05.カルネアデスの板

「きゃあああああ――――っ!!」


 甲高い華瑠亜の悲鳴が採掘場に木霊した。

 しかし、それもすぐに、コウモリの羽音と鳴き声に掻き消される。

 他のメンバーも、コウモリを避けるようにその場にしゃがみ込むが、地面すれすれまで飛び廻る漆黒の来襲者は容赦なく皆の体に張り付いてゆく。


 一匹だけでもあれだけ気持ち悪かったのに、これだけの数になったら卒倒しちゃうんじゃないか!?

 ……と我ながら心配になったが、展開が極端過ぎると、逆に感覚もマヒしてしまうようだ。体に張り付いたコウモリを次々と素手で剥ぎ取って投げ捨てる。


「紬くんっ!」


 声を聞いてベルトポーチに視線を落とすと、中へ潜り込もうとしているコウモリの鼻先を、爪楊枝レイピアつついているリリスが目に留まる。

 慌ててコウモリを払い退けると、ポーチの蓋を閉じながら、


「そうだ! おまえが大きくなってこいつらを追っ払ってくれれば――」

「絶対ヤダ! 気持ち悪い! 悪魔をなんだと思ってんのよ!」


 ポーチの中から断固拒否の意思表示をするリリスだが、コウモリの親戚みたいなもんだよな、悪魔なんて……。


 とりあえず壁から松明を取り外し、体の周りで振り回してみた。

 コウモリもこの密集状態では炎を避ける余裕がないのか、たちまち腐肉を焼いたような嫌な臭いが辺りに立ち込め始める。


 程なくして、コウモリが次々と入り口――俺たちが歩いてきた通路へ向かって移動を始めた。


 コウモリ密度が緩和されるに連れ、少しずつ視界も回復して皆の状況が明らかになってきた。

 俺たちのすぐ近くには立夏りっかと可憐のペア。華瑠亜とうららはやや離れた場所で、それぞれうずくまっているのが見える。


「一旦、みんなで集まろう」


 可憐の号令で、それぞれメンバーが腰を上げ――。

 ……って、あれ? 体が動かないぞ?

 コウモリ相手に必死で気付かなかったが、いつの間にか紅来が、ひっしと・・・・俺の腕にしがみついているのだ。


「お、おい、紅来? 大丈夫か?」


 まだ何匹か、彼女の体に張り付いていたコウモリを取り払いながら声を掛ける。

 採掘部屋を飛んでいる数も、先程までに比べればかなりまばらになっていた。少なくとも人に当たるような高度からは姿を消しているが……。


「もう大丈夫。コウモリはほとんど、通路から出ていって――」

「コウモリじゃない!」


 首を左右に振りながら、さらに力を込めて、しがみつくように俺の腕を抱きかかえる紅来。いつも飄々として、人を食ったようにおどけて見せる彼女が、今は真っ青になって震えている。


 コウモリじゃない? なんの話だ?


「じ、地震」

「え?」

「来る、大きいのが!」


 ようやく、俺にもその異変を感じることができた。

 足元から伝わってくる、ぼんやりとした揺らぎ。

 昔、地学の授業で習ったことがある。S波と呼ばれる横揺れだ。


 P波――いわゆる縦揺れに気付かなかったと言うことは、震源地からは距離が離れているのだろう。しかし、それが逆に地震の規模を物語っている。

 不気味な横揺れは徐々に大きくなり、やがて立っていられないほど大きく地面を揺らし始める。


 ――長周期地震動。


 かなり大きな規模の地震が発生した時に起こる現象だ。

 天井から、パラパラと土や小岩が落ちてくる。


「頭をガードして、身を低くしろ!」


 再び腰を落として声を張り上げる可憐だったが、言われるまでもなく、激しく揺れ始めた地面に足元をとられてうずくまるメンバーたち。

 それぞれ、武器や防具、鞄など、有り合わせのものを使って頭をガードするが、ただ一人……、


「おい、紅来! 危険だ! 手を離して頭をガードだ!」

「無理っ! 無理っ!」


 地震があまり好きではない紅来が、ヒステリックに首を振りながら、さらに腕の力を強める。これでは俺も防御行動がとれない。

 二人で抱き合うように地面にうずくまるが、相変わらず落石に対しては無防備のまま。

 すぐ傍の地面に、壁を転がってきた十センチ程の小岩が勢いよく当たって砕ける。


 ――このままじゃ危ない!


 リリスの入ったベルトポーチを正面にずらし、紅来の頭を胸の中に抱え込むようにして覆い被さる。二人を落石から守りながら、俺自身の後頭部も気休め程度に片手でガード。


 メリ、

 メリ、

 メリメリ……と、何かがきしむような不気味な音が耳朶じだに触れる。


 ――何の音だ?


 ふと横を見ると、近くで伏せていた立夏と可憐を隔てるように、二人の間で地面が割けていくのが見えた。

 さらに、またたく間にこちらへ伸びてきた地割れは、紅来のすぐ後ろで地表を切り裂く。

 やがて周囲からピシリピシリと破砕音が鳴り響き……。


 地割れのこちら側――立夏と紅来と俺が取り残された範囲にだけ、まるで石をぶつけられた網入りガラスのように無数の亀裂が拡がる。


 ――地盤崩落!


 立夏が可憐の手を掴もうと腕を伸ばす……が、空しく虚空を切る指先。

 地面が崩壊し、瓦礫と共に立夏の体が眼下の闇へ呑み込まれていく。

 

「立夏あ――――っ!」

 

 奈落に木霊する可憐の叫び。だが、それに答える声はない。


 なんてこった……。

 さらに、俺と紅来の周囲からも、次々と地面が消失してゆく。


「紬! 早く! 手を掴め!」


 今度はこちらへにじり寄りながら、可憐が手を伸ばしてきた。

 しかし、いくら可憐とはいえ俺と紅来を引き上げられるとは思えない。この手を掴めば可憐まで巻き添えにしてしまうかも……。


 ――或いは、俺とリリスだけなら?


 俺の体の下でへたり込んでいる紅来を置き去りにすれば、俺とリリスだけは助かるかもしれない。

 そうしたとしても、俺が責められることはないだろう。

 カルネアデスの板――緊急避難の原則だ。


 しかし――。


 一瞬間に迫られた選択ののち、俺の腕は、震える紅来の肩を強く抱き締める。


「紅来。少し下に落ちそうだから、しっかり掴まってろ」


 怯えさせないよう極力冷静に言ったつもりなのだが……。

 やっぱり、俺の声も少し上擦っているな。


「紬いぃぃぃぃ――っ!」


 薄暗い採掘場に、華瑠亜の悲痛な叫び声が響き渡る。

 見上げれば、可憐の向こう側で泣き叫ぶ華瑠亜と、その隣でへたり込みながら、呆然と松明をかざす麗の姿が目に留まった。

 しかし、その姿もすぐに、せり上がる地面の向こうへ隠れて見えなくなる。


 ――いや、こっちが落ちているんだ!


「こっちはこっちで何とかする! 先に脱出してろぉ――っ!」


 バリバリと大地が砕ける轟音の中、できるだけ大きく声を張ったつもりだったが、ちゃんと届いただろうか?


 必死でこちらに手を伸ばしながら、徐々に絶望の色に染められてゆく可憐の瞳。


 ――それが、俺が目にした最後の光景だった。

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