第八話 氷の女王


 まだ昼間だというのに北の森は薄暗い。

 アルカナの村とは比べものにならないほど寒い。


 大地は凍り、そこから生えている木々までもが凍りついている。

 動物は一匹も発見できない。


 オリバはタンクトップ、短パンだ。

 革袋から指なし手袋を取り出した。


 オリバの『向こう側の筋肉』なら筋肉の発熱で寒さは克服できる。

 しかし、オリバは指なし手袋を装着した。

 気分的なアレだ。

 子どものころ冒険者に憧れていたオリバは指なし手袋をはめて敵と戦ってみたかったのだ。


 森の奥へと突き進む。

 寒さがどんどん強くなる。

 強い魔力を感じる。


 敵は近い――


 森を抜けると広場が現れた。

 長身細身の女が立っている。


 ……美しい。


 敵ながらその美しさにオリバは息をのむ。


 歳は二十弱だろう。

 青い瞳に真っ白な肌。

 長い髪は銀色に輝いている。

 胸元が大きく開いたドレスをまとっている。

 細いウエストに似つかわしくないほど豊かな胸だ。


 女の周りにはたくさんの冒険者が凍りついている。


 剣を振り上げた状態で凍っている勇者や魔法を唱えている最中の魔法使い。

 A級冒険者の証である黄金プレートを身に着けているものさえいる。


 凍っているのは冒険者だけじゃない。

 野ウサギや野ネズミまでもが凍りついている。

 野ウサギは草をムシャムシャしてる最中のまま凍っている。


 こいつは強い――


 オリバは瞬時に悟る。


「お前が氷の女王か。俺はオリバ・ラインハルト、お前を倒しにきた!」


 女がこちらに体を向ける。


「そうじゃ。わらわが氷の女王エレナ・クインタイルじゃ。わらわを倒しに次から次へと冒険者がやってくる。冒険者とはまったく野蛮で愚かなものじゃ。そなたもすぐに氷の彫刻コレクションに加えてやろう」


 エレナは凍りついている冒険者たちを満足気に見渡す。


「俺の筋肉に見とれ、俺を彫刻にしたい気持ちは痛いほど良くわかる。だが断る!!」


「何を言っておるのじゃ! やはり彫刻は静かで動かないからこそ美しい。この彫刻たちはわらわの親友の墓でもあるのじゃ。さあ、そなたもコレクションに加わるがよい」


 エレナの右手から吹雪が発生しオリバに直撃する。


 吹雪はオリバの筋肉に触れた瞬間に蒸発していく。

 向こう側の筋肉の発熱量は吹雪を上回っていた。

 筋肉の上に雪がまったく積もらない。


「……ほう。これで凍らぬとは褒めてつかわそう。そこにいる者たちは何もできずに凍っていった。人間とは弱き生きものじゃな」


「かもな。でも俺は強いぞ。俺はお前を倒すからな」


「世迷い言を。人間ごときが、氷の国の女王であるわらわに勝てるわけなかろう。本気でいくぞ。さらばじゃ、オリバよ」


 エレナが呪文を唱える。

 彼女の周りに無数の氷柱つららが出現した。

 オリバめがけて一直線に飛んでくる。


 オリバはよけない。


 無数の氷柱がオリバに直撃する。

 氷柱が砕け散り乾いた音があたり一面に鳴り響く。


 それでもエレナは魔法を止めない。

 氷柱がオリバに当たり続け、その衝撃でオリバは後方に押しやられる。

 オリバが広場の端まで後退したとき、エレナは魔法を解除した。


「ばかな……。貴様! どんな魔法を使いおった! それとも氷耐性の防具か……。わらわの魔法をあれだけ受けて無傷のハズがない!」


「魔法は使ってない。これは市販のタンクトップだ。」


 オリバはタンクトップをつまんで伸ばす。


「お前の氷柱、ツボ押しには丁度いいな。無料で全身のツボを押してくれてありがと。血行が良くなって俺の筋肉たちが喜んでいる」


 オリバは軽く一礼した。


 こやつ、本当に人間か――


 エレナは目を大きく見開いた。


 凍らない肉体。

 物理攻撃が効かない肉体。

 魔法を使った形跡はない。

 防具も装備していない。


 エレナにはオリバの強さが理解できなかった。

 エレナもまた、人間の筋肉は弱いと盲信していた。

 筋肉の可能性を信じていなかったのだ。


「……まあよい。この魔法は氷の国の王族しか使えぬ奥義じゃ。これでそなたの時間は永遠に止まるであろう」


 エレナの魔力が急激に上がる。

 彼女の頭上に大きな氷の塊が現れた。


 氷の塊は生き物の形に成長してゆく。

 大きな産声が森全体に響き渡る。

 青い瞳に真っ白な鱗。

 氷のドラゴンが現れた。


「我が国最強の魔法兵器アイスドラゴンじゃ! こやつを見て生きて帰った者はおらぬ!」


 エレナはアイスドラゴンの背中に乗り、空高く舞い上がる。


「アイスブレス!」


 エレナが叫ぶ。

 アイスドラゴンはオリバに向けて氷の息を吐いた。


 オリバは前方へ転がって攻撃をかわす。

 エレナは追撃する。

 オリバはその攻撃もなんとかよける。


「どうした、オリバよ。逃げてばかりではわらわは倒せぬぞ」


 エレナはアイスドラゴンの背中から余裕の微笑みを投げかけてくる。


「勝負はここからだ! 今度は俺の攻撃ターンだ!」


 オリバはアイスドラゴンへ右肩を向けた。

 英雄オーディンを倒したあの技だ。


「スキル! 肩メロン・タックル!」


 オリバはアイスドラゴンめがけて助走をつけて飛んだ。

 アイスドラゴンはオリバを撃ち落とさんとアイスブレスを吹きかけてくる。

 メロンとドラゴンの一騎打ちだ!


 オリバはアイスブレスの中を突き進む。

 アイスブレスを突き破り、メロンのようなその右肩をアイスドラゴンの頭にぶち込んだ。

 アイスドラゴンはすさまじい咆哮をあげ、全身から砕け散った。


 エレナは地上に降り立つ。


「これほどの人間がいるとは……」


 エレナの雪よりも白い顔が火照っている。


「氷の彫刻にするのはもったいない。わらわは強い男が好きじゃ。オリバよ、わらわの配下となれ! そなたの強さなら親衛隊長として、わらわとずっと一緒にいられようぞ」


 綺麗なお姉さんは好きですか?

 ――はい、好きです。


 セクシーなお姉さんは好きですか?

 ――はい、好きです。


「ありがとう。だが断る! 俺には守るべき人がたくさんいる。神器を集めて大魔王を倒すんだ。筋肉は人を裏切らない。俺も国民を裏切らない!」


「……そうか。もったいないが、しょうがないの。そなたは一番お気に入りの彫刻となる予定じゃ。喜ぶがよい」


 エレナは両手を胸の前で合わせる。

 空気がさらに冷たくなる。


「究極魔法・絶対凍結!!」


 エレナの足元から紫色の氷が一面に広がる。


 この氷は危険だ!


 オリバは直観的に察知する。

 紫色の氷がオリバに到達する前に後ろに飛び退いた。


 ――なにっ!!


 オリバの足に氷が蔓のように巻き付いてきた。

 地面に引き戻され、オリバの両足は紫色の氷で覆われた。


「この氷には意識がある。逃げようとする者を捕まえるのじゃ」


 エレナはほくそ笑む。


 オリバは両足を覆っている氷を殴った。

 オリバの拳が出血する。

 氷はビクともしない。


「無駄じゃ。この氷に物理攻撃は効かぬ。この氷に触れられた者は魔法も発動できなくなる」


 エレナは余裕の微笑みをみせる。


 このままではまずい……。

 何か手を打たないとやられる。


 オリバはこの窮地を切り抜ける方法を必死に考える。


 氷はオリバの体を飲み込んでゆく。

 胸のあたりまでオリバは氷で包まれた。

 体が急激に冷やされていくのを感じる。


「もう一度だけ聞く。わらわの配下に加われ! その身をわらわのために捧げよ。そなたを氷の彫刻にしてしまうのは惜しいのだ!」


 祈るような声でエレナは言った。


「愚問だな。何度聞かれても俺の答えは変わらん」


「……そうか。そなたのことは覚えておこう、オリバ・ラインハルトよ。いい男だったとな」


 エレナは魔法を強める。


 氷がオリバの体を上ってくる。

 首も氷で覆われた。

 あと数秒でオリバの体はすべて氷で覆われる。


 勝負がついた。


 エレナはそう確信した。


 ……しかし、氷が顔に進行しない。


 よく見ると、オリバの身長が少し高くなり、すぐに低くなる。

 これを繰り返している。


 「なにをしおったっ! 魔法は使えず、身動きもほとんどできないハズじゃ!」


 エレナはうろたえる。


「魔法じゃない。スキル『カーフレイズ・プロテクション』だ!」


 オリバは小さく上下に動きながら話し続ける。

 オリバを覆っている氷がみるみる溶けていく。


「カーフレイズはつま先立ちを繰り返してカーフ(ふくらはぎ)を鍛える筋トレだ。ふくらはぎは第二の心臓と言われるほど血液循環に重要だ。ふくらはぎを鍛えれば血行がよくなり、足の冷えを予防できる。これを利用した防御スキルがカーフレイズ・プロテクションだ!」


 エレナはオリバのふくらはぎに目をやる。

 オリバのふくらはぎはひし形に発達し、後ろから見るとヒラメが張り付いているようだ。


 オリバはカーフレイズを続ける。

 つま先立ちをし、踵を降ろす。

 これを何度も繰り返す。

 ピョコピョコと上下動を繰り返す。


 オリバのふくらはぎから生まれた熱は氷を伝わり、周辺の氷も溶かし始める。

 冒険者や動物を覆っていた氷が溶ける。


「あれ? 俺たちここで何してるんだっけ?」


 長い凍結から目覚めた冒険者たちは混乱している。

 野ウサギは食べかけていた草を一心不乱にモシャり始めた。


「ぐぅぅ……わらわの氷の彫刻を奪いおって! この世界ごと凍らせてしまう恐れがあるため抑えておったが、ならば出力全開じゃ! もう一度、氷の彫刻に戻るがよい!」


 エレナからとてつもない魔力が流れでる。


 溶けかかっていた氷がまた凍結し始める。


 オリバはより早いスピードで上下にピョコピョコする。

 それでも周りはどんどん凍っていく。


 ついにオリバの足を氷が覆った。


 ここまでか……。


 オリバは心の中で呟く。


「みんな! あのタンクトップに続け!! みんなで氷を溶かすんだ!」


 誰かが叫んだ。


 冒険者の何人かが上下にピョコピョコし始める。

 彼らの周りで氷の進行が止まる。


 それを見ていたオリバは叫んだ。


「助かる方法はこれしかない! みんなで力を合わせるんだ! エブリバディ! アーユーレディ?」


「イェェェーース!!」


 冒険者全員が叫ぶ!


 全員で上下にピョコピョコし始める。


「アップ! ダウン! アップ! ダウン!」


 オリバが掛け声をかける。


 掛け声に合わせて全員のピョコピョコがシンクロする。


 それを見ていた野ウサギまでもが草をモシャるのを止めピョコり始めた。

 野ネズミもそれに続く。


 みるみる氷は溶けていく。

 その光景は長い冬がようやく終わり、大地から無数の新芽が吹いているようだ。

 大空に向かって力強く伸びる新芽のごとく希望に溢れている。


 木々を覆っていた氷は溶け、水となって枝からしたたりおちる。

 カーフレイズをしている冒険者たちの額からも汗がしたたりおちる。


 一部の冒険者と野ネズミのペースが落ち始めた。

 カーフレイズは地味だがかなり疲れるのだ。


「カモォン! カモォォォン!! ユーキャン ドゥーイット!!」


 オリバが励ます。


 みんなのピョコピョコがシンクロを取り戻す。


 ついに広場の氷が溶けきった。

 オリバはエレナの目の前に立つ。


「終わりだ、氷の女王エレナ。俺ひとりではお前に負けていた。俺はお前を忘れない」


 オリバは後ろ回し蹴りをする。

 その熱したふくらはぎをエレナの脇腹に叩き込んだ。


 ――硬いっ!


 オリバのふくらはぎが出血する。


「氷魔法はすべての魔法の中で最高の防御力を誇る。わらわは氷魔法を使う氷のたみの女王じゃ。この体はいかなる物理攻撃も防ぐ究極の氷魔法で守られておる」


 エレナの体が紫色の光で包まれる。

 エレナは優雅に微笑む。


「そうか……このスキルを使うしかないな……」


 オリバは指なし手袋を外し、投げ捨てた。


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