破章
第15話 READ(レッド)
「世界の理に反すると排除されてしまうのはなぜか。それは正常に回る世界にとって不純物、不良品、放っておくと連鎖的に世界のバランスを崩してしまうからだ。バランスの崩れた世界はいずれ崩壊する。だから世界はそれを防ぐ為に排除する。それは自動的に不良品を選別して除去する装置、はたまた不純物をろ過して体外に排出する循環器のように」
コートの男は誰に言うでもなく、歩きながら身振り手振りを交えて演説する。
「だから世界は穴をあけ、ゴミを排水溝に吸い込むように不純物を狭間に落とす。そしてそんな者は初めから居なかったように事実を書き換える。これが世界の直し方だ。しかしウイルスにも抗体ができるように、そう簡単にはいかない事例も稀に出てくる。そう、狭間の能力者だ。彼らは蛆虫のように排水溝から自力で這い出てくる。そこで世界は別の手段を取らざるを得ない。強制排除だ。害虫は最後には直接叩き潰すしかない。だが世界といえど理に反して生物を殺す事は出来ない。ならどうするか? 事故だ。偶然の事故で死んでくれればいい。それが代償と呼ばれる矯正力だ」
分かりやすいには違いないが、もう少し他の
「だが能力に目覚めても、使わなければ排除される事はない。世界には思惑も感情も無いからな。疑わしいから、危ういから罰するというような意思はないんだ。ただ使うから排除される。だが人間、力があれば使ってみたくなるのが心情だ。なあ、利賀躍斗くん?」
躍斗は顔を上げる。
まだ名乗ってはいないはずだ。
この得体のしれない男は何者なのか? それを確かめる為に着いてきたのだが、狭間の能力を持っている事は間違いない。
しかも一応、躍斗と拓馬を助けてくれたのだ。
しかし意図して助けたのか、たまたまそうなっただけなのかは分からない。
気を失っていた拓馬を介抱して家に帰させ、躍斗は男の正体を掴むために同行していたのだが、男はどこへ行くでもなくふらふらしているだけだ。
「いい警戒心だ。名乗ってもいないのに名前を言い当てられる。この男はどんな能力を持っているのか? 世界の理にどのくらい近づいたのか?」
男はゆっくりと振り向き。
「そしてどのくらい危険なのか?」
躍斗は唾を飲み込む。
「そういう時は一度に考えず、一つずつ解決していくといい。まずどうして名前が分かったのか? 前から知っていたのか? ずっと観察していたのか? 頭の中を読んだのか? 世界から情報を抜き出したのか?」
男は指揮棒のように指を振りながら問う。
「その答えは……、学生証を見た」
男は手の平の手帳を差し出す。
躍斗は学生証を手に取り、自分のポケットに手を入れ、確かに自分の物である事を確認する。
いつの間に取ったのか、スリの才能なのか?
しかし先の神無月とのやり取りを見る限り、
「アンタ。……物体を通り抜けられるのか?」
「ご明察! さすがだ利賀躍斗くん」
物体を通り抜ける。
物体同士が衝突するのは物体に当たり判定があるからだ。炎など形を持っていても物質としての当たりが無いものも存在する。それと同じように当たりの属性を世界に誤認させる事で通り抜ける。
躍斗も狭間の世界でやった事がある。
だが現実世界は理が厳しいと言うか複雑で、何度試してみても出来なかった。それをこの男はやってのけるというのか。
正直、壁を通り抜けられるのなら色々とやってみたい事はある。
「物質を通り抜けられるとこの上なく便利だぞ。特に金銭に関する事はな」
こいつは……、銀行の金庫室に忍び込んで金を盗んでいるのか? と躍斗は表情を硬くする。
世界の理以前に社会の理に反する事だ。狭間でなくとも刑務所という隔絶された世界に閉じ込められる。
もっとも躍斗もそれほど社会の恩恵を受けているとは思っていないが、銀行の金は善良な市民の働いて得た物も含まれている。
男がすっと手を差し出すと、その手には千円札が乗っていた。
「見ろ。財布を取り出さずに札だけを抜き出す事が出来る。会計の時にこの上なく便利だろう?」
躍斗はどう返したものかと逡巡する。
「小銭を財布にしまう時にも重宝する。財布に小銭をしまう時にばら撒いてしまった経験はないか?」
経験はある。たまに小銭を返す時に札の上に乗せる店員がいて、そういう時はまず片手に財布を持っているから、小銭を財布にしまう時に落としてしまう事がある。
「……ってそうじゃなくて。アンタ、銀行から金を持ち出したりしてないのか?」
男は立ち止まり、強張った顔で振り向く。
しばらくそのまま固まっていたが、
「そうか……、そんな手があったか」
男は両手を見ながらふらふらと歩き出す。
「なんて事だ。僕のこの力は……、その為にあったんだ。なぜ今まで気が付かなかったんだ。思いのままじゃないか」
「いや……、今のは……、忘れてくれ」
もう遅いかもしれないが、と思うもそう言うしかない。
「銀行の金庫室に入って札を持ち出し、最寄りのATMに移動しておけば、引き出す時に札が足りなくなるという事態を防げるな」
躍斗は一瞬考える。
同じ銀行なら、まあ迷惑かもしれないが損にはならない。そもそもATMに札が尽きるなんて事があるんだろうか。
突っ込みたい所はたくさんあったものの、盗みをやる気がないのならばあまり深く追及しない方がいいのだろうと黙っておいた。
「良い事を教えてくれた代わりに僕の名前を教えてやろう。レッドだ」
レッド? 外国人には見えないが……、と真に受けていいのかどうか考える。
「R、E、A、D。リード、レッド、レッド、のレッドだ」
『読む』の英語の過去形という事らしいが、それが名前? とやはり怪訝な顔になる。
「君は僕の正体を知りたいんだろう? 奇遇じゃないか、実は僕もなんだ。僕も自分が何者なのか分からない」
レッドは躍斗と同じく狭間に落ちた。
だがあまりに長くいた為か記憶が曖昧になっている。出てくる直前の事は覚えているが、落ちる前やその後しばらくの事はよく覚えていない。
だが名前は名乗っていたものを憶えていた。本名かどうかは本人にも分からないと言う。
その時、どこからか野球のボールが飛んできて、レッドの頭を通過する。
ボールは固い音を立てて、壁を跳ねていった。さっき力を使った反動か。
物質を通り抜けられるのなら、かなり危険から身を守れるのかもしれないが、結局それを力で避けてしまったら……、
ビシャッとレッドの額に白い物が張り付く。
どうやら鳥の糞が直撃したらしい。
「僕は狭間から戻って以来、力の行使とその反動についての法則性を研究している」
レッドはハンカチで額を拭く。
だがハンカチもポケットからではなく、突然取り出して、そしてそのまま体の中にしまった。
カン! とレッドの頭に缶がぶつかる。
近所の窓からのポイ捨てらしい。
「どの程度の力を使えば、どのくらいの報復があるのか? 時間なのか? 強さなのか? 人目なのか? それとも種類? なにを持って、どのくらいの強さの災難が降りかかるのか? その法則性が分かれば力の使い方が分かってくると思ってね」
それは確かにそうだ。躍斗も興味はある。
いざという時に、使ってよいかどうかを判断するのにも役立つし、どんな災難が降りかかるのか予測する事もできるかもしれない。
「僕は何度も色々な状況で力を使って試した。そして結論付けた」
躍斗は身を乗り出すようにして次の言葉を待つ。
「無関係だ!」
レッドは指を立てて言う。
「力の行使と降りかかる災厄に関連性はない。力を使った時、たまたま近くで発生する災厄が自分に降りかかる。言ってしまえば小さな力で死ぬ事もあれば、大きな力を使っても鳥の糞で済む事もある」
躍斗は少し考え込む。
「なあ、あの連中……、あの四人組も、たまたま狭間に堕ちていないだけなのか?」
真遊海は躍斗の力に目をつけ、自分の手駒に加えようとした。
拓馬も同じだ。特殊な力を支配しようとするのは水無月や神無月だけでなく、どこも同じだろう。
大国は大昔から超能力を軍事目的で研究してきた。
あの四人もその内の一つなのだろう。
従属しているのか、金で雇われているのか、どちらにせよ神無月はその類いの手駒を持っているのだ。
分からないのはその力のメカニズムだ。理屈では可能であっても、はたして普通の人間にあんな事ができるのだろうか。
「分かってると思うが狭間の力ではないよ。あの四人は普通の人間。ただし感受性の強すぎる四つ子だ」
四つ子。それで息がピッタリだったのだろうが、それだけであんな現象を起こせるのか? と躍斗は少し納得いかない顔をする。
「奴ら本を持っていただろう。あれが狭間のアイテムだ」
狭間のアイテム? と眉を上げる。
「世界には理があり、僕らはそれに違反する者だが、世界にも緊急手段というか安全装置のような物がある。主には世界の歪みを修正する為の物と思われるが、所詮道具、使う人間によっては壊す事もある」
世界にはいくつか確認されている。古代の人間が作ったとされるオーパーツ。
いつ。誰が作ったのか分かっていない遺物。
その中には使い方が分かっていないだけの狭間のアイテムが混ざっているのだ。四人が持っていたのはそのコピー、イミテーションで世界の理を記した説明書のような物。
狭間のアイテムのような力はないが、四人息を合わせる事で近い事が出来るのだとレッドは言う。
「僕はそれらを総称してアーティファクトと呼んでいる」
「それを使う人間がいるって事か?」
「人間に使わせる為に用意された物とは思えないね。あれは世界の力の象徴。世界が矯正力を働かせる為に必要な事象。つまり裏コード。通常使われる事のない裏技だよ」
それは躍斗もよく使っている言葉。世界の管理者権限。俗に言うチートだ。
「じゃあ、僕達能力者は、たまたまその裏技を見つけてしまった者達って事か」
「ご明察。裏技を入れるリスク、デメリットと言う所だろう。僕にはなぜ世界がそんなリスクを冒しているのか皆目見当もつかないがね」
「それはゲームと同じだと思う。デバッグコード無しにゲームは作れないからな」
それは躍斗もゲームで見た事がある。
不登校だった頃、躍斗はネットゲームばかりやっていた。
「なるほど。それは僕も思いつかなかった。やはり他人の考察というのは参考になる。これからもちょくちょく意見を聞こう」
狭間の能力者や、人間がアイテムを見つけてしまう事は、いわば世界にとってのバグのようなものなのだな、と尚も独り言のようなものを続けるレッドに、躍斗は気になっていた疑問をぶつける。
「なんで、僕達を助けたんだ?」
レッドは振り返ってメガネを上げる。
「たまたまだよ。僕も能力者を見たのは初めてでね。興味があった」
レッドはショーウィンドウに手を付く。
ガラスに映った対照的な像と互いに手を合わせる絵になる。
「味方かどうかという質問なら、その答えにはまだ早い」
躍斗は表情を硬くするが、レッドはまたすぐに会う事になるよ、と言い残すとその姿が消えた。
いや、ガラスに映っているレッドはそのままだ。本体だけが消えた。……という事は。
「まさか……、狭間に!?」
思わず声に出してしまう。
確かに理論的には可能だ。というより狭間に行く方が簡単なはずだ。戻る方法が無いから落ちたくないだけだ。
すんなりと狭間に入るという事は、この男には戻る手段があるという事だ。
驚愕する躍斗にレッドは「バイバイ」というように手を振るとそのまま歩き出す。
後を追おうと躍斗も動いたが、ガラスに映る範囲から出てしまうとそれ以上追う事は出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます