第4話 偽りの言葉
月宮たちの通っている天野川高校には、能力者が在校している。数百名いる生徒の中でも二十人に満たないので、あまり知られてはいない。それに能力者といっても、能力を使う機会など滅多にないのだ。それこそ、月宮のような仕事をしていない限りは、宝の持ち腐れと言っても過言ではない。
能力者は街で管理されている。管理されているとは言うものの、基本的には規則で縛られているわけではなく、どんな能力を持っているのかを調査され、特殊な名簿に載るだけで、あとは一般人となんら変わりない。平凡な人生を送ることだって可能だ。ただ一般人より一つだけ特殊な力があるという点を除けば、能力者とはそんなものなのである。
しかし能力者相手となれば、治安を維持するのは難しい。そこでこの街の都市警察には何人かの能力者が配備されている。目には目を、歯に歯を。能力者には能力者を、だ。治安を守るために、都市警察に所属する能力者は訓練を受けるため、大抵の能力者が相手ならば、対応することは容易である。そのため、能力者による犯罪は少ない。負けるとわかっていて、勝負を挑む者はいないのと同じ要領だ。
そんな都市警察を困らせているのが、月宮の所属する事務所だった。無能力者である月宮でさえ、能力者と互角以上の実力(無論、回避に限っての話だ)があるのだから、そこに所属している能力者は都市警察からすれば、危険因子にしか見えない。現に犯罪に近いことを平気でやるのが、その事務所だった。依頼を遂行するためならば、手段は問わない。その考えのおかげか、何度か衝突したことがあった。
つまりこの二つの組織は犬猿の仲なのである。だが、そう思っているのは都市警察側だけで、事務所側は都市警察のことを、「面倒な組織」程度にしか見ていない。
秋雨が日神を助けるための手段とは、事務所に依頼することだった。そしてその依頼内容が、化物染みた巨大さを誇る姫ノ宮学園相手となれば、当然、都市警察も動き出すだろう。事務所が姫ノ宮学園になにかをしようとしている、という漠然とした推測があれば、充分に動くに値する。そうなれば、その後どうなっていくのかは誰にでも想像できるというものだ。
秋雨はその引き金になりかけている。本人にはまるで自覚がなくても、所長がどんな策を張り巡らせようとも、それは避けられないものだ。
そう考え付くことができたのなら、やることは決まっていた。小学生でも、それ以下の子供でもわかることだ。引き金さえなければ、銃はただの鉄の塊。それと同じで、秋雨が依頼をしなければ、その考えはただの妄想で終わる。いや、妄想さえしないで済むのだ。
ならば、秋雨に依頼をさせず、かつ日神を助け出すという無理難題に挑まなければならない。秋雨の説得が不可能だとわかっているのなら、それを自分が引き受ける。その方が月宮にとっては都合が良かった。
秋雨美空という少女の命を危険に晒してはならない。
それはとある少女との約束だった。
月宮は深い溜息をもらした。仕事がないというのに、休日返上で、得体の知れない化物学園から逃げ出してきた少女を、どうにかしないといけないのだ。日神のことは引き受けると決めた。それは揺るがない。秋雨がどう言おうとそれだけは譲るわけにいかない。
帰宅したら、まずは目的を明確にする。今のところ、日神がなにを求めているのかがわからない。姫ノ宮学園から逃げてきたといっても、姫ノ宮学園の「なに」から逃げてきたのかがわからなければ、月宮が動くことはできない。そして日神がどうなりたいのかというのも訊き出さなければならなかった。
月宮は再び深い溜息をもらした。教室のざわめきも気にならないくらい、むしろそのやかましさが心地よいとも思えた。
教室には、クラスメイトが全員揃っている。休み時間だからといって、教室から出ていくことをしないようだ。四、五人のグループができているが、月宮はそのどのグループにも属してはいなかった。
「ちょっと、聞いてる?」
秋雨は少し怒っていた。
「え? あ、いや、聞いてないけど」
月宮はなぜか正直に答えた。それが不思議でならなかった。
「もー、ちゃんと聞いてよぉ」
秋雨は頬を膨らませた。
秋雨の席は、月宮の前だ。月宮の席は窓際の一番後ろであり、教室内の様子が見渡せたのはそのためだった。月宮の席がそこに決まったのは、席替え時のくじ引きといった運ではなく、遅刻をしたり、早退をしたりするのが多いため、隅の方へと追いやられた結果だった。要は邪魔だったのである。それに有事の際に動きやすいというのも、若干だが含まれていた。
「もう一度訊くよ?」
秋雨は言う。
「私はどうやってここまで来たの? 全然記憶にないんだけど」
「歩いてきたんだ」
「私が?」
「いや、俺が」
「じゃあ、私は浮いてたの? そうじゃないと学校に来れないよね」
「まあ、間違いではないな」
月宮は頬杖をつく。
「疲労して寝てたお前をここまでおぶってきたんだから、浮いていたとも言えないこともない。少なくとも地に足は着いていないな」
「おぶったの!?」
秋雨は驚いていた。
「おぶったけど、なにか不味かったか?」
秋雨は驚いた顔を見せたと思ったら、今度は困惑した顔を見せた。月宮にはそれが理解できなかった。そして次は嬉しそうな表情を見せる。思い出し笑いみたいなものだろうか、と月宮は思った。
「えっと……」
秋雨はおそるおそる訊いた。
「その、重く……なかった?」
「なにが?」
月宮は訊き返した。
「……私」
月宮はそれを聞いて、失敗したと内心で呟いた。話の流れからわかりそうなことを訊き返した上に、秋雨に言わせたくない一言を言わせてしまった。これは明らかに月宮が悪かった。
「いや、重くなかったぞ」
月宮は励ますように言った。
「むしろ軽くて驚いたくらいだ。春のときと変わらないな」
「ホントに? ならいいんだけど」
秋雨は安心したように肩を撫で下ろした。そもそも秋雨にそこまで体重があったほうが驚いてしまう、と月宮は思った。
「教室まで運んだら、少し騒ぎになったくらいだから安心しろ」
言いながら月宮は秋雨から目を逸らした。
「騒ぎ? なんなの騒ぎって」
秋雨は月宮の顔を覗き込んだ。
「ところで秋雨、話は変わるんだけど」
「変えちゃうの? 気になるんだけど」
「日神のことなんだけどな」
月宮は周りを気にし、小声で言う。
「あいつのことは俺がなんとかするから、お前はもう気にしなくていいぞ」
「月宮くん、手伝ってくれるの!?」
「手伝わない。俺が勝手にやって、勝手に終わらせるだけだ。だからお前はあいつに関わるな」
「それってどういう意味? 私がいると邪魔なの?」
月宮は返答に困った。正直に言うべきか否か、それが脳内を駆け巡る。どう言えば、目の前の少女を傷つけずに済むのか。どう言わなければ、少女にわかってもらえるのか。その答えを探した。
「正直に言えば……、そうなる」
「そう、だよね……」
秋雨の表情が暗くなる。
「私は運動もできないし、頭もよくない。能力だって持ってないんだから、足手まといだよね」
その言葉に、月宮の表情も少し暗くなった。しかし、秋雨に悟られる前に、すぐにその表情を隠した。
「そんなことはない」
月宮は言う。
「俺は秋雨を手伝わないと言ったが、秋雨には、俺の手伝いをしてもらうことになるかもしれない」
「同じことだよ」
「全然違う。俺が秋雨を手伝うということは、お前自身が危険な目に遭うかもしれない。だけど、秋雨が俺を手伝うというのなら、話は別。俺が危険な目に遭うだけだ」
「そんなのダメだよ! 危険なら、二人で……」
「かもしれない、というだけだ。絶対にそうなるとは言えない。可能性も低いのかもしれない。だけど、万が一ということもある。相手は姫ノ宮学園だからな、なにが起こるのか見当もつかない」
秋雨は月宮の目を見つつ、黙って話を聞いていた。おそらく月宮の嘘を見抜こうとしているのだろう。些細な表情の変化も見逃さない。そういう静かな気迫が感じられた。
「それに俺は、多少の危険なら回避できる」
月宮は続ける。
「お前も知っているとおり、あの事務所で働いているんだ。あの所長にこき使われて、いろんな仕事をした結果、不本意ながら、逃げることは上手くなったよ。だけど、それは俺が一人だから、あるいは俺と同じかそれ以上の仕事仲間がいるから、発揮できることなんだ」
クラスメイトが少しずつだが、自分たちの席に座り始めた。そろそろ休み時間が終わりに近づいているのだ。真面目な生徒は座り始めるが、大抵の生徒は、時間いっぱい話し続ける。鐘が鳴ってからでも席に着くのは遅くないと考えているのだろう。それに鐘が鳴ったところで、時間通りにやってくる教師というのも少ない。
月宮は、話を終わらせようとした。秋雨と話している分には一向に構わないのだが、今回はその内容があまりにもつまらない。
「とにかく、俺がお前にやって欲しいことは、情報担当だ」
「情報?」
秋雨の表情がゆるんだ。
「そう。俺なんかより姫ノ宮学園に詳しいだろ? だから知っていることをなんでもいいから教えて欲しい。あとは……、そうだな、最近の情報を手に入れてくれるとか」
「わかった!」
秋雨は嬉しそうに言った。
「つまり私はバックアップなんだね」
「まあ、そんなところだ」
秋雨は何度も、何度も頷いた。月宮から言われたことを租借するように、嬉しそうに頷いている。
「今日の月宮くんは優しいね」
秋雨は微笑んだ。
「私、てっきり月宮くんは手伝ってくれないと思ってた。あ、違った。日神ちゃんの問題のことは放り投げると思ってたよ。いつもの月宮くんなら『帰れ』って言って終わっちゃうもん」
「いつもは仕事があるからな」
「今日は休日なんだ。珍しいね」
「ホントにな。でもまあ、休日返上になりそうだ」
授業開始時間を知らせる鐘が鳴った。しかし、科目担当の教師は教室にいない。実際、時間をきっちり守っている教師とはどの程度いるのか、月宮は気になった。もしそんな教師がいるのだとすれば、いずれ機械に仕事を奪われてしまいそうだ。
秋雨は、授業だけは真面目に受けるので、せっせと授業の準備を始めた。その何気ない動作でさえ、小動物に見えてしまうのは脅威だった。もう小動物として生きていけばいいのに、と月宮は内心で呟いた。
「あ、そうだ」
秋雨が思い出したように言う。
「どうして日神ちゃんは、月宮くんの部屋の前に倒れてたんだろうね」
「俺が置いたからだ」
月宮はなんでもないように言った。
二人の間に沈黙が生まれ、秋雨の表情は固まった。それとほぼ同時に、教室に教師が入ってきた。
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