第176話 対話再び 4

 白い何かが二人に向かってゆっくりと近づいてきている。


 それらは複数の手のように見えた。


「ご主人様には指一本触れさせません!」


 アルメリナは虚空からマギア式銃器を取り出して応戦の構えを見せる。


「アルメリナ! 俺のことはいいから早く逃げろ!」


「そうはいきません。こうして再会できたのですから」


 迫りくる謎の白い複数の手に向けて銃撃を開始する。


 弾丸が命中した手は吹き飛ぶものの、すぐに再生し元の形に戻った。


 構わず彼女は攻撃し続けるが効果はない。


 手は銃撃に怯まず、一定のペースで距離を詰めてくる。


「ここは私が時間を稼ぎますので、その間にお逃げください」


「俺はここから動けない。それにお前をもう二度と失いたくない!」


「そう言って頂けて嬉しいです」


 アルメリナは優しく微笑んだ。


「言葉なら後でいくらでも言う! だから、だから今は逃げてくれ!」


 ヤファスが訴えた直後、銃撃が止む。


 アルメリナは空になったマガジンを捨て、虚空から新たなマガジンを取り出し銃に装着する。


 再び銃声が鳴り響く。


 相変わらず謎の手に対して効果はなく、距離は縮まる一方であった。


 二つ目のマガジンが空になった頃には、謎の手が彼女の手を伸ばせば届くところまで来ていた。


 彼女は銃を捨てるとナイフを取り出し、接近戦を仕掛ける。


 手は彼女の華麗なナイフ捌きで切り裂かれていく。


 さらに迫る手へ次々と斬撃を繰り出すが、攻撃をものともせず、すぐに再生し始める。


「くっ!」


 ついに謎の手の一つがアルメリナの右手首を掴む。


「アルメリナ!」


 状況を見守ることしかできないヤファスが思わず声を上げた。


 右手をがっしりと掴まれたアルメリナは動きが鈍る。


 その隙を逃さず、複数の手が左手と両足を掴み拘束した。


 (見ていることしかできないなんて! 力を失った俺はこんなにも情けないのか!)


 ヤファスは無念さに打ちひしがれながら視線を送り続ける。


 (……ん? なんだ?)


 彼は違和感を得る。


 意識を集中させると違和感は、アルメリナに絡みつく手から発せられていた。


 手の一つ一つが何か言葉のようなものを放っている。


 <新作 新作 新作 新作 新作>


 <早く 早く 早く 早く 早く>


 <俺だけが気持ちいい展開 俺だけが気持ちいい展開 俺だけが気持ちいい展開 俺だけが気持ちいい展開 俺だけが気持ちいい展開>


 <ずっと ずっと ずっと ずっと ずっと>


 <気持ちいいやつ 気持ちいいやつ 気持ちいいやつ 気持ちいいやつ 気持ちいいやつ>


「な……なんなんだ……これは?」


 拘束されているアルメリナの身体へ別の複数の手がまとわりつく。


 <先生 先生 先生 先生 先生>


 <満たして 満たして 満たして 満たして 満たして>


「や、止めろ! 止めてくれ!」


 <あの展開こそが唯一無二のユートピア>


 <今度は上手くやろう>


 <余計なことは考えないで>


 手がアルメリナの細い首に絡みつき、締め上げていくと苦しそうな表情を浮かべる。


 同時に右手に持っていたナイフを手放してしまう。


「止めてくれ! 頼む! 頼むから!」


 <今のままでいい>


 <変わらなくていい>


 <今のままでいい>


 <変わらなくていいから>


 <今のままでいい>


 <変わらなくていいのだ>


「ご主人……様……にげ……」


 アルメリナが苦しみ悶える中、ヤファスへ必死に訴えかける。


「…………あぁ……わかったよ。そういうことだったのか……」


 <今のままが楽 今のままが楽 今のままが楽 今のままが楽 今のままが楽>


「お前らは…………俺なんだろ? なぁ?」


 次の瞬間、アルメリナの首を絞めていた手が緩まっていく。


「アルメリナは関係ないだろ! やるなら俺にしてくれ!」


 ヤファスの声に反応するかのように彼女を拘束していた手がゆっくりと離れていく。


 解放された彼女は咳こみ、むせながら呼吸を整えようとする。


 白い複数の手はヤファスへと目標を定め距離を詰めてきた。


「ご主人様!」


 まだ苦しそうな表情を浮かべるアルメリナだったが、ヤファスの援護に行こうと動き出す。


「来るな! アルメリナ! これは俺……俺の心なんだ」


「ご主人様……」


「ここからは俺自身との戦いだ。俺がケリをつけないといけないこと」


 アルメリナはヤファスの言葉を受け入れ立ち止まる。


 手がヤファスの視界を覆いつくしていく。


 (身体の感覚はないのに全身が締め付けられるように苦しい!)


 直後、強烈な苦痛がヤファスを襲う。


「がぁぁぁぁ!!」


 アルメリナは中の様子が全く分からなかったが、絶叫が鼓膜を刺激したことで状況は想像できた。


「アルメリナぁ! 絶対に来るなぁ!」


 ヤファスからも彼女の様子が分からなかったが、行動を予測して声を絞り出し制止する。


 絶叫が木霊した。


 今度はアルメリナが何もできず、行く末を見守ることしかできない。


 徐々にヤファスの苦痛が和らいでいくと、謎の声が問いかけてくる。


 <チートを頼れ チートを頼れ チートを頼れ チートを頼れ チートを頼れ>


「頼らない」


 <チートに頼るしかない チートに頼るしかない チートに頼るしかない>


「俺はもうチートの力には頼らない!」


 <ここから抜け出したかったらチートに頼るしかない>


「俺は……自分の欲望を満たすためだけのチートなんか必要ない! ズルはしない! 変わるんだ!」


 <変わるな 変わるな 変わるな 変わるな 変わるな>


「俺は変わる!」


 <絶対変わるな 絶対変わるな 絶対変わるな 絶対変わるな 絶対変わるな>


「俺は……絶対変わる! 今この瞬間から!!」


 ヤファスが言い放った直後、真っ白だった視界が割れて崩れる。


 同時に彼を覆いつくす手は全て消滅しており、視界の先には安堵の表情を浮かべるアルメリナが立っていた。


「あぁ……よかった」


 アルメリナがヤファスに両手で抱きつき、彼も両手で優しく受け止めた。


 (体の感覚が……戻ってる)


 抱擁を済ませるとヤファスは真剣な眼差しで彼女を見つめる。


「アルメリナ……さっきの話の続きなんだが……」


「はい、なんでございましょうか?」


 アルメリナは微笑みながら返事する。


「俺を……その……許してくれるのか?」


「許すも何もございません」


「全記憶を見て、数々の所業を踏まえてか?」


「はい」


「…………あぁ……アルメリナぁ! アルメリナぁぁ!!」


 号泣しながらアルメリナを強く抱きしめた。


 彼女は彼の頭を優しく撫でる。


「ずっと! ずっと辛かったんだ! 誰にも打ち明けられなくて……独りでずっと抱え込んで……何度も何度も忘れようとして……それで……それで!」


 アルメリナは彼の頭を撫で続けながら話を聞く。


「俺のせいで! 俺のさじ加減で異世界の人たちの気持ちや命をたくさん犠牲にしてしまったぁ! 取り返しのつかないことをしてしまったぁ! あぁぁぁぁ!!」


 泣き崩れるヤファスを強く抱擁する。


「あぁぁぁぁ!!」


 彼女は彼が泣き止むまで抱擁し、寄り添う。


 涙が枯れた頃、ようやくヤファスがアルメリナへ静かに語りかけた。


「アルメリナ……」


「はい、なんでございましょうか?」


 彼は抱擁を解いて彼女の目を見つめる。


「……ありがとう」


「ふふ、少し落ち着きましたか?」


「あぁ、おかげでどんな罰でも受ける覚悟ができた」


「罰の半分は私が背負いましょう」


「その必要はない。今までそうやって全部他に押し付けてきた報いだ」


「考え方が変わった……いいえ、成長されたのですね」


「そう思いたい。……そういえば失ったはずの手と足があるのはなぜなんだ?」


「分かりません。ですがおそらく、私たちが魂のみの存在になっているからではないでしょうか?」


「そういうことか……俺たちはもう……」


「けれど私は生まれ変わっても、ご主人様と添い遂げたいです」


「もっと世界を見ろ。世の中にはいい男がたくさんいる」


「私はご主人様がいいです」


「俺に助けられた恩なんて気にするな。自分の人生を自由に生きていいんだ」


「それなら今度はご主人様とのんびり暮らしたいです」


「アルメリナ……もうご主人様って呼ばなくていい」


「では……ヤファス様」


「様もいらない」


「ヤファス」


「そこは切り替え早いな」


「ふふ、だって」


「……今度か……俺にそんなものがあるんだろうか?」


「きっとあるよ。変われたあなたになら」


「次はのんびり……スローライフか……それもいいかもしれないな」


「うん、今度は機械じゃない身体で一緒にね」


「俺は本当に愚か者だ。大切な人がこんな近くにいたっていうのに……」


「そうだね」


「急に手厳しくなったな」


「うふふ」


 アルメリナがいたずらっぽく笑う。


「…………じゃあ、そろそろ逝こうか」


「うん、ヤファス」


 ヤファスが手を差し出すと、アルメリナはそっと握る。


 二人は手を繋ぎ、互いに見つめ合って微笑む。


 それから共に前を向き寄り添って、ゆっくりと進み始めた。


 遠くへ行くにつれて両者の姿が小さくなっていく。


 やがて両者の姿は光球へと変化し、空間の彼方へ溶けていった。

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