第42話

「はーい。初めての方ですか?」


 僕らよりもいくつか年上に感じられるその女性は、ずいぶんと背が高かった。


 ボリューミーな黒髪は毛先に内巻きのカールがかかっており、顎のラインに沿って綺麗な曲線を描いている。額の真ん中で分かれた髪の間から覗かせる、キリッとした眉と鮮やかな色の瞼はまさに大人の女性といった雰囲気を醸し出していた。


「はい。初めてです。あの実は――」


「じゃあこれ、症状を記入してくださいね。一応体温も測っておきましょっか。はい、これ」と早口に言うと、彼女はてきぱきとした動作で問診票と体温計を僕に手渡した。


「いや、俺たちは――」


 藤沢がすかさずフォローしようと試みたが、看護師は腕時計を確認しながら、「今ちょっと点滴を取り替えなきゃいけない患者さんがいるから、記入したらまたベルを鳴らして呼んでくれる? あ、付き添いの人はその辺の椅子にね」と話し終わる前からすでに歩き始め、言い終わる頃には角の分かれ道を曲がるところだった。


「あの美人さん、相当にせっかちだな」


「だね」


 藤沢は呆れた様子でため息をつくと長椅子に腰かけ、「ていうか、俺はぱっと見で付き添い扱いかよ」と呟いた。


「まぁ、間違ってはないでしょ」と僕が隣に座りながら答えると、彼は不快そうに鼻を鳴らし、「二人とも診察希望かもしれないだろ」と言い返した。


「君は日焼けしてるから」


「熱中症かもしれんだろ」


 その後もむきになった彼は自分が病人に見えそうな理由をいくつか挙げ連ねていたが、僕は体温計を脇から外して問診票に記入し、「その有り余った元気が、きっと一瞬で見抜かれたんだよ」と答えた。


 すると彼はようやく返す言葉が浮かばなくなったのか、「素直に熱測ってんじゃないよ」とこちらを指差して言った。


「一応ね」と答えた僕は問診票を眺めると、症状欄という枠にここへ来た理由を書き始めた。


 横からそれを覗き込んだ藤沢は、「悪くないアイデアかもな」と言って大きく頷いていた。


 しばらく待ってみたが、彼女は一向に戻ってこない。


「さすがに見に行かないか?」


 藤沢が落ち着かない様子でそう言うので、僕らは先ほど看護師が立ち去った方へ歩き始めた。


 角を曲がって少し進むと点滴を付けた患者の眠る病室を見つけたものの、(入口の扉が開け放たれていた)そこに看護師の姿はなかった。


 さらに廊下を進むとナースステーションが左手の奥まったところに現れ、そこでは先ほどの看護師が饅頭を片手にパソコンを睨んでいた。


 胸の辺りにつけたネームプレートを見ると、そこには『片岡』と書かれている。


「いたよ。のんきに饅頭食ってるし」


「あの」と僕は片岡という名の看護師に声をかけると、こちらを見上げた彼女は驚いたように目を見開き、「……あらっ」と声を漏らしながら咄嗟に饅頭をカウンターの死角に隠した。


「あぁ。もう書き終わってたの? それならベルで呼んでくれれば良かったのに。まだ少し時間あるかなぁって、別の仕事始めちゃった。ごめんね、忘れてたわけじゃないから」と早口に言うと、彼女は僕が手にした問診票をひったくるように取った。


「保険証は持ってます? あ、体温計も回収しなきゃね。熱はないかしら? ん? 『葉山蓮介という人を探しています』。何これ?」


 一連の反応を忙しなく行ってから、彼女はぽかんとした表情で僕らの方を見た。


「やっと止まったか」と肩を竦める藤沢をちらりと見た僕は、彼女に視線を戻しながら「僕らは診察に来たんじゃなくて…。以前ここに通院していた『葉山蓮介』という人を探しているんです」と言った。


「何かご存知の方はいらっしゃいますか?」


 彼女は呆けた表情を浮かべ、処理落ちしたパソコン画面のようにフリーズしていた。想定外の状況に反応が鈍ったのだろうか。


 改めて彼女を眺めると、目元にはしっかりとした紫色の化粧が施されているものの、それに比べてほかの箇所は全体的にこざっぱりとした印象だった。初見では目つきの鋭さに思わず圧倒されたが、少し丸みのある顔は幼さも感じさせる。


「もしもーし」と藤沢が手を振りながら言うと、彼女の瞳に生気が戻ってきた。


「あぁ。ごめんなさい。あ、そうね、体温計。ありがと」


 彼女は僕から体温計を受け取ると、「最初に言ってくれれば良かったのに」と不服そうに言った。「あなたはご親戚か何か?」


「息子です。……たぶん」


「たぶん?」


 彼女は一瞬険しい表情を浮かべたが、「葉山蓮介さんね。まぁ一応カルテを調べてあげる」と答えた後ですぐに弱った表情を浮かべ、「でも、今ちょっとやることが溜まってて……。申し訳ないんだけど、少し待ってもらえるかな?」と言った。


「少しって、どれくらいでしょうか?」


「そうねぇ。午後は診察の予約もないから、この仕事が片付いたら時間が作れそうかも」と答えると、彼女は口元をそっと手で覆い、「実はね、今日一緒にシフトされたもう一人の看護師が突然子供が熱を出したとかで来れなくなっちゃったの。……もうほんと大変」と小声で早口に言った。


「大丈夫です。外で時間をつぶして、午後にまた来ます」


「ごめんね、そうしてくれる?」


 問診票をカウンターに置いた彼女は廊下を歩き始めると、「じゃあ後で必ず時間作るから、次来た時は間違いなく受付のベルを鳴らしてね」と言って奥の病室へ姿を消した。


「ほんとに忙しいんだ」と彼女が通り過ぎた余韻を見つめながら僕が呟くと、「ベルなら最初に鳴らしたけどな」と藤沢が後ろでぼやいていた。

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