氷姫の恋
Yosyan
私は氷姫
「おはよう由紀恵さん」
声をかけたのは私の保護者。なにか持って回った言い方だけど実父母ではなく伯母、より正確には実父の兄の奥さん。実父は実母と仲が良かったって話だけど、ウチが覚えてる実父に良い思い出は何一つない。
実母はウチが四歳の時に妊娠中に急死した。その二年後に実父は再婚した。あれは小学校に上がる前だったはずだけど、その前から家に我が物顔で出入りしていた女だった。実父は、
「今日から新しいお母さんだ」
てな紹介だったけど、折り合いは最悪だった。ハッキリ言わなくても嫌な女。向うもそうだったらしくて、間もなく継子イジメのフルコース。顔を合わせれば嫌味の洪水、食事中も、
「無駄飯食い」
この程度は優しいぐらいだった。そのうえ実父も継母にベッタリ。二人がかりで邪魔者扱い。とにかくなにか喋れば嫌味の洪水だったので、家では極力何も話さないようにした。話だけでなく表情も変えなかった。これは学校に行っても同じ。まだ小学一年生のウチに家と学校の使い分けなど出来るはずもなく、ニコリともしない無表情が日常になった。
友だちなど出来ようもなく、イジメのターゲットになりそうだったが、ウチには武器があった。理由はわからないんだが、ウチが睨むと誰もが目の前からいなくなる。これはクラスメートだけでなく教師だってそうだし、鬼継母でさえそう。それでも手を出すのがいたけど、怪我したり、病気になって入院とかになぜかなってた。いつしか学校でも完全に敬遠され、近づく者さえいなくっていった。
転機が来たのはウチが六年生の時。実父と継母が夜逃げした。夜逃げするぐらいだから、親戚中に迷惑をかけ倒しており、事実上の絶縁状態。取り残されたウチはとりあえず警察に保護された。そこに唯一駆けつけて来てくれたのが伯父夫婦。
伯父夫婦にも実父は散々迷惑をかけ倒していたみたいだけど、ウチは可愛がってくれていた。もっとも継母が来てからは交流がなかったんだけど、ウチが取り残されたと聞いて来てくれたみたい、そこで言ったんだ、
「由紀恵さんはうちが引き取ります」
この辺は親戚と言うのもあったけど、伯父夫婦は子どもに恵まれなかったのもあったと思ってる。一人だけ出来たそうだけど、難病で早くに亡くなってる。ウチはその代用みたいなものかもしれない。一つだけ都合が良かったのは苗字が同じ木村だったことぐらい。
伯父夫婦はウチを見て驚いてた。話しかけても、何をしても完全な無表情。ウチも伯父夫婦と言いながら小学校に入ってから会ってないので、ウチをイジメる相手が変わったぐらいにしか思ってなかった。でも伯父夫婦は真剣だった。ウチを元に戻すのを目標としたと思ってる。
でも小学六年間に身についてしまった習慣がすぐに変わる訳もなく、中学に入っても無表情のままだった。無表情は単に笑わないとか、喜ばないだけじゃなく、怒りや、不機嫌さえ出ないもの。会話だって必要最低限。一言も口を利かない日なんて珍しくも何もなかった。そんなウチに付いたあだ名が、
『氷姫』
そうそう中学は伯父夫婦に引き取られた関係で変わったというか、小学校時代とは縁のないところになってた。ある種の転入生だったんだけど、そんな性格じゃ、またもやイジメのターゲットになり、これまた睨みつけて追っ払っていた。それでも手を出した奴がたどる末路も同じ。一年もすれば誰も手を出さなくなった。
伯父は高校教師だった。学校では謹厳実直な強面の教育者だと聞いたことがあるが、家では大げさなぐらい笑ったり、喜んだりしてた。伯母も一緒になってそうしてた。そして口癖のように、
「由紀恵さんが笑ったり、喜んだり出来ない分は伯父さん夫婦が代わりにやってあげる」
中学も三年になり、新たな転入生があった。こいつが執拗にウチにからんできた。睨んで追っ払っても絡んでくる。この時にウチの心が久しぶりに動いた。
『鬱陶しい』
そう思いながら睨みつけたら、そいつは腰が抜け失禁までした。このことは、すぐに伯父夫婦に連絡された。というのも、ウチは中学に入ってからも札付きの問題児扱いだった。問題児といっても暴れたり、不良行為をする訳ではないが、とにかく無表情で誰とも打ち解けるどころか、話もしないから。
そんな入学以来、完全に無表情だったウチが不機嫌そうな顔をしたのは、担任教師にとっても、伯父夫婦にとっても大事件扱いになった。家へ帰るとなぜか赤飯と尾頭付きで、伯父夫婦は涙を流して喜んでいた。
「由紀恵さんに表情が出るなんて、これほど目出度いことはない」
中学三年ともなれば高校進学があるんだけど、ウチには興味がなかった。それでも勉強は出来た。たいした理由ではないが、小学校の頃はテレビも見せてもらえなかったし、マンガどころか本さえ買ってもらえなかった。身の回りにある文字が書いてあるものは教科書だけだったんで、それを読んでたら三ヶ月もしたら一行一句全部覚えてしまった。
この読めば覚えてしまう能力は、成長と共に加速し、中学の頃には一週間もあればすべての教科書を空で言えるようになった。英和辞書も、古語辞典も、広辞苑も、現代用語の基礎知識もこの調子で覚え込んでしまった。伯父は読書家だったのでかなりの蔵書があったが、三年間でほとんど覚えてしまった。
伯父は教育者だったのであれこれと本とか、参考書とか、問題集とかを買い与えてくれたが途中から、
「不要」
こう言って断った。あれぐらいなら本屋で二十分も立ち読みすれば、すべて覚えてしまうから。中学の時に高校三年までのすべての教科書も覚えてしまった。だから塾にも行っていない。これだけ知っていれば成績は良い訳で、教師も伯父も進学をどうするかではなく、どこに進学するかの話しか出て来なかった。
選んだのは明文館高校。理由は家から一番近いから。ただ伯父は珍しく難しい顔をした。伯父は高校教師をしてるから明文館高校を良く知っており、
「あそこの校風は特殊すぎる。由紀恵さんに合うかどうかに自信がない」
ウチは今まで自分に合ったところがそもそもないから、
「校風なんて私には無関係」
これで話は終った。明文館はこの地域の公立高校の一番校。公立のと付けなくても、そもそも私立がないから一番校で、旧制中学以来の伝統校。受験の時に行ったけど、なぜか六階建てである以外はさして特色がありそうな学校とは思えんかった。
もちろん合格したけど、伯父夫婦はまたもや異様なぐらい喜んでくれた。制服はセーラー服でエンジのリボン。これが出来上がった時には無理やり着せられて、
「由紀恵さんは由紀子さん譲りの美人や」
「ホント、由紀子さんが生きてられたら、どんなに喜ばれたことか」
由紀子は亡くなった実母の名前。伯父夫婦の家にも何枚か写真が残っており見たことはあるけど、似てると言えば似てるかもしれない。でも『美人』にはなんの興味もなかった。男どころか人間にも社会にも興味がなかったから。
小学校の頃から、ずっと思ってたのはウチってつくづく不要な人間だと。誰からも邪魔者にされて、居場所と言うものがなかった。伯父夫婦はウチがいても嫌がらないようだけど、別にいなくても構わなかったはず。なんのために自分が存在しているのかわからなかった。
それでも伯父夫婦がウチに親身になっているのだけはわかる。伯父夫婦はウチの進学を楽しみにしているのもわかる。だから高校には行く。ただ高校に行ったところで、ウチが変わるはずもなく、またイジメのターゲットにされ、これを睨んで追っ払い、ひたすら時間だけ過ごす場所なるだけ。またあれをやりに行くだけ。何か意味があるのだろうか。
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