第3章

第12話 偶然は必然

 昨日の白枝畔との一件があったのにも関わらず、茜奈の体力、気力は最高潮に達していた。彼女との戦いで湧き起こった興奮がいまだに静まっていなかった。頭の中では録画した映像を見ているかのように一時停止と再生、スローモーション、巻き戻しが繰り返されていた。やはりどの部分を見ても、素晴らしいものだった。


 なによりも出演者が素晴らしい。


 もう一度、彼女と戦えないだろうか。


 それが叶わないことを知っているため、何度も、何度も、昨日の記憶に浸る。彼女がもういないと思い出したため寝起きは最悪だったが、しかし記憶を呼び起こすことで、まるで悪い薬でもやったかのように、ふつふつとやる気が――生きる気力がわいた。


 ただ難点があり、どうしても顔がにやけてしまった。茜夏にも気持ち悪いと言われ、同行しているウィンクにも変な顔と笑われていた。


「しっかし、私とトリックを一緒に行動させるなんて、先輩も焼きが回ったよねえ。どうなっちゃっても知らないんだから」


 今日のウィンクの格好は学校の制服だった。彼女は学校に通っていないため、どこかで買ってきたのだろう。もしかしたら制服に似た洋服なのかもしれない。褐色の肌と暗い金髪が運動部に所属しているかのように見せた。水泳部だ、と茜奈は勝手に所属先を想像した。


 見上げると、紺色の空に白色の斑点がいくつもできていた。今日の仕事は完全に日が沈んでからである。どうやら闇に紛れて、標的を始末するようだ。あれだけ過程を見せるな、と言われているのに、やけに目立ってしまったことが原因だろう。白枝畔の痕跡はいまだに残ったままだ。


「まあ、でも今日は用心しないとね。私たちはともかく、先輩とアクセルは研究所に登録されているんだし……あっ、先輩はどうだか知らないんだった。アクセルは登録されてるのは確実なんだよね?」


 茜夏は初めからこの世界にいたわけじゃない。裏組織に入らなければならなかったのは、茜奈がいたからだ。茜奈の欲求を都合よく晴らせる場所がここにしかなかった。


 彼は他の《欠片持ち》と同じだ。能力を使えば足が付く。裏組織に入ってからも使用を控えていたのだが、白枝畔の攻撃を回避するために使ってしまっている。彼女の波動が強く残留しているとはいえ、微かに茜夏の痕跡が残ったのは不都合なことだ。


 微かであれば関連性は薄いと判断されるだろうが、立て続きに現場で発見されれば注意を引くことになる。


 しかし、茜奈は疑問に思った。この街では誰もが採血されているはずなのに、なぜウィンクは登録されていないのだろう。抜け道があったのか、研究所に関係者がいるのか。彼女に関係者がいるとも、抜け道があったとも考えられない。幼いころに両親をその手にかけ、それから裏組織に身を置いている。つまり裏組織が関係する前に、彼女は血液を研究所に渡しているはずなのだ。


 この街の外側から来た――と考えるべきなのだろうが、それもまた不可能だ。この街は異常なほど閉鎖されている。強い監視のもとに存在しているといってもいい。だからこそ外側に行く、外側から来る、そのどちらにも敏感に反応し、その把握ができる。


 茜奈が幼いころから抱く違和感はそこにある。街の外側に対する意志には機敏に反応するというのに、街の事件にはそれがない。白枝畔の件にしてもそうだ。人気のほとんどない倉庫街であったとはいえ、あれだけの産物に気付くのが遅すぎる。


 いや、普通すぎるのだ。


 気付いてはいるが、意図的に見逃されている不愉快さ。


 それが幼いころある違和感の正体だ。


「まあ、あの二人のことだし、心配するだけ無駄か」


「心配してるのか」


「おっ、ようやく喋ったねえ。初めてだっけ? そんなことないよね。十回には満たないだろうけど、話したことはあるよね?」


「どうだったかな」


 ウィンクの言うことは正しい。茜奈が茜夏以外のメンバーと話すことはまずない。嫌っているわけではないが、警戒をしているからだ。今見ている彼女が本物であるとは思っていないし、必ず裏を持っていることもわかる。


 組織といっても裏組織は不可解なものだ。仲介屋など信じてはいない。ただ従っていれば生きるのに困らない程度の報酬が得られるため、話を聞いてやっているだけだ。誰もが誰も信じていないのが裏組織であり、それでこそ裏組織らしいともいえる。


 ただ茜奈は、茜夏のことを信用し、信頼しているため、その点だけは例外だ。茜夏は間違いなくそうではないが、それもやはりそれでいいと思えた。


「でさあ、ぶっちゃけ、アクセルとはどこまでいってんの?」


「どこまでだと思う」


「もうやることやってんじゃないの? いつも一緒じゃん。寝泊まりも同じ場所、同じ部屋とかなんでしょ。そりゃあ手を出すって。私が男だったら――アクセルだったら、間違いなくその身体を愉しんだと思うよ」


「もしウィンクがアクセルだとしたら、私は喰い殺してると思うよ」


「妬けますねえ」


「心にもないことを」


 彼女と言葉を交わさない理由はそれもあった。どうにも声とそれに込められている感情がちぐはぐなのだ。喜んでいるようでなにも思っておらず、笑っているようでやはりなにも思っていない。無感情と言う感情が込められ、茜奈にはどこか芝居じみて見え、気分が悪くなってくる。


 他の二人は気付いていないだろう。あの二人は人の心や感情を意識しない。まして標的でもないかぎりは、その技術を使うことすら惜しいと思っているはずだ。


 そもそも眼中にはない――とも言えるが。


 相反する能力を持つ二人が似ているというのは、どこか運命染みている。ただの偶然なのだろうが、茜奈にはこれも意図的に感じていた。


 どこかの誰かが、この街そのものを手中に収めている。


 その人物こそが、この街に潜む本当の闇だ。


「じゃあ、まあこの話題は置いておいて」


「捨てても構わないが」


「仕事の話。どこまで聞いてるか知らないけど、今日は見ているだけだからね」


「それは聞いてないな」


 そもそも今日の仕事について聞いているのは、ウィンクと同行すること、標的が《欠片持ち》であること、仕事開始が、日が沈んでからということの三つだけだ。詳しいことはなに一つ聞いていないし、訊こうとも思わなかった。


 いつものようであったが、茜夏の様子はどこかおかしかった。それを把握する前に彼が出て行ってしまったため、探ることはできなかった。


「今日は私が能力者と戦うために、この組合せになったと言っても過言じゃないよ。先輩の先輩による私のための処置だね」


「私が同行する必要はあったか?」


「ただ働きって素敵じゃない」


「たしかに」


 異論はなかった。そういう話ならば、ウィンクが戦闘をしている間は白枝畔のことを思い耽っていよう、と茜奈は考えた。


「ん? 戦うのか?」


「むっふふう。そうだよぉ」


 ウィンクは顔を綻ばせた。


「トリックと白なんとかさんのことを聞いたら羨ましくてね。暗殺もまあ魅力的なんだけど、ここは派手にやろうかなって。どうせ私の正体は気付かれないわけだし」


「登録されてないんだよな」


「ノーナンバーっていうらしいよ」


「どうやったんだ」


 茜奈は突っ込んだ問いを投げかけた。まず間違いなくその方法を話すことはないだろうけれど、彼女のことだから万が一ということもある。


「ひ・み・つ」


「それは残念」


 語尾にハートマークでもついていそうな言い方に思わず飛び付きたくなったが、なんとか抑制した。たしかに活発な女の子に見えるが、しかし裏組織にいる人間だ。さすがに下手な醜態をさらすわけにはいかない。


 自分の理性が生きているうちは利用していかなければ。


 それが、まだこの身体が自分のものであるという証明になる。


 茜奈たちが向かっているのは、標的である《欠片持ち》が配属している都市警察の支部だ。第何支部だったか、その《欠片持ち》の詳細はウィンクが知っているだろうから、訊き出しはしない。


 今はまだライトアップされたアーケード内にいた。学生の姿もちらほらと見えるが、小学生くらいのグループが歩いていることはない。きちんとルールを守っているようだ。


 夜間徘徊など大人になってからやればいい。帰る場所があるのならそこで家族と過ごすことに越したことはない。一般的な家庭で育たなかったからこそ、そう思うのかもしれない。茜奈は家族連れを目で追っていた。


 ただ個人的には、夜間徘徊は悪いことではないとも思っていた。茜夏と出会ったのが、まさにそのときだったからだ。もう何年も前になるが、そのことを昨日のように憶えている。


(もう何年も、茜夏は一緒にいてくれている)


 最初はいつ捨てられるかと怯えていたが、今はもうそんな恐れもない。歳を重ねたせいか、あるいはおかげか、その日がくる覚悟が万全な態勢でできあがってしまっていた。


 そんな日は来ないと願うが、それはきっと叶わない。


 異端は常に孤独だ。理解者など現れるはずもない。常人が共に行動すれば、ズレが発生するに決まっている。常識の枠から外れ、言動、感情、思考、感性の違いが、隣にいる人間を不安にさせる。


 最初から気付く者もいれば、徐々に気付いていく者もいる。


 茜夏の場合は、気付いていてなお傍にいる、だ。


 だからこそ、いつ反発するのかがわからない。明日にも――いや今日にもその感情が弾けてもおかしくはない。


 だから覚悟はすでにできている。


「どうしたの、怖い顔しちゃってさ」


 ウィンクが覗きこむように見上げていた。その瞳に年相応の輝きはない。濁っているようにも見える。


「秘密だ」


「なになに、気になるなあ」


 アーケードを抜けてすぐに大きな通りに出た。アーケードの中ほどではないが街灯のおかげで夜道も明るい。人通りは疎らで、帰宅中の社会人がそのほとんどだ。ヒールや革靴が床を鳴らす音が聞こえる。


 車道を走っていく車を横目に、歩道を進む。


 しばらくしてウィンクが一点を見たまま立ち止まった。茜奈は視線を追い、そこが目的の場所だと気付いた。都市警察の支部だ。四階建てのビルで、どの階もまだ窓から光が漏れ出ている。出入り口には都市警察が屯していた。


「やっぱ、警戒されてるかぁ」


 ウィンクはしかしご機嫌だった。


「もうビルごと木っ端微塵にしてこようかなあ」


「それじゃあ仕事は果たせても、欲求は果たせないだろう」


「そうなんだよねえ」


 ウィンクは小さなポニーテールを弄った。


「うん、んじゃあちょっと移動しよっか。どの部屋も電気が点いてるってことは、まだ標的がいるかもしれないしね」


 茜奈にはそれに従う以外に選択肢はなかった。標的の顔も素姓も知らないのだから、やはりここは先導されるしかない。


 大通りを横切り、支部の前を堂々と通る。ビルの前にいる都市警察の数は四人。男三人、女一人で、どれも学生だろう。一番年上でも二十歳前半の大学生だと思われた。一瞥したかぎりでは、誰からも脅威を感じない。一般人と判断しても問題はない。


 ただ茜奈には言いようのない不安が押し寄せてきていた。理由も、原因もわからないそれは、もはや勘違いと言ってもいいほど不明瞭なもので、茜奈自身それが不安ではないと結論付けているところだった。


 仮にこれが不安だったとして、なぜ都市警察から感じるのだろう。押し寄せてきたのは支部の前を通り過ぎようとしたときだ。普通に思考すれば、原因は彼らにあると判断するはずだ。それで完結する。もともと都市警察と裏組織は敵対関係であり、先日のこともあってさらに状況は悪化している。


 彼らが裏組織を殲滅する計画を立てている――そんなふうに思考を巡らせれば、不安の理由もわかる。


 しかし、やはりその正体が不安であっても、原因が彼らにあるとはとうてい思えなかった。


 別のなにかが――別の脅威が近づいてきている?


 いや、これはそうではない。


 未知の脅威ではなく、既知のもの。


 どこか懐かしくもあり、しかし新鮮だ。


 つまり、つい最近どこかで微かであるが感じ取ったことがあり、そのときはまるで気付けなかった“大きな力の塊”がこの言いようのない感情を呼び起こした正体だ。


 このことをウィンクに伝えるべきか。


 けれども彼女なら気付けそうなものだ、とも茜奈は思い、伝えないことを選択した。変に口を出して彼女の機嫌を損ねるのは賢くない。茜奈も目の前の楽しみを邪魔されたいとは思わない。


 ここは黙秘が妥当。


 ただ最大限の注意を払わなければならない。


 そう思っていた矢先だった。


 ぬめりとした空気が茜奈の身体を包んだ。夏の空気とはまた違う、どこか異質な空気が突如として周囲に漂っていたのだ。


 背後を確認してみると、屯していた都市警察の姿はなかった。


 隣の車道を走る車もない。


 街灯や建物の光は夜を照らしている。


 まるで。


 まるでこの世界から茜奈とウィンクだけが取り残されたような状態だった。


 さすがにウィンクもこの事態に気付いている。


「これはまた、街のど真ん中でよくやるよ」


 その言葉の意味はわからなかったが、おおよその見当がつき、なおかつこの落ち着きから察するに、身体に害が出るような現象でも、なにかしらの攻撃を受けているわけでもないようだ。


「なあ、これはいったい」


「話している暇はないみたい」


 茜奈も一瞬遅れたが気付いた。


 歩道の先に二つの影がある。


 一つはあの“大きな力の塊”だ。


 未知ではなく既知。


 懐かしくもあり、新鮮――。


 そう感じた理由に、ようやく辿り着いた。


「いやはや、これも運命かな」


 茜奈は呆れるように笑みを浮かべた。神様がいるのならば、どこまで筋道を立てているのだろうか。


 偶然が必然に変わる瞬間。


 偶然の出会いが、必然の出会いに。


 まさに運命だった。


「今日は月が綺麗だね――月宮くん」


 昂る気持ちを抑えながら、冷静を装ってそう言った。

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