ボンと正月に

 吸い込む空気は何の匂いも無く、騒がしい音もしない。病院よりも清潔な雰囲気がここにはある。ゆりかご《クレイドル》と呼ばれるこの施設の中には無数の部屋がある。その中の一つが、僕の親父に与えられたスペースだ。

 白とグレーを基調にした個室の中に“墓”がある。カメラとモニターが備わった、僕より少し小さな筐体から声がする。

「もう正月かい?」

「うん。明けましておめでとう」

 画面の中の親父は相変わらずのとぼけた様子だった。

「前よりもちょっと痩せたか?」

「まぁね、そうかも」

「身体は大事にせにゃあかんぞ」

 いつも通り僕は身体の心配をされる。けれど、『じゃないとワシのようになるぞ』という決まり文句は続かなかった。どうやら言うのをやめたらしい。それがいい。笑えないジョークだから。

「今年の野球はどうだった? 優勝できたのか?」

 僕は黙って、Vサインを作る。すると、親父はこれまでにない大声を上げて喜んだ。

 ピーッと、高い音が部屋にこだました。もう時間がやってきた。

「じゃあ……また盆に来るよ」

「おう、待っとるぞ。今度は孫の顔も見たいがなぁ」

 そう言う親父に僕は曖昧に笑う。まずは相手を見つけないと、と言うことも聞き飽きただろうから。

 親父との面会は年に二回、それが親父と保険会社の契約内容だった。多分、それが給料から出せるギリギリだったんだろう。もし親父が会社のブレーンだったなら、それこそ毎月毎週、起こされるんだろう。

「それじゃ、またね」

 親父はまた、僕が来るまで眠り続ける。この硬いゆりかごの中で。

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