好きという気持ち

「こんなところにいたのか……」


 カナは、馬車の中で、膝を抱えて丸くなっていた。その様はこたつの中で丸くなる猫に少し似ていて、不覚にも少し可愛いと思ってしまった。


「風音……さん……」


 カナが顔をあげる。頬には涙の跡が今も見て取れ、目も真っ赤に腫れている。


「あー……その……」


 こんな時気の利いた事を言えればいいのだろうが、生憎僕の女性経験は、詩音以外ない。


ーーこんな時詩音ならどうやったら笑ってくれるかな……?


 詩音は、昔は泣き虫だった。そんな時は、いつも彼女の頭を撫でてやると機嫌を治してくれた。


ーーでも詩音とカナは違うし……


 性格こそ二人は、とても似ている。両者ともにいつもおおらかで、誰に対しても優しく、芯が強く、僕の事を本当に大事に思ってくれている。


ーーそんなカナだから僕は、未だに彼女の事を拒絶しきれないのかもな……


 本当に彼女に僕の事を諦めてもらおうと思うのならば、この場に来ること自体間違いなのだ。


 それをわかっているにも関わらず僕は、カナを探して、見つけて、今この場に立っている。


 その選択がいずれ自分の首を絞めるということが、わかっていながら僕は、それでもカナを放っては、置けなかった。


 僕を昔救ってくれたことに関する感謝からか? 日ごろに彼女にお世話になっているからか? 彼女が仲間だから? そのいずれも違う。僕が彼女の事をこうして見捨てられないのは、僕が彼女に惹かれつつあるから……いや、既に惹かれ、魅せられているというのが正しい。


ーーでもそれを彼女本人に言うわけには、いかない。言えば詩音が悲しむ


 詩音にその様な事を言えば、きっと彼女は自分を捨てられたと思い、大いに悲しみだろう。


 僕はそんな彼女を望まない。だからと言ってカナをこのまま飼い殺しの様な前にするのは、僕もカナも幸せになれない。


-ー学園ハーレム系ラブコメの主人公君の心境もこのような物なのだろうか……?


 彼らの偽物の物語なのは、わかっている。でも何となくそう思ってしまったのだ。


ーー例え偽物で、誰かに作られ、生み出されたキャラだとしても彼らには、心がある


 彼らだだって、悩みに、悩みぬいて、苦しみ、それこそ血反吐を吐きそうな思いで、最後自分の隣にいるべき人を選んでいる。


 僕はそれを素直に凄いと思うし、その心意気を素直に賞賛したいし、それがまがい物だとは、思えない。


 例え世間一般では、主人公が選らだ答えに納得いかなかったのだとしても、彼らは、彼らなりに悩んで、苦しんで、選んでいるのだ。


 それを誰かに避難されるような筋合いはない。だって彼らは、物語の中で、生き、人の心の中で生き続けているのだから。


「カナ。君は、僕の事を命に代えても守ると言ったよな?」


 カナから返事はないが、その瞳は僕の事を真直ぐと捉えていた。


「実は、あの時君が言った言葉、僕は、愛が重いと思ったよ。だってそうだろう? 普通自分の命を懸けてまで、恋人でもない相手を守るというだなんて異常だ」

「風音さんは……迷惑……だったんですか……?」


 カナは、開口一番僕にそう尋ねてきた。


「ああ。迷惑だよ。僕には、愛する妻も子もいる。だから君とことはできない」

「…………………………そうですか」


 カナはそう言ってまた口を噤んでしまう。


 もしここで僕が何も言わなければ彼女は、僕の事を諦めてくれるのかもしれない。しれないが、今のあまりに弱弱しく、悲し気な姿のカナを見ていると僕の心は、無性に腹が立って、哀しみが溢れてきて、その二つの強い感情がぶつかり合ってグチャグチャになる。


ーーああ、もう‼ なんなんだこの気持ちは‼ 


 僕は、その不快感に頭をかきむしる。


「ああ、もう‼ そんな顔をするなよ‼」

「か、風音さん……?」

「僕は、確かに君に思われることを迷惑だとさっき言った‼ でもそれと同時にんだよ‼」


 本来ならばその様な言葉を言うつもりは、なかった。でも胸の内からあふれ出るこの思いを僕は、もう抑えられそうになかった。


「あそこまで一途に思われれば、誰だって気持ちが揺れる。しかも相手は、カナみたいな美人なんだぞ? これが嬉しくないわけないだろう‼」

「え、ええと……あの……その……」


 カナの顔が真っ赤に染まり、嬉しさと羞恥が入り混じったような顔をしていた。


「僕は、カナには、いつも笑っていて欲しいんだよ‼ その誰よりも暖かい、皆を照らし、導いてくれるそんな太陽の様な笑顔の持ち主のカナが、僕は堪らなく、なんだよ‼」


ーー言ってしまった……これで僕は最低男確定だ……


 自身のやっている行いが最低なのは、わかっている。でも仕方がなかった。今の悲しそうなカナの姿を見るのは、僕には耐えられなかった。


 いつものようにあの笑顔で、僕の事を癒してくれるあの笑顔で、また笑って欲しかった。


「わ、私も‼ 好きです‼ 風音さんの事が‼ 誰よりも‼ そこれこそ世界で一番あなたの事が好きです‼」


 カナがいきなりそう告白してくる。


 あまりのストレートで、ド直球なカナの告白は、僕の心臓を射貫く。


ーーでもその答えに対する答えは、ずっと決まっている


「カナの気持ちは嬉しい。でも……」


 その時僕の唇に柔らかな感触がした。


「ん……」


 その感触の正体は、カナの唇だった。

 

 カナの唇は、詩音の物とはまた違った柔らかさで、僕の心をゆっくりと溶かそうとしてくる。


 その出来事は一瞬の事のはずなのだが、僕にはまるで時が止まったように長く、とても長く感じたが、物事にはいずれ終わりの時がやってくる。


 カナは僕から離れるとそれこそ僕が、望んでいた、大好きな、あの笑顔を浮かべていた。


「分かっていますよ。風音さんの気持ちは……」

「カナ……」

「そんな悲しそうな眼をしないでくださいよ。それに私風音さんの事諦める気なんてさらさらないですし、何ならこれからはもっと、もっと誘惑していくので、覚悟してくださいね……?」


 女性と言うものは、僕が思い描いていたのよりも遥かにたくまし存在の様で、少なくとも僕の心よりは、遥かに強そうだ。


「それでなのですが、今日の夜。夜這いしてもいいですか?」

「カナ!?」


 カナらしからぬそのもの言いに僕は、驚きのあまり目丸くする。


「そう驚かなくてもいいじゃないですか。人間誰しも性欲は、あるんですよ?」

「いや、それは、そうだけれど……カナってそんなキャラだったけ?」

「そうですよ? 私の脳内は、いつもピンク色で、エロエロです。その点では女も男も変わりないですね」


 そう言われると何も言い返せなくなる。そもそも男と女で、そう言った考えに違いがあるという思い込み自体間違いなのだ。


 男に性欲があるのと同様に女にだって性欲はあるし、女に性欲はないという考え事態可笑しなことだ。


「それにしたっても少し遠慮を……」

「しませんよ? だって風音さん私の事好きって言ってくれたじゃないですか」

「それは……そうだけれど……」


 カナの言い分に間違いはない。確かに僕は、カナの事を好きだといった。でもそれは断じてloveではなく、likeの感情としての好きという意味だ。


 その事に伝えたいが、この世界でうまくそれを表現できる言葉が、思いつかない。


「私は、今まで風音さんが私の事を好きだとは思っていて、遠慮していたのですが、両思いなら話は別です。だって互いに思いあっているんですから。アタックしても問題ないですよね‼」

「いやいや。僕には、妻も子もいるって……」

「大丈夫です。私別に風音さんと結婚しようとは、思っていませんから」

「は……?」


 本格的にカナの言っていることが、わからなくなってきた。


「私は、風音さんが私の事を愛してくれているのならばそれだけで満足なのです。その過程で子供なんて出来たらベストですが……まあそこまでは望みません」

「そ、それはつまるところカナは、僕と体だけの関係でいいと……?」

「いいえ。違います。私が欲しいのは、風音さんの愛です」


ーーい、意味が分からない


 僕の脳内は、この時既にパンク寸前で、早くも先程言った自分の言葉に後悔し始めていた。


 そんな僕が唯一理解していたことは、カナの愛は、やはりという事だけだった。

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