夜はちょっぴり甘えん坊な幼なじみ
荷物を取りに戻った愛莉を待つため、葵は愛莉の家の前で一人佇んでいた。
頭の中は先ほど聞いた生徒会の真実でいっぱいだった。が、今抱えている仕事さえ終わらせれば後はやることはなく、ただただゆっくりできるというのは嬉しい誤算だろう。
もしかしたら今抱えている仕事が、葵の生徒会での最初で最後の仕事になるのかもしれない。そう考えると意地でも終わらせようという気になる。
終わらせられなかったら文化祭に影響が出るかもしれないと言っていたが、その可能性は本当に低いだろう。元々愛莉に任せる気ではなかったのならば、学園側でも万が一に備えている可能性が高い。
それでも葵は一度受け持った仕事なので、絶対に提出期限に間に合わせる気だが。
「お~い、葵くん。お~いってば!」
葵が考え事に没頭している間に、愛莉は荷物を詰め終えていたらしい。葵の目の前で存在をアピールしていた。
「っと、随分と早かったな。ちゃんと荷物は持ったのか?」
葵の体感だが、愛莉が家に入ってから出てくるまでに十分もかかっていない気がする。それに、愛莉の手に握られている荷物は泊まるための荷物にしては明らかに少なかった。
「ま~ね。泊まるって言っても、葵くんの家だもん。大抵のものは揃ってるし。荷物を取りに戻ったのはお母さんとお父さんに葵くんの家に泊まるって説明する意味合いが大きかったし」
「じゃあもう大丈夫か?」
「うん!だから、そろそろ行こ?」
愛莉に促され、葵はゆっくりと歩き始める。歩く速度がゆっくりなのは、隣にいる愛莉に合わせたからだ。
愛莉の家から葵の家はそう遠くない。ほどなくしてふたりは葵の家に到着した。
「ただいま」
「お邪魔しま~す」
葵はいつも通りただいまと言う。どうやら今日の愛莉はお邪魔しますらしかった。
家だというのに冷えた空気によって出迎えられたため、葵は暖房をつける。その間に手を洗い終えた愛莉が戻ってきたため、葵も手を洗う。
「ご飯にする?お風呂にする?それとも……生徒会の、お・し・ご・と?」
「ん~、風呂沸かすってなると十分以上はかかるぞ?」
「そっか、じゃあ私がパパっとご飯つくちゃうから葵くんお風呂洗っといてくれない?」
「おっけー。風呂洗い終わり次第、生徒会の方進めとくわ」
そう言うとふたりは別々に動き出す。愛莉はキッチンに向かい夕食の準備を、葵はお風呂場に向かいバスタブを洗いお風呂を沸かす。
お風呂を洗い終えた葵はリビングに行き、テーブルの上にパソコンを置き起動させる。
生徒会の仕事は何時間か経験したため、慣れはじめ愛莉を呼ぶまでもなく一人で作業を始める。
「へぇ~流石葵くん。作業スピード上がってるね」
作業に集中し過ぎたためだろうか。愛莉が葵の後ろでパソコンの画面を覗き込んでいることに気づけなかった。突然声をかけられたことで驚いたことを決して表面には出さず、葵は平常心を心がけた。
「まあな、っとごめん。すぐ退くわ」
葵はそう言うと、テーブルの上に置いていたパソコンをソファーの前のテーブルに移す。
「ん、ありがとね~。じゃあご飯にしよっか」
やはり葵がパソコンをどけるのを待っていたのだろう。葵がパソコンをどけた途端、テーブルの上には料理が並べられていく。昨日は葵の希望でオムライスだったが、今日は和食らしい。
出された料理に舌鼓を打った後は、お風呂に入った。葵がお皿を洗っている間に愛莉がお風呂に入り、その後葵がお風呂に入った。
そうして、やるべきことをすべて終えた葵と愛莉は、リビングのテーブルの上にパソコンを出し、生徒会の書類を所狭しに並べていく。
「よっし……やるか!」
「……そうだね。うん、がんばろ!」
ふたりとも目の前の膨大な仕事量を見て、投げ出しそうになる心を無理やり奮い立たせる。自らを鼓舞し、パソコンを起動させ、書類に書き込みを始めた。
生徒会の仕事を始めてから、ふたりは黙々と作業を進めていく。ふたりの間には会話などなかった。あったのはただの確認だけ。まさしくそれは、長い時間を一緒に過ごした幼なじみのふたりだからこそ出来る、阿吽の呼吸だったのかもしれない。
テーブルの上には減った書類の束と、空のエナジードリンクがいくつか置かれていた。
生徒会の仕事を始めたのは九時を少し過ぎたころだったはずだが、時計の針はすでに頂上を回り、二時のあたりを指していた。
葵は一人暮らしだからということもあるだろうが、寝る時間が遅いことがままある。何かに熱中してしまったときに、止めてくれる人がいないからだ。だから、遅い時間だと思っても眠すぎるというほどではない。
しかし愛莉は違う。愛莉はいつも十二時前後で寝ているらしい。そんな愛莉が二時まで生徒会の仕事をし続けたのだ。疲労感と睡魔がピークを越えたのだろう、明らかに作業スピードが落ち、うとうととし始めていた。葵は今どれほど仕事が進んでいるか考え、頭の中でスケジュールを立てる。が、それもやめる。
頭の中で生徒会の仕事を進めることと愛莉を秤にかけたが、一瞬も迷うことなく愛莉のほうが大事だと思ったからだ。
「ま、どうとでもなるか……」
葵は小さくそう呟くと、うとうとしている愛莉の頬をぺちぺちと叩く。
「ふぇ?……って、なぁ~んだ。葵くんか。ごめん……私寝てた?」
「そうだな。ま、時間も遅いし仕方ないだろ。今日はもう寝ろ」
「いやいや、葵くんはまだ起きてるわけでしょ?」
「そりゃ、俺はまだそこまで疲れてないしな」
「じゃあ眠れないよ」
愛莉は葵を残し、自分だけ先に寝るのが気に入らないのか、頑なに寝ようとしない。ただ、時折漏れるあくびは愛莉の心の声を表していた。
そんな愛莉の姿に、葵ははぁ、と小さくため息をつく。
「しょうがないなぁ……わかった。俺も寝るから早く寝るぞ」
「……ん、じゃあ寝よ?」
愛莉はそう言うと、なぜか椅子に座ったまま大きく手を広げた。
「……は?」
阿吽の呼吸で理解しあっているはずの幼なじみの葵ですらわからない愛莉の謎行動に、葵の口から思わず疑問の声が漏れてしまう。
しかし、愛莉は気にした様子もなく目を閉じていた。
「ほら葵くん!ん~~~」
いや、正確に言うと違った。葵は愛莉の行動を理解できなかったわけではない。脳が理解を拒んでいたのだ。
愛莉は目を閉じたまま手を広げ、葵がベッドまで運んでくれるのを待っているのだろう。眠いうえに疲れているからか、ベッドまで歩くのもだるいらしい。
こうなった愛莉はなかなか頑固だと葵は知っていた。そのためこういう時は大抵葵が折れることになり。
「ほら、寝るぞ?」
仕方ないといわんばかりに、葵は苦笑いを浮かべると、愛莉の前まで移動する。
そして愛莉の背中に手を回すとひょい、と愛莉を持ち上げる。すると愛莉は手を葵の背中に回してきて、足を葵に絡めてくる。
葵は昔オーストラリアでコアラを抱っこした時を思い出し、少し笑ってしまう。
そのまま愛莉をベッドまで運ぶ。一応、愛莉が泊まるときは愛莉用に買った来客用の布団に寝るということになっているのだが、買ったときに使われた以降一度も使われたことない。
葵が自分のベッドを愛莉に貸して、葵はソファーで寝ることが多かった。理由はスペースの関係で、押し入れに閉まってしまった布団を出すのが面倒くさいからだ。
そのため、葵は愛莉をベッドまで運んだあと、生徒会の仕事をキリのいいところまで進めてソファーで寝るつもりだった。
「着いたぞ。ほら、さっさと寝ろ」
葵は自身の部屋に置かれているベッドまで愛莉を運ぶと、ゆっくりベッドの上に座らせる。すると愛莉は葵から離れるとベッドにもぐりこむ。先ほどの様子から見ても、ほどなくして寝るだろうことが予想できた。
「さて、俺はもうひと踏ん張りしますかね」
愛莉はすぐ寝るだろうと油断していたからだろう。葵はつい、余計なことをつぶやいてしまう。
愛莉をベッドに座らせるために、屈めていた体を起こし部屋から出ていこうとすると、葵の手がグイッと引かれ、ベッドに思わずしりもちをついてしまう。
その瞬間、葵は掛け布団に覆われる。それでも未だに葵の手は引かれ続ける。抵抗するのは容易だったが、相手が分かり切っていたため少し乗ることにした。
引かれるままに体制を変えると、葵の顔の隣には愛莉の顔があった。それこそ、吐息がかかるくらいの距離に。
「……愛莉?」
意図がつかめなかった葵は思わずそう聞いてしまう。
暗闇の中愛莉の顔を凝視し分かったことは、どうやら愛莉は怒っているらしいということだけだった。
「葵くん今もうひと踏ん張りって言った。寝るって言ってたのに……」
「あー、ごめん」
「ごめんじゃない。私に嘘ついた。だから一緒に寝よ?」
突然の話の飛躍に、葵はついていけない。
「今ここで葵くんのこと離したら、葵くんは絶対生徒会の仕事するもん。だから離さない!」
愛莉はそう言うと、ぎゅうっと抱き着いてきた。昨日は葵が甘えん坊の日だったのかもしれないが、どうやら今日は、愛莉が甘えん坊の日らしい。
愛莉に突然抱き着かれたことに驚きつつも、葵は困ったように笑うだけで愛莉を無理やり引きはがすことはしなかった。
気づいていなかっただけで、慣れない生徒会仕事に葵はかなり疲れていたらしい。ベッドに入ったことでそのことに気づいてしまった。その少ない体力では、暖かな睡眠の欲求にあらがうことは困難だ。
抱き着いたことで満足したのか、愛莉はすでに夢の世界に旅立っていた。
「今日くらい……仕方ないか」
葵がその後を追うのは、そう遠くない未来のことだった。
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