阪神淡路大震災25年

早いもので、阪神淡路大震災から25年、経ちました。

四分の半世紀。記憶も風化してくる頃かもしれません。

事件があっても、原発のことまで、想像すらしていなかったわたしなのですが、

考えてみると、天災をコントロールできるほどの

科学力を、われわれは持っていなかったんだと気づかされるわけです。


自然を支配する、とか、自然を克服する、ということで、

いまの文明社会は成り立ってる面がありますよね。

「自然と共存しよう」

って言う人だって、太古の昔に戻りたいと口が裂けても言えないわけですよ。

病を駆逐するように、人間にとって都合の悪い自然は

駆逐されていったのでした。

阪神淡路大震災で逆襲された、と思う人も大勢いたことでしょう。


とは言え。

科学はどんどん進んでいくのです。

破壊された文明も、いずれは復興しなくてはいけないのでした。

生きることは、闇の階段を手探りで歩くようなもの。

一歩間違えばおおけが間違いなし、ですが進まないわけにはいかない。

そこまでして、科学を進ませて、なにがしたいのだろうか。

なんのために、科学があるのか。

人間の幸せのためだと言うが

幸せって、人によって違うじゃん?


ある人は、幸せを 「生きがい」 という。

ある人は、「願いが叶うこと」 という。

ある人は、「衣食住たりること」 という。

ある人は、「旅行に行ったり、美術館めぐりをしたりすること」 だという。

人類が全員しあわせになったら、

人間の身になにが起こるんだろう。


瞬間瞬間の幸せはあるけれど、永遠の幸せや究極の幸せはない、

という人もいる。

だとしたら、科学者は、一瞬の花火のような刹那的なもののために

ひっしで研究しているのだろうか。


それでも、前を向いて歩くしかない、それが人間の姿というもの。


大地震から25年。

喪ったものを悼むこともあるでしょうが、

前を向いて歩いて行く。と思う、

今日のわたしでした。

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