たちまち信頼を
その時に倒れていた男性は、搬送先の病院で意識も取り戻し、一命をとりとめたということでした。
しかし、その現場に通りがかった千早のお母さんの適切な処置がなければ亡くなっていた可能性が極めて高かったこともまた、事実だったそうです。
そうして男性を救い、それでいて颯爽とその場を立ち去った千早のお母さんの、『カッコいいい』と言って差し支えのないであろう姿を見た人達は、そんな女性が家では我が子を虐待していたなどとは、想像もできないのではないでしょうか。
逆に、千早がどのような経験をしてきたかを知っている私は、この話を聞いた時、にわかには信じ難かったのも事実です。
それら、あまりにも印象の異なる二つの面は、まぎれもなく一人の人物が持つものなのは厳然たる事実でした。
こうした現実を、私はきちんと受け止めないといけません。それができなければ、千早に対して、
『人は一人一人違うのです。だからこそ人は誰もがかけがえのない存在なのです』
とは言えなくなってしまうでしょう。
千早のお母さんの両面を認めずに私がそれを口にすれば、明らかに矛盾している振る舞いを千早に見透かされ、たちまち信頼を失うのは目に見えています。
なぜなら、私自身がそのような人を信頼できないからです。
もしかしたら千早は、実の子供として一緒に暮らしていたことで、自分のお母さんの別の一面も無意識にでも悟っていたのかもしれません。
だからこそ、決して許してはいないけれど、誕生日を祝ってもいいと思えたのかもしれませんね。
人間は物語のように単純で分かりやすいものではないというのを思い知らされます。
翌日の日曜日も、千早はヒロ坊くんと一緒に山下さんの家で料理を作りに行きます。今回は餃子を作るそうです。
山下さんから聞いた、千早のお母さんらしき人が人を助けたという件については、まだ千早には話していません。まだこの時点では裏付けも取れていませんでしたし、何より、そういう<良い人エピソード>をことさら告げるのは、逆に反発を受ける可能性もあると考えたというのもあります。
山下さんも、千早には話すつもりはないとのこと。私と同じように考えているようですね。
沙奈子さんは元々、饒舌な方ではなく、必要最低限以外は口を開くこともないので、そちらから漏れる心配もありません。
フィクションなどでは、そういう<意外な一面>を知ることで心が揺らされ、親子の和解へと繋がっていく感動のシーンになるのかもしれませんが、現実はそんなに甘くはありません。
千早がどれほどお母さんに憤っていたかを知る私には、それで上手くいくビジョンが全く見えてこないのです。
たとえ、千早が手作りケーキでお母さんの誕生日を祝った後だとしても。
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