うそつきマカロン 1
「お口に合うかわからないけど、よかったら食べてみてね」
「うっわぁ……」
あたしの前の白いテーブルに出されたのは、色とりどりのマカロンだった。パステルピンクにキャラメル色に抹茶色。形はころんとしていてかわいらしい。
「これ、おばさんが作ったんですか?」
「そうよ」
「すっごい! お店で売ってるのみたい」
咄嗟にそう言ってしまったけど、あたしはマカロンが売っているところなんて見たことがない。というか、マカロンというものを食べたことがない。
「食べてみて? いろちゃん」
隣に座る風花がにっこり笑ってそう言った。風花は白いふわふわのセーターにレンガ色のロングスカートをはいている。
「んじゃあ、いただきます!」
あたしは風花のお母さんが作ったマカロンをぱくっと食べる。外がサクッとしていて中がふんわり、そしてすごーく甘い。
「うわっ、おいしいです!」
「よかったわ。もしよければ彩葉ちゃん、夕飯も食べていかない?」
今日は土曜日。あたしは午後から風花の家に遊びに来ていた。
風花の部屋にはピンク色のカバーがかかった、お姫様みたいなベッドがある。カーテンもクッションもぬいぐるみも全体的にパステルカラーの、マカロンのようにかわいらしい部屋だ。
「あ、いえ……夕飯は家で用意してくれてるので」
おばさんはあたしを見て、笑顔のまま首をかしげる。
「彩葉ちゃんのおうちは、誰が食事を作ってくれるの? あの授業参観で時々見かける叔父さま? それとも彩葉ちゃんが作っているの?」
風花のお母さんは、少しうちの事情を知っている。だけどご飯を作っているのはどちらでもない。
「あ、えっと、あたしも叔父さんも時々作りますけど……いつもは……」
「ナナちゃんよね」
風花がおばさんによく似た笑顔で言う。
「ああ……あの綺麗な……」
おばさんはちょっとそこで言葉を濁した。
「ナナちゃんはいろちゃんのお母さん代わりだもんね」
「う、うん。まぁね」
「作ってもらえるならよかったわ。学校帰ってから自分で支度するのは大変だものね。これからは塾に通ったりもするでしょうし」
塾? あたしは行く予定ないけど。そういえば風花、最近塾に通い始めたって言ってたな。クラスの半分くらいの子も、すでに通っているらしい。
「でも大丈夫なの? 彩葉ちゃん」
おばさんはそこで少し眉をひそめ、心配そうに言った。
「血のつながった叔父さまはともかく、その人も男性なんでしょう? 彩葉ちゃんもお年頃になるんだし、なにかあってからじゃ遅いのよ」
あたしはぽかんと口を開けておばさんを見ていた。おばさんの言っている意味がわからなかったから。でも少し考えて納得した。今まで考えたこともなかったけど。
「お母さん! もういいからあっち行ってよ」
「はいはい。わかったわ。じゃあ彩葉ちゃん、ごゆっくり」
「あ、はい……」
おばさんがにっこり笑って風花の部屋から出て行く。ドアがパタンと閉まると、風花は眉を八の字にして手を合わせる。
「ごめんねぇ、いろちゃん。お母さん悪気はないの。だから気を悪くしないでね?」
「ううん。あたしは別になんともないよ」
あたしと一緒に暮らすナナちゃんのことを、おかしな目で見る人はたくさんいる。だからそんなのは慣れていたけど、あたしのことを心配されたのは初めてだった。
だけどあたしはナナちゃんの声以外は、心も体も女だって信じていたから、「なにかある」なんて想像したこともなかったんだ。
「ね、いろちゃん。このマカロン、ゲンちゃんとナナちゃんにも持っていってあげて。お母さんこれ作るのにはまってるから、わたし食べるのもう飽きちゃった」
「うん。ありがと」
風花は綺麗なレース柄のペーパーで、パステルカラーのマカロンを包んでくれる。あたしはそんな風花のつやつや光った爪を、ぼんやり見ながら思う。
風花はいつもあたしに気を使ってくれる。風花もあたしの友だちで苦労するな。
でもそんなに気を使われると……なんていうか……あたしってそんなにかわいそうな子なのかなって思ってしまう。
「はい、どうぞ」
「ありがと」
「今度来たときはわたしの手作りお菓子、ごちそうするね」
あたしは黙ったまま笑った。ピエロみたいな作り笑いになっていなきゃいいけど。
夕方、おばさんに挨拶をして風花の家を出た。風花はあのかわいい笑顔で、いつまでもあたしに手を振ってくれた。
家に着くころ、あたりは薄暗くなっていた。あたしはマカロンの入ったバッグを抱きしめて、階段を駆け上がる。
重たいドアを押して屋上へ出ると、オレンジ色の灯りのついたあたしたちの家が見えた。
「ただいまぁ、ちょっと遅くなっちゃった……」
そう言ってドアを開けたけど、台所に人影はない。
「あれ?」
この時間にはいるはずのナナちゃんが台所にいない。そろそろ出来上がるはずの夕飯もできていないし、なんの匂いもしない。
「みぃ……」
「あ、ミルク、ただいま」
足元にすり寄ってきたミルクを抱き上げながら、和室のほうを見る。ぼうっと光るパソコンの前に、ゲンちゃんが座っているのが見えた。
なんだゲンちゃん、いたのか。気配殺すなよ。
「ねぇ、ゲンちゃん。ナナちゃんは?」
「知らん」
まるで用意していたかのような素早い返答。その不機嫌な声とこの部屋の状況で、あたしはすぐに察した。
「ゲンちゃん、またナナちゃんと喧嘩したんでしょ」
このふたりは時々喧嘩をする。原因はいろいろだけど、喧嘩すると必ずナナちゃんが家を飛び出してしまう。そしてしばらく不機嫌なゲンちゃんが、結局はナナちゃんを迎えに行って、それでめでたく仲直りするってわけ。
「今日の喧嘩の原因はなんなのよ」
ふてくされてこっちを向かないゲンちゃんに聞く。だけどゲンちゃんは返事をしない。あたしはミルクの背中をなでながら、ため息をつく。
「ナナちゃんいなくなってどうすればいいの? 今夜のご飯は?」
「メシなんかコンビニ弁当でも食ってりゃいいだろ」
「じゃあ明日の朝は? 明日の夜は? あさっては? ずっとコンビニ弁当食ってろって言うの?」
「うっせぇなぁ」
ゲンちゃんがくるりと椅子を回してあたしをにらむ。
「お前はナナがいなくなっても、メシの心配しかしねぇのか? ナナはお前にとってそれだけの存在なのか?」
あたしはぽかんとゲンちゃんを見つめたあと、くくっと声を殺して笑う。
「ゲンちゃんナナちゃんのことかばってる。喧嘩してるのにおかしいよ」
「お前……大人をからかうなよ?」
思いっきり顔をしかめたゲンちゃんに言う。
「大人ならわかるよね? 仲直りの方法。『ごめんね』って謝ればいいんだよ」
「あ? なんで俺が謝る側って決めつけてんだよっ」
「違うの?」
ゲンちゃんは少し考えてから、ぼさぼさ頭をさらにぐしゃぐしゃにかき回す。
「あー、そうだよ! 悪いのは俺だよ!」
「で、喧嘩の原因は?」
ゲンちゃんがぶすっとした顔でつぶやく。
「和菓子と洋菓子、どっちが好きかでもめた」
「はぁー? そんなことで?」
「そんなことじゃねぇんだよ。あいつにとっては」
「あ……」
あたしははっと思い出した。ナナちゃんの実家が老舗の和菓子店だってこと。先祖代々続いている「しきたり」で、その家に生まれた男の子が店を継がなきゃいけないらしい。だけどナナちゃんは男の子じゃないし、それが嫌で家族ともめて家を飛び出したんだって。「和菓子なんか大っ嫌いだ!」って言い残して。
そんなナナちゃんに幼なじみだったゲンちゃんが声をかけて、この家に連れてきた。ゲンちゃんって、なんでも拾ってきちゃうんだ。
「俺、そういうの全部知ってたくせに、絶対和菓子のほうがうまいって言い張って、ナナはそれが気に入らなかったみたいで言い合いになって……」
「それが……原因……」
バカバカしいとは思うけど、長い付き合いのゲンちゃんとナナちゃんにとっては、あたしにはわからない深い物語があるのかも。
「だったらさ、さっさとナナちゃん追いかけて謝ってきなよ」
「それは……いやだ」
「えー、どうして?」
「なんでいっつも俺が謝らなきゃいけねぇんだよ」
「いつもゲンちゃんが悪いからでしょ?」
ゲンちゃんは何か言いたそうな顔をして、でも何も言い返せなくて、立ち上がりあたしを部屋から押し出した。
「ちょっ……ゲンちゃん!」
「出てけ。俺は仕事があるんだ」
ゲンちゃんがあたしを台所に突き飛ばし、ふすまを勢いよく閉める。あたしはそのふすまに向かって怒鳴る。
「もー、なんなのよ! ゲンのバカ! ガキ! 意気地なし!」
思いつく悪口を並べまくってやったけど、ゲンちゃんは部屋に閉じこもり出てこなかった。
「もうっ、世話が焼ける大人なんだから」
あたしはため息をついて、壁の時計を見上げる。外はもう暗くなってきてたけど、まだそんなに遅い時間ではない。
「ミルク、ちょっとお留守番しててね?」
あたしはミルクを床に置き、バッグを肩にかけたまま家を飛び出した。
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