第3話
「お茶売り、もといお茶奢らせってわけかぁ。随分狡猾なのが出て来たな。しかし、いくら切羽詰まってたからってそこで乗るかな? 普通に引くんだけど」
「違うっ! 彼女には触れていない。金だけ渡して帰した。ただ……食べかけのケーキとジュースから唾液をいただいた」
「大事な女の子とだけロマンスしたいって考えはわかるけど、だからって女の子の食べ掛けとか飲み終わったカップを舐る君のやり方って、一周空回って下品なんだよなぁ」
「ウッ……」
ちょっと言い過ぎかな、と思いつつ、僕は一連の話を聞きながらヴィクトールという夢魔がいかに非効率かつ潔癖な男かという事実を再確認していた。尾籠な話になるかと憚り淑女たるヘレンには別室へ移動してもらったが、まったくもって杞憂だったようだ。
「で、その少女が女装の男の子だったってこと?」
「そうとしか思えない。後は……考えたくない。唾液だけで若返るということは、童貞だったんだろう。私は好まないがこれに目がない同士は好んで摂取すると言うし」
「体液ならなんでもいいんだっけ?」
「まあ、程度の差はあるが……一応」
夢魔はステラの反応をしきりに気にしながら、居心地悪そうに肩を竦めている。退屈そうに耳だけ預けていたステラは、ふわんと欠伸をしてから気怠い声で総評を述べた。
「馬鹿な上に無用心だねぇ。ジリ貧のクセに見栄を張るからだよ。眠らせてひん剥いてしゃぶるまで五分もいらないだろうに」
「ステラ、その姿では卑猥な言葉を控えてください……」
「童貞で夢魔になると苦労するねぇ。借金今何年?」
「八百四年だ、ほっとけ!」
やんやと言い争い始めた僕たちを遮り、ふとステラが軽く手を上げた。その人差し指を夢魔に据え、魔女は口角を上げずに言った。
「この際だからよく聞きな。お前は本物の悪魔に目つけられてんだ。逃げられやしないんだから、その場凌ぎの誤魔化しはおやめ。知恵で欺こうだなんて考えは捨てて、せっせと働くんだよ。なんなら女が全員例の初恋相手に見える幻覚剤でも作ってやろうか?」
「ステラ……怖いこと言うなよ。それはもう親切じゃないよ」
「何故だい。おもしろそうじゃないか」
僕が軽口を挟んでも、ヴィクトールの表情は沈んだままだった。ステラも何らかの事情を察しているのか、再び彼に向き直る。
「いい加減甘い考えは捨てることさ。あたしたちの長すぎる余生じゃ、一つの倫理観じゃ尺が足りないよ。添い遂げるような相手なんてそうそう見つかりゃしないんだよ。百年前はルイの伝で見合いを斡旋してやれたが、今の時代、貞淑を信仰する生娘を探そうとする方が難しいってもんだよ。あんたの一途さは誇り高いと思うがね」
「弁えております。ですが、私はその……地道にやっていこうと思います」
美女の顔に疲れ切った老人のような苦笑を浮かべた夢魔は、律儀にそう言って頭を下げた。
ヴィクトールは一度相手を見つけたら、彼女を看取るまで相手を変えない。この誠実な夢魔が年老いた姿をしているということは、それだけ彼を長く愛した女がいたということなのだ。吸血鬼になってから恋人がいた試しのない僕は、どうしても彼が羨ましくなってしまう。
相変わらずの生真面目さをからかって満足したのか、少女の姿をした色欲魔はくつくつと笑ってヴィクトールの尻を撫でた。
「どれ、可愛がってやろうじゃないか」
◆
「ヴィクトール……ほんとに性別が変わるのね……」
あちこちに縄や内出血の跡が残る痩躯に持参した男の衣服を身に付けていたヴィクトールを眺め、舞台側の壁を通り抜けて飛んできたヘレンが不思議そうな声を出した。美女から更に若返って瑞々しい青年となった彼の裸を見て平気なあたり、彼女もかつての経験値が窺い知れる。むしろ居心地悪そうなのはヴィクトールの方である。胸元に洒落たタイを締めながら、長身痩躯の美青年姿に変身した夢魔は咳払いして答えた。
「私は男性性が強い個体だが、全く拘らない者もいる。要は……個々の守備範囲に拠る」
「そうなの……あなたも長生き?」
「飢え死しなければ死なない不死者のはずだよねぇ。こいつはしょっちゅうジイさんになってるけど」
「いちいち口が余計だ吸血鬼。生憎夢魔の知り合いは少なくてね、私自身もよく知らないのだ」
「長生きなら……時々来てくれたら嬉しいわ」
「こちらの姿がお気に召したかな?」
「いえ違うわ。お掃除が得意そうだから」
「…………あっそう」
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