le loup-garou
第1話
鱗の呪いに悩まされている患者の往診に、僕とステラはミュルーズまで出かけて来ていた。スイスにほど近い、手工業で栄えたアルザスの小都市である。ドイツとの戦争で幾度となくとっかえひっかえされている土地であり、古風だが気取りがない洒脱さのある街並みが僕は好きだ。ただし患者はスイスとの国境ぎりぎりの森に住んでいるので、都市部へ寄って買い物する時間などは貰えそうにない。
ぶすくれながら左にステラの鞄を提げ、右腕ではステラを抱え、僕はパリとはいくらか趣の違う雑木林を人間の歩調で歩いているところだ。吸血鬼の脚で急げばパリまで約四時間ほどだが、日中は僕も本調子ではないし、あまり派手な移動は控えたい。
「ねぇ~。自分で歩いてよぉ」
「煩い。あたしは早く帰りたいんだ。汽車のように走りな」
「なんて我儘なバァさんだ……痛ってえ!」
肩甲骨の間に容赦ない肘鉄を食らい、よろめくと更に頭を叩かれた。
「あんたは何もしてないんだから脚として働きな」
「おばあちゃんこそ一歩も歩いてないでしょぉ!?」
「お黙り」
寂しい森をやいやいと言い争いながら歩いていると、僕はふと鋭敏な嗅覚に嗅ぎ慣れない匂いを察知して足を止めた。
「なんだろ。近くに……狼かな、威嚇してみたけど動かないな」
「……どっちだい」
まあそうですよね、と頷いて、僕は爪先を僅かに東へ傾けた。
今年は暖冬だったせいで、あまり積雪しない間に暖かくなってしまった。浮かれた草花が一斉に芽吹き、初春の奥ゆかしい情緒を感じる間もなかった。入り混じってよくわからない花の香に頭痛を覚えつつ、僕はまだまばらな柔らかい草道をサクサク踏みながら気配の方へ進んでいく。
やがて獣道の開けた場所に出るとそこには、斜めに茂った木々の足元に蹲るようにして大きな白銀の狼が丸まって伏せていた。
「うわーっ、ステラ見てよ! 銀色の狼だ!」
「喧しい、騒ぐんじゃない。あんた冬毛だね。どこから来たんだい」
僕を蹴飛ばして腕から下りると、ステラは僕の手から鞄を取ってゆっくりと狼へ近づいていく。彼女の二倍以上ある獣は苦しそうに鼻を鳴らしながら、じっと僕たちの様子を伺っている。鼻水を垂らしてはあはあと息を切らし、なんだか具合が悪そうだ。
「ステラ、動物と話はできないんじゃなかったの?」
「できないよ。これをお飲み。助けてやるから」
ステラは狼の鼻先をハンカチで拭ってやると、鞄を探って引っ張り出した薬を狼の口端へ突っ込み、頭を持ち上げてやった。
あれ待てよ、それぼくのハンカチじゃないか?
「ウゥ……」
狼は低いうめき声を発して頭を振ると、億劫そうに立ち上がって身震いした。体躯の銀色の体毛が退色して地肌が現れ、骨格が四足獣から二足歩行の人型へ変化していく。瞬く間に姿を変えたそれは、一糸纏わぬ美丈夫の容姿を取って再び僕たちをひたと見据えた。
「人間になった!」
「ンフッ。あたしの見立て通りだ、いい男だねぇ!」
「……お前たち、人間じゃないな。なんだ?」
涎を拭っている魔女の首根っこを掴んで下がらせながら、僕は素っ裸の男の前にしゃがんで自己紹介した。
「僕はルイ、こっちはステラ。どっちも長生き」
「俺は……えっと、ユーリだ。仲間と逸れて、鼻が利かない。方向もよく……わかんない。あつくて、苦しいんだ。俺、死ぬのかも」
「馬鹿お言いでないよ。あんたはただの花粉症だ。どっちかと言や、冬毛のままこんな場所で一人でいる方が危険だ」
「ステラ、顔がはしたないよ。身体触るのもやめなさい。ユーリ、僕のコートを着なよ。小さいだろうけど」
「服なんてやだよ……ぶしぇっ」
品のないくしゃみをしながら、ユーリと名乗った狼は盛大に鼻を啜って頭を掻いた。
「変わったの久しぶりだなあ。お前たちも化けるのか?」
「僕たちは化けないよ。彼女はすごーく長生きの魔女。僕は善良な吸血鬼。悪いけど服着てくれないかな。目のやり場に困るし、こんなところで寝てても良くならないからさ」
「どっちになってもその高い図体じゃ目立ちすぎる。ルイ、着るもの一式揃えてやんな」
「嫌だよぉ! ピチピチのコートにフルチンの男と二人でショッピングするの!」
「あんたが拾ったんだからあんたが世話しな」
「ステラだよ拾ったの!」
「俺、落ちてた訳じゃないぞ……」
◆
「なんだここ、くさい。人がいっぱいいる」
立派な胸囲故に前が閉まらない僕のコートを引っ張って前を隠しつつ、ユーリは奇異の目も厭わずきょろきょろと落ち着かない。灰銀の髪に宝石のような美しい碧眼、僕よりも更に大柄でたくましい体躯の美青年が裸足にコート一枚で薄着の男と歩いているのだから、そりゃ注目されるに決まっている。
僕はもういろいろ考えるのは諦めて、預かった財布の中身を確かめながら溜息を吐いた。
「すごい田舎者拾ったなあ。ユーリはどこに住んでたの、森?」
「うん」
「……もう少し追加情報ほしいんだけど」
「そっか。俺人とこんなふうに喋るの、初めてだから」
「狼の仲間と一緒だったんじゃないの?」
「別に狼の時は喋らないし」
「でもユーリ、人狼ってやつだろ? 同じような仲間がいたんじゃないの?」
「知らない。俺さっきまで化けられること忘れてた」
白銀の毛並みの大きな狼の姿は実に美しく、雪に覆われた北方の森で見かければ神の化けた姿と見紛ったかもしれない。その気性がここまで間の抜けたワンちゃんとは、なんとも拍子抜けである。そもそもどうやったらロシアの森からこんなところまで迷子になって辿りつくのか。スイスの山岳を抜けてきたとしても、ツンドラの風景とは違うことに気づいて良さそうなものだが。
古着屋を覗きながらとりあえずブーツを買ってやり、嫌がる狼に無理矢理履かせた。ユーリはひょこひょこと片足ずつ跳ねながら捻挫したバッタみたいな歩き方になり、ますます衆目を集めている。
「ルイ、俺これいやだ」
「文句言わないの。うーん、ガタイが良いから服は古着じゃだめかなあ」
四軒目のカビ臭い古着屋で古臭いだぶだぶのシャツをユーリの身体に当てながら僕は唸る。ユーリは目に入るものなんでもかんでも手に取ってにおいを嗅ぐので、店主がじっと疑いの目を向けて僕たちを訝っていた。
「俺こういう服やだよ」
「贅沢言うなよ。パリで一揃い仕立ててやるからさ。ていうかお前、狼に戻りなよ」
「俺早く帰りたい。戻りたいけど、次の満月まで待たなきゃダメだ」
「じゃ、なんで化けたんだよ」
「話しかけられたの嬉しくて」
「…………お前、可愛いとこあるね」
「そうかな……ぶしぇっ」
「ア―――――! お前っ、僕のコートで鼻水拭くなぁ!」
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