ブラック企業からの解脱

 今日は3社目の最終出社日だった。


 草太は31歳で、これまで2回転職した。

しかし全職場で必ず深夜残業とか夜中まで仕事する事になった。

そういう星の下に生まれたとかしか思えなくなった。

単に効率が悪いとかもあるかもしれないが、何かあるんだろうなー。いろんなこと引き受けちゃうとか。


 今日も帰宅すると始発動いててタクシー使わずに済んで有難いと思えるようになった。でも11時には出社する。

 僕はデータサイエンティストだった。毎日大量のデータをグラフ化するのが仕事だ。


 昨年は3月に1度目の40度超えの高熱、5月に2度目の40度超えの高熱、7月に頚椎ヘルニア発症、10月に3度目の40度超えの高熱。9月は仕事を抑えながら、初めての鍼でヘルニア治療。10月からヘルニアほぼ回復で、仕事詰め込み詰め込み詰め込み。

 実質週6勤務になり、そのうち1日、2日は朝帰り from 仕事で。そんなこんなでずっと忙殺されているような日々を送っている。

ただ生きるんじゃなくて、よく生きたい。もっと言うなら、ちゃんと生きたい。それだけなんだけど、それが難しい。


 先月に会社からお休みもらった…というか、仕事の都合をつけてさせて貰って、有休を5日間使った。

 精神的にもヤバイ状態で傍目でみておかしいと思われたらしく、しっかり休んでこいとのこと。休みを貰えたのをいいと捉えるのがいいのか、ここまでなるまで働くことになった過程を悪いと捉えるのか。

 それをきっかけに転職を考えるようになった。その間にも面接には行った。また、会社の勧めで産業カウンセラーの面談を受けたのもきっかけだった。

 次の職場は電気会社になる。理由は離職率が低く、有給取得率の高さから超ホワイト業種と呼ばれているからだ。業種は特にこだわらなかった。ただ、僕のデータ分析の経歴を買ってくれて、スマートメーターのビックデータ分析を担当する事になった。

これは僕のブラック企業の「解脱」に至るまでの話だ。

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 僕は大学院に進学していたが、学費が払えなくなった為中退した。

経験なしでも良いという事で、1社目は建築会社の現場監督をやった。

 何で受かったのかというと、若手不足だからだ。この建築業界がここ15年で150万人も労働者がいなくなって、平均29歳以下の人材が全体の10%、50歳以上が全体の約3割という建築会社の現場監督の仕事は大きく分けて①工程管理②品質管理③安全管理④何でもである。

①工程管理というのは現場の施工主に「今日はどこどこから作業してください」と作業の伝達する作業だ。

②品質管理というのは工事前に建物の風景をバシャバシャ撮る仕事。

③安全管理は字の通りで火災など発生させないように点検する仕事。

④何でもというのは例えばマンションの建築説明会のビラをポストに入れて、実際の説明会を開くとか。やはりパチンコ屋やラブホ、風俗店は建てられなかったケースが多い。


 辞めた理由は仕事内容がクソだったからだ。特に新築マンション。勝どきの860戸のマンションの現場監督をする事になった。最近入居する前に入居者の意思によってレイアウトが変更可能なマンションが流行している。

 居室をつなげて広いリビングにするといった典型的な間取り変更プランをはじめ、通常サイズのクローゼットを広げてウォークインにしたり細部にわたって変更が可能である。これが施行主にとって非常に迷惑なのである。

 先ず860戸マンションには施工主が1000人以上必要である。

毎週毎週購入者のリクエストによって作業が変わるので複数の現場監督がいるのだが揉めに揉め、チェックリストまみれになり、確認作業だけでも膨大になる。

 僕も彼らの鬱憤を聞いたり、汗まみれの現場にいるから臭いが何度洗濯しても染み付いてシャツばかり購入する。もう嫌になってそこは9ヶ月で辞めた。


 2社目で僕はIT会社のデータアナリストになった。

僕の学部、院時代は統計のゼミに入っていて、ようやく自分の過去の経験を活かせそうな所に就いた。というかその方が収入が良いのだ(当たり前だ)。

 その時の仕事は金融系や通販系大手企業中心とした企業向けのビックデータの分析、SAS等を活用したBIシステム開発といったいきなりクソ重い奴だった。

 入社後1~2ヵ月研修があり、3~4ヵ月のOJTを受けながら顧客先にて業務に慣れるという案内なので若干安心して入ったが、作業量が半端なく多く連日深夜2時、始発で帰る毎日だった。


 しかも会社が小さいので一緒に働く新卒が1人入ったが、まともなフォローがないにも拘わらず初心者なので僕が徹底的に分析のイロハを教えたりと業務以外の事を結構引き受けたにも拘わらず、僕は上司や社長に気に入られず、僕の給料は上がらず、評価はずっと低かった。


 1年半後、一部上場のリサーチ業界ではかなり有名な会社に転職した。僕はデータサイエンティストとなり、消費者の購買履歴データと、POSデータサービスを中心に集められたデータを分析することになった。


 まあまあまあこれが、前述の通りブラックで、みなし残業45時間という「みなし」という僕の一番嫌いな単語が入り、月150~160時間の残業が常だった。朝6時に帰宅したら11時には出社。平均睡眠時間は4~5時間。僕がわかった事は睡眠時間がないと良いパフォーマンスなんて出来やしない、という事だ。というか、この状態がずーっと続くと生命の危機になる。


 ここでも業務外の事を沢山任された。後輩の指導、勉強会の主催、その後の飲み会のセッティング…。でもおかしいと思った事を指摘する上司にまた嫌われた。もう僕はその上司に嫌われても良いと思った。

 僕は何故頼まれたら断れないのか考えて、それは学生の時からそうで、中・高校僕は生徒会長だったし、大学はゼミ長になってなかなかゼミに来ない学生を必死に説得したし、もちろんゼミ旅行は僕が殆ど計画、実行した。何かそのあたりのエピソードって就活で割と使えるんだけど、僕は全ての行事で楽しんだことがなくて、苦がずっと続いて、僕はずっとどうしてこうなんだろうかって5日間の有休の間に産業カウンセラーに相談したのだ。


 そうしたら「草太さんはアダルトチルドレンの『責任を負う子供』だからである」と言われたのだ。

 僕が「NO」が言えないのは、流れに任せながら、誰かの期待を読み取って動くことにすっかり慣れてしまったからだ。だから僕は周囲に本当の自分の感情を出そうとはしないんだ。


 僕が9歳の時両親が離婚してしまったのだが、それまでお父さんはいつもお酒を飲んでいて、母親と協力して「お父さん」の役割を担う。弟と妹もいたから彼の世話も、という物凄い責任感を背負って生きていった、って振り返ったらそうだなあって思った。僕はその時それが当然だと思っていた。


 何でも人のせいにするな、ってよく言うけど人のせいにしたかった。

 僕は人のせいにできなかったからずっと苦しかった。

 自分なんていない方が良いと思っていた時期があった。

 死んだら迷惑はかかる。でも母は親より先に死ぬのが一番嫌だと言っていた。母に迷惑をかける訳にはいかない。でも生きていても迷惑なんだ。どうしたら良いのか全然分からなくて、僕はカウンセラーの前でひたすら泣くことしか出来なかった。


「人に迷惑をかけるのはいけないことですよね。全員がそうであるわけではないと思います。迷惑をかける価値がある人はかけてもいいですが、迷惑をかけるだけの価値のない僕は人に迷惑をかけてはいけないのです。

 でも僕には価値がないので、自分の為に生きる意味はありません。僕には価値がないので、自分で自分を好きになれたとしても、それは何の意味もありません。僕は人に好かれるよりも、人に迷惑をかけていないことに価値を感じます。人に与える迷惑が少なくなればなるほど僕の価値は高まるんです。」


 でもその先生は言いました。「あなたは悪くない。親は悪いって思うようにしなさい。私があなたにしてほしい事はそれだけです。」

「でも先生、親が悪いと世間から「それは甘えだ」とか言います。

「ええ、世間では人のせいにするのはよくない事になっています。それは何故か考えた事はありますか?」

「…」わからない。

「自分の責任を果たさないのはダメだ、って日本社会がずっと私達や祖先に教育してきたので。でも私達は皆人のせいにして生きてるんですよ。」

「そうなんですか?先生だけじゃなくて?」

「はい、だから人のせい、環境が悪かったって思うようにしましょう。アダルトチルドレンという言葉は私達の生まれ育った家族における親の影響、支配を認める言葉なのです。自分がこれほど苦しいのは『私がどうも性格がおかしいのではないか』とかではなくて、そこには親の影響があったのだと認めることで、『あなたには責任はない』と免責する言葉でもあります。」

「ま…実際、自分のせい40:環境が悪い60くらいじゃない」

「…。」僕が聞いた事がない言葉が続く。

「自分を楽にしてほしいんだよね。余計な荷物は持たず、自分のやりたくない事はしないで、もっと楽に生きようとして良いんです。日本人はね、楽に生きる事に対して生来的に罪の意識があるんだけど、『何故楽をしてはいけないの?いーじゃん、楽』って開き直って良いのです。貴方のご両親が離婚したのも、ずっと不要な責務を負わされるのもあなたのせいじゃないんですよ。」


その一言で僕はボロボロ泣いてしまった。


「しかももう一つ言いたいのはね、家族で雁字搦めになっている自分、というのは自分の中の一部分でしかないんですよ」

「…自分にとっての一部分という事ですか」

「『僕には価値がないので、自分のために生きる意味はありません。』と貴方は先ほど申し上げた。0か1ですね。「そう思ってしまう自分」も自分の中の一部分でしかないんですよ」

というと先生は紙に大きな16マスの正方形を書きだした。

「草太さんは今何歳ですか?」

「31です」

「じゃあここに31歳って書いてください」

「はい」

「どこの出身ですか?」

「ずっと東京です」

「東京都出身と書いてください」

「はい」


そうして僕は先生の質問の答えをマスに埋めていくと、16マスが埋まった。

「草太さん、これ1面16マスのブロックだとしましょう。他の面にも16マスずつありますね。それだけの要素で草太さんは構成されているんです。家族で雁字搦めになっている自分、というのは1面でしかないんですよ。この面が黒くても欠けてもブロックが壊れる事はないんですよ」

「草太さん、次回までに正方形の他の面にも書いて草太さんを完成してみてください」

と言い渡して、その日のカウンセリングは終わった。


 僕はまだ実家暮らしだったのでこの作業を家ではやりたくないと思い、カフェでやった。

結構、楽しかった。何だ。僕楽しい事もあったんだな。格闘ゲームにはまっていたこととか。


 そうしてカウンセリングを繰り返すと僕はあまり家族の世話をしなくなった。というか転職前に31歳で初めて一人暮らしをする事にした。母親に言うとついてきそうだったので夜逃げしようと思った。

 余談だが人生初、友人を飲みに誘うようになった。友人はかなり驚いていたが、「何かふっきれた顔してる」と言われた。

 一番の問題の仕事、産業カウンセラーも会社側にカウンセリングの結果を伝え、「うつ病だから本人が会社に行ける状態になるまで休職する」という事になり、その間転職活動をして転職したのだ。


 僕は転職を考えた時、僕は勿論残業が少ない仕事を探そうとしたが、そうなると事務職?と考えるとうーんとなった。

またデータアナリスト系?もううんざりなんだよ。

 僕は何がやりたくて会社に今迄入ったのではなくて、「入れるから」とか「経験があったから有利」とか受動的な態度で職を選んできた。


僕は何がやりたいんだろう。

そもそもやりたい事がなきゃ仕事は出来ないのか?うんざりしながら出勤する会社を電車で死ぬ程遭遇し、僕の会社のエレベーターに乗り込む人間の表情の暗さって言ったらこの世の消滅としか思えない。


「楽になりたい」

これは僕の一番の優先順位だ。他に何がある?

「自分は何が出来る?産業系マクロデータの分析だ、もう死ぬ程アサインされたから正直何でもできるんじゃないか。あと社内、社外調整とか…」


 成程、これがキャリアを考える際にwant,[yoko]can[/yoko],mustを押さえるってやつだな。

「楽(want)=データ分析([yoko]can[/yoko])+何かしら楽な業界が求めているデータサイエンティスト(must=社会のニーズ)」って事か。

 じゃあ、ホワイト業界でデータサイエンティスト系の求人を見てみよう、という事で見つけたのが次の仕事だ。

 次の就職先に行くまではレオパレスでしばらく暮らした後、物件を決めて母親がいない間に荷物を全部持って行った。楽しかった。寝て食べて飲んで思い切り遊ぼうと思った。


これからの人生にとてもわくわくする。

もう30年も過ぎて待ったからこれから先取り返さなきゃなって。

これで僕の話は終わり。


「太く長く往こう

人生は生きてりゃ色々あるけれど


楽して得しよう

人生は生きてりゃ色々あるけれど


正直にならなきゃ

そう最後には屹度一つしか選べない」

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