覗き込んだ。

 

 「これは?」

 「《生命の石ライフストーン》って魔道具マジックアイテム

  時間制限はあるけど、これを口に入れると大体の状況で呼吸だけは確保できます」

 「水中呼吸の奇跡も用意できるけど、節約できるなら節約したいしねぇ」

 

 奇跡などの神秘の業は、冒険者にとって貴重かつ有限の資源リソースである。

 道具で代用できるならば代用し、可能な限り節約するのが冒険をする上での鉄則だ。

 しかしそうした魔法の道具は等しく高価で稀少だ。

 比較的に安価な水薬ポーションでも、購入するなら専門の店で金貨数枚は支払う必要がある。

 特に貴重な物となれば、そもそも金銭で換算できない事も珍しくはない。

 

 「あっ、一応これ第二等級の魔道具だから取り扱い注意で一つ」

 「わ、分かってるわ、大丈夫」

 

 案の定、金貨にして数千枚にもなる稀少アイテムであった。

 これ以上は魔剣か、そもそも値が付けられない古代王国の遺産レガシーや神の手からなる祭器アーティファクト

 そういった伝説や神話上の物品であり、冒険者が金銭で取引する魔道具としては最も高価な代物だ。

 なんにせよ、クロエは差し出された石をとても慎重に受け取る。

 

 「じゃ、泳ぐのに余分な荷物はこっち集めてねー、《穴開き鞄バッグ・オブ・ホール》が火を噴くぜー」

 「すまんな、頼んだ」

 

 これは中に広大な収納スペースを持つ魔法の鞄で、第三等級に当たる。

 預けられた仲間の荷物を、ビッケは手際よく詰めていく。

 果たしてこの小人の青年は、後幾つの魔法の道具を隠し持っているのだろうか。

 

 「やれやれ、呼吸は良いけど服は水浸しになっちまうねぇ」

 「そればっかりはしゃーなし。アニキは半裸がデフォだからいいよねー」

 「俺は鎧の類は不要だからな」

 

 そう言いながら、ガルは鎧よりも強靭な己の鱗を誇示して見せた。

 大真面目なリアクションにケラケラ笑いつつ、ビッケは改めて全員の顔を見渡して。

 

 「はーい、念のため確認ー。 ぶっちゃけ泳げない人はいませんかー?」

 「俺は言うまでもないな」

 「あたしも大丈夫だねぇ」

 「……私、泳いだ事ない」

 

 正直自信もないと、恥じらうように顔を伏せつつ、クロエはそっと手を挙げた。

 僅かな沈黙の後、残りの三人は互いに視線を交わす。

 

 「まぁ、アニキだよねぇ」

 「そーだね、旦那よろしくっと」

 「承知した」

 「えっ、どうするの?」

 

 アイコンタクトだけで、何かが決定したらしい。

 口から出た疑問の答えは、少女の身体に回された蜥蜴人の逞しい腕だった。

 そのままひょいっと抱え上げられて、声を上げる暇もない。

 

 「このまま俺が抱えて潜ろう。窮屈だろうが、少し我慢してくれ」

 「う、うん、こちらこそ、お願いします……」

 

 恥ずかしい状態ではあるが、文句など言えるはずもない。

 身体は離れないよう密着せざるを得ず、クロエは少しだけ息を詰めた。

 その間に、ビッケは鞄の口を閉じて、ルージュは攣らないように軽く身を解す。

 

 「これで山の中には入れるだろうが、其処から要塞に続く道を見つけられるかは分からん」

 「全部出たとこ勝負と。 上手く行きゃあ儲けもんだねぇ、こりゃ」

 「これで駄目だったら、いよいよ正面突破を考えますか」

 「その時は俺が責任を持って一番槍の勤めを果たそう」

 

 仲間達が軽口を叩き合うのを聞きながら、クロエはしがみ付く腕に力を込める。

 硬い鱗を、軽く爪で引っ掻く。それは緊張の表れか。

 泳いだ経験のない彼女にとって、水の底は闇の淵にも等しかった。

 少し身を固くしている少女の様子を察したか、蜥蜴人はその背を一度、大きな掌で撫でて。

 

 「大丈夫だ」

 

 俺がいると、少女の不安弱さを拭うように囁く。

 クロエは声では返さず、ただその言葉に黙って頷いた。

 万一でも落ちないよう力は入れたまま。

 けれど心は僅かに解れたように感じつつ、少女は瞼を閉じた。

 生温い水に飛び込んだ感触は、抱かれる腕の体温で気になる事もなかった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る