第33話 動く人類の国
そして彰吾が魔物牧場計画を進めている頃、世界各地の人間の国では災厄の神託を受けた神官達を中心に奔走していた。
ただ慌ただしいのは王侯貴族や各神殿の高位神官、更に騎士団長や軍団長と言う武力の最高指揮官だけだった。なにせ一般庶民に目前に迫っている脅威を伝えても説明する方法がないのだ。
安心させる根拠もない、災厄が本当に来るという根拠もない。
こんな状況では発表しても余計に混乱を誘発するだけで余計な手間が増えてしまうと考えられ、各国の情報共有は密にしながらも外に漏らすことなく極秘に対策するための策が練られていた。
そんな人間種の一つの国『バースルト帝国』で極秘の会議が開かれていた。
決して広くはない円卓の会議室には国の政治を仕切る宰相、軍の全権を持つ将軍、他国との連携を管理する外務大臣、帝国内の教会の最高責任者である枢機卿、そして一番の豪華な上座の席に座る者こそが皇帝『オルスタード・バースルト』であった。
「それで将軍、軍備増強はどの程度になっている?」
オルスタード皇帝は無駄な話は一切することなく将軍に命じていた軍備増強の現状を確認する。
それに答えたのは鍛えられた体を赤い軍服で身を包んだ男が立ち上がって答えた。
「全体の状況としましては最終目標の2割も進んでいないのが現状です」
「…なに?当初の予定よりもだいぶ遅れているようだが、理由はわかっているのか?」
「はっ!兵の追加登用自体は可能なのですが、武具が不足しているため人だけを雇うわけにもいかず遅れている次第でございます…」
歴戦の将軍も帝国を収めるオルスタード皇帝が放つ圧に少し体を強張らせながらも簡潔に答える。実際問題として物資の不足は深刻となっていた。
その事は各所から報告も上がっていてオルスタード皇帝も把握はしていた。
だが納得はできていない事もあり不思議そうな表情を浮かべる。
「武器などの物資の不足は把握しているが、そこまで深刻な規模ではなかったはずだ。なぜそこまで大きく影響が出ている?」
各国が同時に軍備増強に出れば装備品などが不足し始める事は当初から予想ができていた事だ。それゆえに各国で話し合われて増強する量は一定になるように決められ、破れば教会を含めた周辺国すべてから問題が起きる前に滅ぼされることになっている。
そうした事情もあって致命的なことにはならないようにしていたはずなのだ。
故の質問だったが将軍も事前の予測は知っているだけに、顔に少し汗を浮かべ緊張した様子で慎重に答える。
「当初は問題なく予定通りに進んでいましたが、元々の武器入手予定先が急に拒否してきたため…大幅に遅れることに」
「何故そんなことになっている。理由は判明しているのか?」
「それは…」
なにか都合の悪い事でもあるのか将軍は言い淀む。
あからさまに様子の変わった将軍に会議室の者達の視線が集まるが、一向に応えようとせずに何かを考えるように視線をさまよわせる。
そんないつまでも話そうとしない将軍にオルスタード皇帝の我慢の限界を迎えた。
「何とか答えろ⁉武器の取引が行えなくなった理由はなんだ⁉」
この問題は国どころか、人類の脅威と言う神託が下るほどの事なのだ。
そんな相手への備えに不備が出てはいけないし、準備が停滞しているのは許容できないのだ。ゆえに焦りと怒りが合わさって普段なら怒鳴ることのないオルスタード皇帝も平静を保てなかった。
必死とも言える様相で問いただしてくるオルスタード皇帝に将軍は怯えたように顔を引きつらせる。
それでも、こんな状況に至っては将軍も黙っていることなどできるはずもない。
「最初に担当していた者が怪我をしたため臨時の者を向かわせたのですが、その者が取引先が『亜人』だと知り侮蔑の言葉を長々と発し、最後には『人間の俺達が使ってやるのだから無料で差し出せばいいのだ』と言ってしまったようで…」
「それで相手が激怒して取引を停止されたという事か?」
「はい……」
「「「はぁ…」」」
説明を聞き終えて会議室に居た全員が溜息を漏らす。
確かにバースルト帝国も人間至上主義ではあるが亜人の国とも取引を行うし、亜人も優秀な者は雇用する比較的に差別意識は薄い国でもあった。
ゆえに今回の大事を前に優秀な武具を手に入れるためドワーフの国に頼み込んで武具を融通してもらったのだ。
それを一介の買い付け係が全てを台無しにしてしまった。
これを呆れずにいられるはずもない。
「その者はどうした?」
だがオルスタード皇帝だけは、どうしても聞かないわけにはいかない。今回の問題の原因となった人物の処遇だけは甘くするわけにはいかない。
国家の決めた取引に決定権を持っているわけでもない者が、しかも一個人の感情に任せて発言して契約を解消してしまう。なんて前例を許すことは今後の事を考えても厳罰に処する必要があるのだ。
そして聞かれることをわかっていた将軍は息を整えて真剣な表情で答えた。
「すでに拘束して牢に幽閉しております」
「ならば会議後に連れてこい。もし貴族の子弟なら家族もだ」
「家族も…ですか」
「そうだ。後々なにか言われても困る。ならば事前に伝えておく」
「畏まりました」
関係のない家族まで巻き込むことに将軍は拒否感を否めなかった。
しかしオルスタード皇帝の話を聞き納得はできなくとも、必要性を理解できたので頷いて答えた。
ひとまず処罰する事は決まったが、一番の問題は今後の対応だ。
「さて、責任問題はいいとして…これからの話をしよう。外務大臣、早急にドワーフ達へ謝罪の文と極上の酒を送れ。まずは謝意を伝えねば先に進まぬ」
「かしこまりました」
「期限は一か月、それまでに改善できなければ…奪う」
「「「「っ!」」」」
オルスタード皇帝の最後の言葉によって会議室にいた者達は全員が動きを止めて驚く。帝国の今の『亜人融和』と言う方針を変えずに進めているのは、反対意見を言ってくる貴族をことごとく黙らせてきたオルスタード皇帝の手腕が理由の一つだ。
その貴族をも排除して進めてきた政策を本人が捨てる発言、驚かないではいられなかった。
「ふっ…驚くのも無理はないがな。事態はそれほどに深刻なのだよ」
周囲の反応に少し自虐的な笑みを浮かべながらもオルスタード皇帝の真剣な雰囲気を崩す事はなかった。
その様子を見て枢機卿を除く会議の面々は事態の深刻さを再認識する。
だが1人だけ枢機卿だけは何を言うつもりなのかを理解して、大量の冷や汗を浮かべていた。
「枢機卿、お主は知っているだろうがこの場に居る者は余が信用する者達だ真実を伝える。いや、伝えておかねば同じような問題が再発する可能性があるからな」
「…そういう事ならば、私に否はございません」
どこまでも真剣に話すオルスタード皇帝の言葉に枢機卿は頷いて答えるしかなかった。
そんな2人のやり取りに他の者達は状況を把握できていないようだったが、自分達が知らない重大事があるのだ…と理解して、説明されるのを待った。
「これから話すことは一切この部屋の外に漏らすことを禁ずる。もし漏らせば、お前達と言えど極刑だと思え」
「「「畏まりました‼」」」
「今から3~4日ほど前、教皇に再度の神託が下った。内容は『我がいとし子らよ。私は長き眠りにつく、最後の力で救いの力を満月の時に与える…どうか生き残って…欲しい』それを最後に女神の気配は完全に消えてしまったそうだ」
「「「!?」」」
そのオルスタード皇帝の話を聞いて3人は大なり小なり違いはあってもショックを受けていた。この世界の人間は例外なく女神の信者で、信仰の深さには違いはあっても『女神が消えてしまった』と言う事実に衝撃を受ける事に変わりはない。
別に敬虔な信者と言うわけではなくとも3人も信者であり、ちゃんと女神の事は信仰していた。
「ショックを受けるのは分かるが落ち着け。もう私が焦っている理由はわかっただろう?」
「「「はい」」」
全員が瞬時に真剣な表情で頷いて答えた。
『女神の消失』そんなことが世間に知れ渡れば混乱どころではない。最悪の場合、暴動にまで発展して災厄に備えるどころではなくなってしまう。
むしろ暴動で災厄の前に国が崩壊する可能性すらあった。
だからこそ秘匿され、なにより穏和な性格のオルスタード皇帝が過激な発言をしたのだ。その事を全員が正確に理解できたために会議室は先ほどまで以上に張り詰めた空気が支配していた。
「事態の深刻さは伝わっただろう。ゆえに、もう融和などと悠長に言っている段階ではないのだ」
改めてオルスタード皇帝は皆に伝えるように、それでいて自身に言い聞かせるように現状を簡潔に口にした。
いままでの自分の考えを放棄するしかない状況まで追い込まれている。
そんなオルスタード皇帝の言葉を否定できる者などいなかった。
「畏まりました。では、お言葉の通りに…」
「大きく負担をかける事になるが、頼む」
「「「はっ!」」」
宰相と将軍に外務大臣の3人は一切の躊躇なく受け入れる。
1人配下と言うわけではなく、帝国内の協会代表として会議に参加していた枢機卿は少し考えゆっくりと口を開いた。
「私もできる限りの支援をいたします。教皇様からも『人類生存のための協力は惜しむな』と全教会に指示が出ておりますので…」
「助かる…」
少し複雑そうな表情を浮かべながらもオルスタード皇帝はお礼を言った。
元々の方針の違いで教会関係は正直に言ってしまえば上手くいっていなかった。しかし現状ではお互いに好き嫌いを口にできる段階ではなかった。
ゆえにオルスタード皇帝は複雑ながら教会からの支援を受け入れる決断をしたし、教会側も従わない者を助けるのは心情的には抵抗はあったが…『人類の為』と言う大きな目的のためには関係のない事だった。
ちょっとした大人の事情も絡みながらも会議は進み、日暮れごろには終わった。
そうして会議の次の日にはドワーフの国へ外交使節団が出立。
時を同じくして、隠れるようにして兵士達が幾つかの隊に分かれて皇都から出立したのだった。
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