朝めし屋-異世界支店-
FUKUSUKE
第1話 白いごはんと紅鮭(1)
まだ目覚めたばかりで静寂が支配する街道に、腹の虫が鳴り響く大きな音がする。
村から村へと渡り歩く行商人、マルコ・キャンベルはとにかくお腹を空かせていた。
普通なら五日かかる旅程を考慮して七日分の食料を買い込んで荷馬車を走らせてきたのだが、あと一日で領都マルゲリットに着くところまでやって来たというのに大嵐がやってきた。
立って歩くことができず、巨木の太い枝が折れて飛ぶほどの突風が吹き荒れた。うちつけるような雨は、足首まで浸かるほどの深さになり、川のようになって大河へと注ぎ込んでいく。マルコは風で荷馬車が倒されないよう、森の中にある巨木に括り付けてやり過ごした。
嵐は二日ほどで通り過ぎて行ったのだが、今度は地面が
なんとか船着き場に到着したが、大河サン・リベルムの水嵩は高く、流れは異常に速くなっている。これでは無事に向こう岸に到着できる状況ではないので渡し船も運休せざるを得ず、そこでもマルコは一夜を過ごすことになってしまった。
七日目の昼には渡し船も営業できるようになったのだが、多くの旅人や行商人が並んでいたので、マルコが大河を渡ったのは七日目の午後だった。
そこからも泥濘に車輪をとられそうになりながら、荷馬車を走らせた。
結局、領都マルゲリットに到着したのは七日目の日没後……既に、城塞都市マルゲリットはその門を閉じていた。
いくら衛兵にお願いしたところで、中には入れてほしいという願いは叶わない。どこの国でもそうだが、城門に関するルールは厳しい。暗くなればお尋ね者や不審者が入り込む確率が高くなるからだ。
だが、あと一日あれば到着すると思い込んでいたので、マルコは残った食料を食べ終えてしまっていた。
結局、その日の夜は何も食べることができず、荷馬車の中で一夜を過ごすことになった。しかし、腹が減ったせいでほとんど眠ることもできなかった。
◇◆◇
ようやく日が昇り、マルコは領都マルゲリットに入ることができた。
だが、まだ街は目覚めていない。働き者の農民たちが街を出て行く時間帯だ。
いつもの宿屋も宿泊客が起きだす時間までまだ余裕があり、宿泊客用の朝食の準備を始めたばかり。朝早くに到着したマルコの分までは用意していない。
荷馬車と荷物をその宿屋に預け、マルコは食事を求めて交流街に飛び出した。
とは言え、料理屋も営業している時間ではない。農民たちは基本自炊生活をしているし、商人や職人たちは日が昇ったあとに起きだしてくる。料理屋が開店する時間帯というのは朝三つの鐘――午前十時くらい――が鳴った後だ。
何度もいうが、マルコはお腹が減ってしかたがない。
街に到着した安心感のせいか、更に腹の虫が暴れだした。何度も腹の虫が鳴く大きな音がする。街の大通りはまだ静かで、この音はなかなかに目立ってしまい、少し恥ずかしい。
「ああーっ、腹へったぁ」
例え声にだしても、彼の腹が膨れるようなことはないのだが、声にでも出していれば気が紛れるような気がした。
すると、何かを煮込むようないい香りが流れてきて、余計に腹が減り始める……。
あまりに腹を空かせたことで嗅覚までおかしくなったかと思ってマルコは顔をあげる。
そこには一軒の料理屋があり、確かにその香りは目の前の店から流れていた。だが、また残念なことに、店の前には「準備中」と書かれた板がぶら下がっている。
この店もまだ営業を開始しておらず、マルコの腹を満たすことができない。だが、食べ物の香りが流れてくるということは既に店には人がいて、料理を出す準備をしているということだ。しばらくすれば店が開くことをマルコは期待した。
そのとき、澄んだ鐘の音が街に響く。
朝二つの鐘――午前八時くらい――が鳴ったのだ。
その鐘の音とほぼ同時に、車輪がガラガラと音をたて、目の前にある店の引き戸が開かれた。
引き戸が開いた店内から少女が出てくると、竹でできた棒に布を通したものを店先に掲げ、店先にぶら下げてあった「準備中」と書いた板を裏返す。
マルコは期待に満ちた目をして、少女を見る。
半袖の白いブラウスの袖は大きく膨らんでおり、フリルのついた袖口は丸く絞るように縫い付けられている。ラウンドカラーの襟には黒い糸で繊細な刺繍が施されており、その襟元には黒いリボンが結ばれている。ブラウスの上に着こんだ黒いワンピースは膝上程度の丈で少し短め、胸元を強調するかのような形で下から胸を持ち上げている。更にその上には、刺繍入りのポケットが縫い付けられ、全体にフリルがあしらわれたエプロンが巻かれている。
――なんだ、この服は。
あまりにも珍しい服装を見て、マルコは言葉を失った。
一方、マルコの視線を感じた少女は、じっと自分を観察しているマルコを見つけると、人懐っこい笑顔を向けて声を掛ける。
「おはようございます!」
まだ静かな街に、少女の期待に満ちた元気な声が響く。
純白の髪に透き通るような白い肌、二重の目、宝石のように輝く透明で濁りのない瑠璃色の瞳はとても大きく美しい。ぷっくりと柔らかそうな口元は、口紅のような不自然な色はないが艶があり、キラキラと輝いている。
「あのぉ……どうかしましたか?」
店からでてきた少女が思わず声をかける。
マルコは、少女があまりにもこの街に似合わない服装をしており、若いのか、大人っぽいのかもよくわからないファッションなので、言葉を失ってしまっていた。
そこでまたマルコの腹の虫が大きな音を立てる。
「――ハッ!」
マルコは腹の虫が返事をしたことで我に返る。
腹の虫の鳴き声が聞こえたのか、少女は小さく肩を揺らして笑い、声が漏れそうなのを堪えながらマルコを見ていた。
「おはようございます。こちらは食事ができるお店でしょうか?」
マルコは返事をするが、そこまで話さなくてもとても腹を減らしていることは少女に伝わっている。既に、店内へ入るための引き戸を開けて、ニコニコと笑顔をみせている。
「はい、少し珍しい料理ですけれど、是非お試しになってください」
少女はくいくいと手招きをするのだが、やはりこの街には服装が似合わない。ただ、この時間帯に食事をすることができそうな店は他になく。とてもいい香りがするのは間違いがない。
街から街へと移動を続ける行商人であるマルコにとっては、むしろ珍しい料理が食べられることは楽しみのひとつでもある。
――珍しい料理なら、大歓迎だ。
嵐のせいとはいえ、腹を空かせて街を彷徨った挙げ句、珍しい料理を食べることができたということは間違いなく行商で訪れる村や街で話題にできる。
店に入る前に、改めて店の外観を確認する。
特に看板はないが、少女が店の前に掲げた竹の棒に取り付けられた布に、なにか文字らしきものが書かれている。残念だが、マルコにはその意味はわからない。恐らく店名なのだろうが、このマルゲリットの街には似合わない雰囲気であることは違いがなかった。
そして、とにかくお腹が空いてたまらないことを思い出すと、マルコは覚悟を決めて店の中に入っていった。
「らっしゃい」
店内に入ると、石の床に白い壁、無垢の木の板で作られた大きなカウンターが設置されており、奥にはテーブルと椅子が並べられていた。そのカウンターの奥には厨房が見えていて、そこには白い服を纏った男が笑顔で立っている。
「こちらのお席にどうぞぉ」
マルコ・は少女に勧められるままにカウンターに座った。
「すまない、とにかく腹が空いて仕方がないんだ。何か食べさせてくれ」
料理人らしき男に向かってマルコが話しかけると、慣れた感じでさっきの少女がメニューを説明してくれる。
「うちは主食と主菜、汁物の一汁一菜の店です。
今日の汁物は『豆腐』と『ワカメ』、主菜は卵料理と魚料理、野菜料理、肉料理の中から選べます。
肉料理は『鶏肉』、『豚肉』、『牛肉』から選べますよ」
確かにメニューと書かれた紙には、卵料理、魚料理、野菜料理と肉料理と書いてあり、肉料理は鶏肉、豚肉、牛肉の中から選ぶように書いてある。
ただ、マルコはここで悩む。卵料理といわれても何の卵かわからない。また、肉料理と言われてもどんな調理法で作られたものが出てくるのかわからない。
「『鶏肉』と『豚肉』、『牛肉』はそれぞれどんな料理なんだい?」
「毎日の仕入れで料理の内容が変わるのですが、今日の『鶏肉』は若い『鶏』のモモ肉をタレをつけて焼いたもの。『豚肉』は薄切りにした肉を茹でて薬味と共にタレに絡めたもの。『牛肉』は薄切りの肉と野菜を炒めたもので、とても柔らかいですよ」
マルコは鶏肉を何度か食べたことがあるが、筋肉質で硬い肉であり、あまり美味しいという記憶がない。牛肉も赤身が多く硬い肉ばかりだが、少女の話では柔らかい部位を使っているのだろう。だが、牛肉の柔らかい部位は高いので、マルコも食べたことがない。そうなれば、比較的食べなれている豚肉を選んでもいいかもしれないなどとマルコは考えた。
「卵は『鶏』の卵を焼いたもの、今日の魚は紅シャケ……塩漬けの『紅鮭』の切り身を焼いたものです」
「ふむ……」
念のためと思ったのか、店員の少女は卵と魚料理についても説明をしてくれた。それを聞いたマルコは考えるのも面倒になり、店員である少女のオススメの料理にしてもらうことにした。
「とにかく、腹が減って仕方がないので、君のオススメの料理を一人前でお願いするよ」
「かしこまりましたぁー」
そういうと、彼女は頭をあげて厨房の料理人へ注文を告げる。
「シュウさん、『魚朝食』一人前承りましたぁ」
「あいよっ」
シュウさんと呼ばれた料理人は厨房の奥に向かい、店員らしき少女は薄く黄色味を帯びた茶を淹れ、マルコの前に運んでくる。
「ごゆっくりどうぞぉー」
少女はそう言うと、厨房へと入り、シュウさんと呼ばれた料理人の近くで何かを盛り付けはじめる。
シュウと呼ばれる料理人はこの大陸では見かけない顔立ちをしていて、真っ黒な髪を短髪にまとめた、肌の色が少し黄色い感じの男性である。この国の人たちは白い肌に髪を総髪でまとめている者が多いのだが、彼の髪は襟足から刈り上げられている。とても珍しい髪型だ。
――料理人は異国の者か。
顔立ちと髪型、肌の色の三点を考慮し、マルコはこの料理人が異国の人間であろうと推察したのだ。
そこに、店員の少女が小皿に盛り付けた料理を丸盆にのせて運んできた。
「無料の『漬物』盛り合わせです。料理ができるまでの間、こちらをお楽しみくださいね」
マルコの前に置かれたのは白菜と蕪、胡瓜の漬物だ。
マルコは平らな枝が四本ついた珍しいフォークをしばらく見つめると、次に個々の野菜を眺め、フォークで刺して匂いを嗅いだ。そして、この国の漬物との違いに気が付いた。素材によって漬け込み方が異なるのだ。
――これとこれは塩で、こちらは何だろう?
マルコは白菜と蕪は塩で漬け込まれたもの、胡瓜は発酵させた何かに漬け込まれたものであろうと推測する。特に、胡瓜は独特な香りがするからだ。
実際に白菜は歯触りを残したまま柔らかく漬け込まれていて、葉からでた甘みや味を、再び葉全体が吸っていてとても美味しい。蕪は茎の部分のシャクシャクという歯ざわりと、球根部分のしんなりとしつつもポリポリと歯ごたえのある食感、球根と葉の両方から出た味と甘みを楽しめる。胡瓜は糠の香りが胡瓜の瓜臭さを抑えており、更に旨味を加えている。発酵させたものの中に漬け込むことで、更に美味を引き出すことに成功している漬物だ。
そして、茶である。この国だけでなく、大陸全体で好まれる茶は、各種の香草を用いたハーブ茶がほとんど。マルコは料理には合わないと考えていたのだが、この茶は渋みと甘みに加え、独特の味が舌に染み込んでくる。これが、漬物の味に実に合うのだ。
気がつくと、料理に少し時間がかかっていたので、漬物だけで何度も少女にお茶をおかわりしてしまっていた。お茶も無料だというので安心して飲めてしまったのだ。
そして、温かいお茶と漬物で空腹を訴えていた胃袋がシフトアップし、更に空腹感が増してきた頃、料理が運ばれてきた。
「お待たせしましたっ! 『魚朝食』です」
少女はマルコの前に、そっと丸盆を差し出した。
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