第1話-16

16


海水を進む一行の前には、闇しかない。排水パイプへ滑り落ちたニノラ・ペンダースを先頭に、イラート・ガハノフ、ジェイミー・スパヒッチ、イ・ヴェンスの順番に1列に並んだ一行は、小柄のジェイミーが腰まで浸かる海水の闇をかき分け、前にすすんでいた。


 未来人たちのごとく、意識転送による本部からの地図送信は、もちろん皆無ですあるから、無闇にかんに頼って、ここまで脚を進めたのだった。


 しかしである。ここまでの道すがら、壊れたラジオのようなジェイミーが口を閉じるはずもなく、イラ立ちを嘴として尖らせた唇から、怒りを吐き出すイラートと、口喧嘩をしどうしであった。


「いつになったら水から上がれるのよぉ」


「水じゃなくて、海水な」


 2人のやり取りは中高生のそれとなんら変わりない。お互いの上げ足をと会話だ。


「銃は使えそうか?」


 最後尾から大男のくぐもった声がチタンに反響した。一応、この場へ散弾銃を担いではきたものの、オクトパスの一撃の際に弾丸を入れたリュックを海に落とし、銃に入れている2発だけが最後の望みであった。


 銃をコツンと1つ叩き、ニノラは黒い顔を背後の東洋人に向け、首を横に振る。


「分からん。撃ってみないかぎりは」


 昨日、2人は初めて知り合った。が、やり取りには慣れた口調だ。


「なによ、まだなにか出てくるって言うの?」


 海水にうんざりした様子でジェイミーは海水を叩き、ニノラに言い捨てた。その脳天から抜ける声音は、人の怒りの壁をいちいち逆立てた。


「問題はねぇえさ。能力を使っていいんだろ? メシアは居ねぇぇんだし、使っちまうぜ」


 小僧っぽくイラートが3人へ言い放った。


 気まずそうに3人は口籠る。ここまで公に能力のことを口にしたことがなく、なんと言い出せばよいのか、個々の言葉の泉に、言語は浮かんでいなかった。


 腰のベルト部に挟んだF92ベレッタのモデルガンを抜くと、ニタリ、不気味にニヤついた。


「能力は控えるべきだろう。事態は困窮している。何事が起こってもおかしくない。能力はその時が来た時のために」


 つまらなそうに不貞腐れた顔を闇に向けた少年のような若者は、不意にモデルガンの銃口をチタンの上空へ突き出した。


 ただならぬ気配、そして銃口の先端に煌めいた青い稲光を、3人は眼を剥いて凝視した。


 次と瞬間、発光した殺意の稲光は銃口を離れ、闇を一閃に焼き切り、闇の彼方で弾けて、稲妻が闇に蜘蛛の巣のように弾けた。

 肉が焼ける音が唸り、何かの断末魔の悲鳴が反響した。


 稲妻の細い血管を未だに帯びたモデルガンを構えるイラートは、唇を尖らせるなり口笛のように音を鳴らす。と、走っていった稲光が応えるように、闇の先で狼煙となってゆらゆらと登った刹那、花火になって弾け、闇に照明を設置した。


 4人は光に浮かんだパイプ内部を認識し、絶句を体現した。


 パイプ内部は直径が20メートルと広く、底部に海水が僅かにたまり、そこを一行は進んでいたのだが、彼らを包むパイプは真っ黒だ。チタンの白銀は姿を潜め、表面をびっしりとおおうそれらは、紅の瞳をぎょろりと一行に向けた。


 チタンのトンネルを全面埋め尽くす黒い塊。ゴキブリの如く蠢くそれは、小型の昆虫のようなデヴィルズチルドレンであった。

 個体の大きさは30センチほどだが、大群は数千、数万とひしめき合って、全身が泡立つ不気味さを、強烈に放っていた。


 稲妻のそれで視覚的認識を行えたニノラ、ジェイミー、イの3人は、間髪を入れず身体を身構え、人外の生命体と格闘を視野に入れた体勢を整えるのだった。


 いち早く巨大昆虫の如き群れを認識し、稲妻で先手を打ったイラートは再び、唇を尖らせるなり空気を吸い込むと、笛の音を奏でた。すると発光体と化して敵軍勢を浮き彫りにした照明代わりの稲妻を、周囲に高速で散布した。


 複数の肉の塊の昆虫生物へ稲妻が衝撃と共に衝突すると、肉が焼け焦げる音と、悲鳴がトンネルに複数反響し、ドロドロに生命体は溶け落ち、海水を沸騰させた。


 これに仲間意識が刺激されたとみえ、群れは瞬間で彼らへ敵意のベクトルを向けるなり、背に伸びた灰色の羽根を、スズメバチのそれに酷似した唸りを立て、中空へと一斉に舞い上がった。あまりの音に海水は震え、イラートとジェイミーは苦悶に歪んだ耳を耐えきれず押さえる。


 1人群れへ進み出て銃を肩に押し当て、狙いを定めるニノラは、使えるか使えないかがはっきりしないライフルで狙いを定め、引き金を引いた。


 弾丸は放射された。が、狙いは的中し、一匹の腐肉虫が海水に落下した。群れの中で落下した生命体は一匹。砂漠のコップの水と同義語が連想された。


 ライフルを海水へ捨てたニノラは、黒い顔に笑みをにじませた。リミッターを解除してもよい状況に自分は置かれている。ここを切り抜けなければ、大望への歩み、使命にたどり着けない。あれこれと考えるのを止め、頭の中をスッキリと整理した。


 次ぎの瞬間、彼を中心に海水に波紋が幾重も腕を広げた。同時にニノラの肉体にも変化が生じている。特に変化が顕著なのは、頭部である。鼻、口の一直線が前部へせり出し、顔がみるまに狼の如く獣じみた。褐色の皮膚は血に濡れ、内部からあふれ出す筋肉の肥大に耐えきれないで裂け、鈍いめりめりという音が羽音の中を突っ切る。筋肉は見る間に彼を巨大化させた。


 しかしながら筋肉肥大はまだ序の口であり、巨大化した彼の二の腕はさらに肥大すると共に、硬化を始める。セメントが固まる現象に酷似した肌質の腕は、1つの鈍器として獣の武器と化したのだ。


 変化を終えたニノラは1つ咆哮を上げると、肉虫の群れへ地響きと共に突進した。


 昆虫はまたたく間に夥しい、物量で獣を攻め立てた。牙を剥き出し、針を逆立て、毒液をほとばしらせながら、ニノラの表面を黒く埋め尽くした。


 が、獣と化したニノラの皮膚に腐肉虫の牙は突き立たなかった。くっつくそばから昆虫をプレス機のような手で摘まみ、握りつぶした。酸性が強酸を遙かに超えている虫の体液が飛び散る。


 けれども獣が危害を感じるそぶりも、殺傷される様子すらも微塵もなく、平然と水風船を潰すようにニノラは虫を駆逐した。


 だがこの数である。潰したところで砂漠にコップの水は相も変わらずだ。


 するとこの事態を認識したらしく、獣はプレス機の手を休めると、右腕を前方へ突き出した。と、腕部の肥大した鋼鉄の如き皮膚が開いたと思った矢先、光が光速で照射された。


 光線。それはこの言葉がまさしく当てはまる光の筋であった。

 一閃は瞬間に数万の虫を駆除する光となり、奇形の化け物を薙ぎ払った。


 だが敵の数は未だ黒い渦となってパイプ内部を支配している。昆虫には羽根がある。その羽根で光線をかいくぐり、獣の背後へ姿を現すものも現れる。敵には知能がある。


 獣の広い背中に回り込んだ肉虫の群れは、肉体に変化を生じさせた。黒いの外皮を泡立たせ、風船のように加速度的に膨張したのである。


 瞬時にイ・ヴェンスは悟った。爆発の前触れの膨張なのだと。


 叫びに口をイが開いたその時、彼の筋肉の鎧をすり抜け、白い物が突っ切って虫の群れを覆い隠した。水蒸気、あるいは霧。アジア人の眼にはそう見えた。それが膨張した虫の群れを包んでいる。と、白い闇の中で光が明滅し、白いシルエットが一瞬、膨張した。が、水蒸気の塊は爆発エネルギーを急激な圧縮力で押さえ込み、白い渦の中に押し込めて、かき消した。


 アジア系ののっぺりとした顔が背後を振り返った時、小柄な少女が白い塊に身体を溶かし、氷河のそれに類似した、鋭く感情を排除した瞳を小さく矢のようにして、腐肉虫の群れを見据えていた。


 霧、水蒸気。真横のイラートはジェイミーの指先が白く濁り、まるで糸人形がほどけていくように消失していく様を見て気づいた。雲。ジェイミーの肉体は白い雲となって膨れると、彼女の意思のままに肉虫の群れを圧迫したのだ。


 肉体を水蒸気の塊へと変化させた肉体を、さらにパイプ全域へ押し広げ、自らの世界へ肉虫の群れを引き込んだ。


 これは効果が絶大であった。腐肉虫は肺呼吸であったがために、雲で肺が満たされ、溺れるようにして窒息状態のままに、海水面へと落下していった。


 背後の防備を万全としたニノラはこれに雄叫びで答えるなり、光線を照射しつつ進軍を加速させた。


 進軍はデヴィルズチルドレンを退避へと、思考を追いやった。生半可に知能があると、恐怖心が生じ、考えるからこそ退避という選択しも自然発生する。昆虫の羽音はパイプの彼方へと少しずつ引いていく。


 これはいける、とイラートが感じながら、獣の進軍に身を任せパイプの折れ曲がった曲線ラインを抜けた刹那、一行の進軍はその圧倒する数の嵐に阻まれた。


 海水を一時的に蓄積するタンクの役目を果たす開けたドーム型の空間。おそらくは人工島の地下で最大の空間であろうチタンのそこに、黒い闇と化した腐肉虫の群れが、蛇の如くうねりをつくって、彼らを待ち受けていたのである。


 計画通りってことかよ! 口の中で呟き、奥歯を噛むイラート。しかし彼の前を行くニノラ、ジェイミーの焦りはそれを凌駕していた。前線で剣となり楯となるのは、2人なのだから。


 これをどう駆除しろと。愕然と心中に落胆をこぼしたニノラ。獣の顔は焦りに皺を深く、人間以上に感情を表に顕にした。


「先に進むしかないのよ!」


 叫んで獣の前に突き出たジェイミーは、肉体を雲へ変ずる。

 直後、八方に拡張すると、腐肉虫を握りつぶすていく。が、数の劣勢はあまりに大きく絶壁の壁の如くであり、雲の切れ間に顔を埋める彼女の小さな顔めがけ、群れが大蛇となり空気を禍々しく歪めて迫った。


 小さく悲鳴を上げ、恐怖で小ぶりな尻を海水につけて倒れたジェイミー。能力者の不安定さを反映させた雲は、瞬時に蒸発、消失した。


 すると筋肉の塊が彼女の前に立った。イ・ヴェンスだ。


 筋肉の鎧を更に妖気のような物が縁取り、アジア人をひと回りも二周りも巨体に見せていた。


 白い瞼を閉じていたがイはゆっくりと開眼した。黒いはずのアジア系の瞳は、開眼と同時に虹彩が七色にふわりと広がった。


 刹那のこと、腐肉虫の群れが突如、爆発の連鎖を引き起こし、瞬く間に巨大空間は爆発の炎で満たされた。


 爆発エネルギーはチタンの曲線を描いた滑らかな壁面すらも外側へ押し出し、滑らかさを失わせるほどであった。それにも関わらず、空間へつながるパイプのつなぎ目に立つ一行は無傷であった。


 爆発の光景を呆然と眺めていたニノラは、肉体が風船をしぼむ光景を思わせるふうに、獣の肉体は収縮すると、数秒と立たぬうちに、黒人の人間個体へと還元されていた。


 その顔を爆発で消失した腐肉虫たちの肉体が焦げて降る灰の雪の中、アジア人に向けて白い歯を剥き出すのであった。


 個々の能力を認識したのはこれが初めてであり、宿命を背負う彼らの戦いが始まった狼煙とこれがなったのである。

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