明るく希望のある世界を

過重労働とそれに従属する奴隷の如き労働者のおかげで今日の日本があると考える方が多いようですが、私はその考え方には否定的です。


確かに長時間労働があったことは事実でも、それはしっかりと労働者側にも還元されていたのではないのですか? だからこそ、かつては家長たる男性の収入だけでも生活が成り立っていたのではないのですか?


しかし現代では、過重労働を行ってもなお、男性だけの収入で家族の生活を維持することは困難だと聞きます。


それは何故ですか?


物価の上昇や、日常的に必要とされる費用の増大に見合う給与が支払われていないからではないのですか?


社会が膨張しているにも拘わらずそれに見合う給与を企業側が支払えていないからではないのですか?


それが本当に、<成長した社会>と言えるのでしょうか?


労働者に対して十分な給与も払えないような社会のどこが<豊か>なのですか?


それを、『社会とは厳しいものだ』の世迷言で誤魔化しているだけではないのですか?


これからは、移民を大量に受け入れでもしない限り人口が急激に増加することはないでしょう。むしろ減少し、市場規模も小さくなっていく可能性の方が遥かに高いはずです。


それが分かっているのですから、<社会が拡大することで成立するビジネスモデル>に拘るのは、むしろ自らの首を絞めることに他ならないと私は思うのです。


今後は、コンパクトにまとまっていくことにこそ実利が生じる社会に変じていくことが求められているのではないでしょうか。


『拡大していかなければ成長しない』という先入観を見直す時期に来ているのです。


『そんなこと、上手くいく筈がない』


そうおっしゃる方は多いでしょう。ですが、果たしてそうでしょうか? 戦後日本の、過去に例を見ないほどのとてつもない成長ぶりをあらかじめ予測できた方が果たしてどれほどいたのでしょうか。


『そんなこと、上手くいく筈がない』


と誰もが言うことを実現してきたからこそではないのでしょうか?


偉大な先人達がやってみせたことを自分達にはできないと決め付けるのは何故ですか?


確かに、自身の知識だけで『無理だ』と決め付けてしまう方に壁を破ることなどできないでしょう。


できないと思われたことをやってみせた者こそが時代を動かすのです。


正直申し上げて私にその力があるとまでは思えませんが、やりもしないで諦めることはしたくはありません。


私は、ヒロ坊くんがこれから生きていく社会を、希望のない暗く霞んだ物にしたくはありません。


私は彼と、輝かしいとはまでは言えなくとも、明るく希望のある世界を生きていきたいのです。


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