そのような行為に

「お父さんのことを支えられるのは自分しかいないって思ってたって。まあその通りだったらしいけど」


イチコの話は、それで一段落付いたようでした。


『支えられるのは自分しかいない』


その想いで六年間待って、OKをいただいたのですね。ならば私は、九年くらいは待たないとお義母さんに叱られてしまいますね。


なにしろ相手はまだ未成年なのですから。


そう思いつつ、この日の会合を見届けて、私は千早を自宅まで送り届けます。


彼女は、ヒロ坊くんの家で夕食を済ませて、その上で自宅でもお姉さんやお母さんのために食事を作るのです。


これは、料理を作ること自体が好きでないとなかなか大変なのではないでしょうか、


「千早、ヒロ坊くんのところでも自分の家でもとなると大変じゃありませんか?」


そう尋ねても、彼女は、


「別に~。料理作るのって楽しいじゃん。ピカ姉はそうじゃないかもしんないけどさ」


と、悪戯っぽく笑いながら応えます。


正直、私は料理に対してはそんな風に思えないので、素直に彼女のことを尊敬します。


本当に素晴らしいですね。


決して、女性なら料理ができて当然というわけではないのです。現に私も苦手なのですから。ただ、だからといってできる人のことを『素晴らしい』と感じてはいけないというわけでもないはずなんです。


自分ができないからといってできる人を貶めてそれで相対的に自身の価値を上げようとするのは、私は好ましいとは思いません。


他人を下げるのではなく、自身を高めることにこそ力を注ぐべきではないでしょうか。ネットなどで毎日毎日、他人を貶めようと時間を費やす方々のことを考えてみれば分かるのではないですか?


そのような行為に価値があるのかどうかが。


こう言うと、


『他人に価値を云々されたくない!』


とおっしゃるかもしれませんが、他人を罵り貶すのは、その方にとっての価値などにケチをつける行為ではないのですか? ご自身の価値は云々されたくないけれど、他人の価値にはケチをつけるのですか?


これに反発なさる方はきっと、


『お前もそう言って他人の価値にケチをつけてるじゃん!』


と反発なさるのでしょうね。


私はただ、『そのような生き方はもうしたくない』というだけなのですが……


過去の私自身を思い出せばこそ。


あの頃の私は決して幸せではありませんでした。ただただ他人と自分を比べて優越感に浸っていただけです。そしてそれを<幸せ>だと思っていただけです。


他人を貶めることで自分に価値があるかのように錯覚させていた自分自身が浅ましかったと感じているだけなのです。


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