World of Simulation 〜折りたたみ傘一本で世界を取り戻す〜

横浜あおば

第1話 地震

 西暦二〇二五年七月二十六日、午前九時五十七分。

 夏休み初日の今日、俺は恋人と一緒に笹塚行きの都営地下鉄新宿線に乗っていた。


「なあミサキ? お前は宿題は先にやる派? それとも最後にやる派?」

「う〜ん、出来るものは先にやっちゃうかなぁ。思い出の写真とか、絵日記みたいなやつは後回しだけど」


 長い髪をいじりながら答えるのは広尾ひろおミサキ。身長は百五十八センチで俺と同じ。肩下まで伸ばしたロングヘアーはつるんと艶やかで、目はくりっとしていて顔もとても可愛い。

 ミサキは高校一年生になった俺の初めての彼女だ。ミサキはクラスメイトで、席が隣だったので入学当初からよく話しかけてくれた。最初は慣れない異性とのコミュニケーションにどぎまぎしたものだが、ミサキの優しさに心惹かれ、夏休み前に勢いで告白してしまった。ただでさえ人見知りの俺がなぜそんなことが出来たのか。恋をするというのは怖いものである。


『まもなく新宿三丁目、お出口は右側です』


 アナウンスが流れると、降りる人たちが続々とドアの前に移動し始める。

 俺とミサキは邪魔にならないように後ろを気にしつつ会話を続ける。


「ミサキはさ、その、今まで付き合った人とか、いるの……?」


 俺はずっとこのことが気になっていた。同い年のミサキは、果たして過去に誰かと付き合ったことがあるのだろうか? もしいたとしたら、恋愛経験の無い俺はミサキを満足させられるのだろうか?

 だが、ミサキは少し戸惑った表情を見せ、答えるのを渋っている。あまり触れられたくないことだったのだろうか? 俺は慌てて別の話を振る。


「じゃ、じゃあさ、どんな人がタイプなの? 芸能人とかスポーツ選手とかで言うと誰、みたいな?」

「う〜ん。私、テレビとかあんまり見ないんだよね……」


 変な空気が流れる。まずい。この状況はかなりまずい。初めてのちゃんとしたデートで、俺は取り返しのつかないミスを犯してしまった。あまりの気まずさにいっそのこと新宿三丁目で降りてしまおうかと思ったが、ここで逃げたらミサキとの関係は終わる。初めての彼女と初めてのデート、それをそんな形で終わらせるのはさすがに嫌だ。だけど、俺にはこの状況を打開する術を持っていない。

 するとその時、ミサキが話しかけてきた。


「ごめんね、違うの。実は私、あなたに話さなきゃいけないことがあって……」


 ミサキの真剣な眼差しに、きっと別れを切り出されるんだろうなと直感した。他に好きな人がいるのか、誰かに告白されたのか、それは分からない。ただ、ミサキは容姿端麗で博学多才、運動神経も抜群と非の打ち所のない人だ。そもそも俺と付き合うメリットが無い。


「あ、ああ。いいんだ、別に。短い間だったけど、すごく楽しかった。ミサキには俺なんかよりもっといい人がいるはずだからな」


『新宿三丁目、新宿三丁目』

 俺は体の向きを変え、横の人に続いて電車を降りようとする。こうなったらもう関係は終わりだ。自分から逃げたのではない。フラれたのだ。厳密にはまだフラれていないが、あの言葉の続きは分かっている。俺はそれを聞くのが怖かった。


「待って!」


 俺がホームに足をつけようとした時、ミサキが俺の右腕を掴んで呼び止めた。驚いて振り返ると、ミサキは真っ直ぐに俺の目を見つめこう言った。


「私、あなたのこと、大好きだよ」

「えっ……?」


 俺は突然のミサキからの愛の言葉に動揺し、目をパチクリさせる。

『扉が閉まります。ご注意ください』

 電車のドアが閉まり、ゆっくりと動き出す。


「ちゃんと聞いて。私が話したいのは別れ話じゃないの。私、実はね……」


 するとその時、ゴゴゴゴという地響きと共に大きな揺れが俺たちを襲った。

『緊急停車します』

 電車のブレーキ音がトンネルに響き渡る。立っていられないほどの揺れに、俺はミサキを庇うようにしてしゃがんだ。周りの乗客もしゃがんだり手すりにしがみついたりして、何とか揺れをしのいでいる。


「おいミサキ、大丈夫か?」

「え、ええ。これって首都直下地震? でも何で……?」


 しばらくすると揺れが収まった。俺はミサキと一緒に立ち上がり、周りを見渡す。乗客に怪我人はいなさそうだ。しかし、網棚にあったカバンや天井から垂れ下がっていた中吊り広告が床に散乱していて、いかに揺れが大きかったのかを物語っている。


「この揺れの大きさ、やっぱり首都直下地震なのか?」


 今後三十年以内に首都直下地震が起こる確率はかなり高いと言われていた。だから俺もミサキと同じようにそう感じた。だが、何か引っかかる。そうだ。ミサキが小声で「でも何で?」と呟いたことだ。天災に理由も何もない。だとしたら、ミサキはどうしてそう呟いたのだろうか?


「な、なあミサキ? そういえばお前さっき『何で』って言ったよな? それどういう意味だ?」

「首都直下地震が起きるのは二〇二七年四月十三日、そう設定されていたはず。もちろん、プレートの動きのプログラム上それ以外にも大きい地震が起こることはあるけど、ここまで大きな地震はシステム的におかしい」


 設定? プログラム? システム? 俺はミサキが何を言っているのか全く理解できなかった。ミサキはこの世界を仮想世界とでも言いたいのだろうか? もし仮にこの世界が仮想世界だったとしても、なぜミサキはそれを知っている?


「ミサキ、お前は一体何者なんだ……?」

「ごめんね。私が最初に言おうとしてたのは、実はこのことなんだ。私はこの世界の人間じゃない。ここは仮想世界で、私はそれを監視するエンジニアなの」

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