第13話 恫喝

 国語教師が退屈な授業をする中、躍斗はズボンのポケットに振動を感じた。

 真遊海にもう用はないはずだが、あの娘なら用がなくてもメールしてきそうだ。

 でもよく考えればこの携帯は真遊海の所有。

 真遊海と縁を切るならこの携帯も返さなくてはならない。

 なんだかんだで便利なので、今は少し気に入っている。このまま返してしまうのも惜しい気がした。

 まあ自分の携帯くらい自分で買えという話なので、正式に買い取って名義を変更しておこうかとも思う。

 真遊海は金はいらないと言うだろうが、物だけ貰って「はい、さよなら」というのも後ろめたい。

 かと言って突き返すのも何だか気が引ける。

 どうしたものかと思うも、メールの内容も気になる。そっとポケットに手を伸ばし机の下に隠すようにして中身を確認する。

 だが送り主は予想とは違っていた。

 躍斗は気配を断ち、そっと席を立つ。

 気配を消してからいなくなれば、誰もいなくなった事に気が付かない。

 今更欠席扱いになる事など気にしないが、余計な騒ぎになっても面倒だ。

 躍斗は平然と教室の外へ出る。

 空になった席の斜め後ろで、美空は顔を上げて、少し周りを見回したが、すぐにノートに意識を戻した。


 ◇


 メールを送ってきたのは真遊海でなければ、拓馬しかいない。

 キュオはまだこの携帯が躍斗に渡った事を知らないはずだ。キュオには真遊海の新しい連絡先が伝わっている事と思う。

 そう言えばキュオはどのくらい真遊海と付き合いがあるのだろう。

 特に会いに行くような素振りはないので、たまにメールのやり取りをするくらいだと思うが。

 などと考えながら躍斗はメールを再度確認する。

 送られてきたのは写真だけだ。本文は無い。

 しかしその写真は、何かの意図をもって撮られたようには見えなかった。

 持っていたらたまたまカメラアプリになって誤写してしまったような。

 背景はブレ、角度も斜め、何が被写体なのかも分からない。

 だが端に見切れている人物。一部しか写っていないが、そのキザ目な白い服には見覚えがある。

 桐谷健二。

 あいつが拓馬の送ってきた写真に写っている。しかも本文も何もない。急いで写真だけ送ってきたという事は……。

 躍斗は意識を集中する。

 拓馬が水無月に攫われたのなら、以前に崩壊した宇宙の二の舞になる可能性が高い。

 力を使わないと約束しているが、連中なら使わせる為にどんな事でもするに違いない。

 躍斗は走りながら空間認識の範囲を広げる。

 拓馬にもしもの事があって、それが原因で世界が崩壊するような事があったら、それは自分にも責任がある。

 前回は運よく別の宇宙へ逃れる事ができたが、そう何度も出来るとは思えない。

 何としても桐谷達を止めなくては。

 写真に写っていた場所はピンボケだが拓馬と会った公園に違いない。

「世界の危機を止める為なんだ。協力しろよな、世界」

 目を閉じて公園の景色を思い浮かべ、自分がそこにいる事を強くイメージする。

 自身の座標を、公園の座標で上書き――と念じると体がふわっと浮いた感覚が襲う。

 やった! と目を開けると足元に地面が無かった。

 目を閉じて走った為に、階段から飛び出しただけのようだ。

 時間を遅めて無駄なく着地、そのまま校舎の外へ出る。

 そんな簡単にはいかないか、と改めて世界は味方ではない事を思い知る。

 躍斗は校庭を走りながら時間遅延を発動。体が水中にいるように重くなるのを感じた。

 早く動けないと言っても、重くなる力に抵抗すれば若干普通より早く動く事は出来る。

 フルに時間を遅くすれば世界のトップランナーに近い速さになるかもしれないが、それは一瞬の事だ。

 数十秒間続けたければ「クラスで一番速い人」になれる程度だろう。それでも躍斗は少しでも早く移動する為に時間を遅延させた。

 大通りに出て、姿を消したまま走るトラックの荷台に取りつく。時間遅延を使いすぎた為に思ったより遅くならずヒヤッとしたが、何とか振り落されずに済んだ。

 このまま現場まで移動できればというのは都合がいいか、と思っているとトラックは信号にもかからずにかなり近い所まで送ってくれた。

 どちらかと運が悪い方だと思っていた躍斗は内心驚く。

 ワープはさせてくれなかったが、一応世界の危機を救いに行くと言う躍斗の意思を世界が汲んでくれたのだろうか、と思いつつ目的の公園へと走る。

 住宅街の間にあるような、砂場とボール遊びができる程度の遊具があるだけの空間。

 そこで数人の男が拓馬を取り押さえるように伸し掛かっていた。

 それを少し離れた所で白い服の青年が見据えている。

「あいたっ!」

 拓馬の口を押えていた男が悲鳴を上げる。噛みつかれたらしい。

 男は拳を握り締め、その硬い塊を拓馬の頭に振り下ろす。

「おい! 止めろ」

 躍斗は思わず声を上げた。

「アニキ!」

 拓馬は躍斗を見て安堵の声を漏らす。

「おや、少年。学校はどうした? 今日は平日のはずだが?」

 桐谷は涼しい顔でしれっと言うが、躍斗はそれに答えず、

「その子を放せ。手荒な事はしないでくれ」

「抵抗するから少々手荒くなっただけだ。大人しくついてくればそんな事はしなかったさ」

 もちろんそんな言葉を真に受けるほど躍斗は水無月を信用していない。

「アニキ……。オイラ使わなかったよ。言われた通りに……」

 拓馬は土に汚れた顔に無理矢理笑顔を張り付けて言う。その言葉に熱いものがこみ上げた。

「もう分かったろう。その子は能力者じゃない。放してくれ」

「それはこっちが判断する。今は傷を与えずに痛みだけを与える方法もあるんだ。能力者であるかどうかはすぐに分かるさ」

 躍斗の中に、怒りにも似た黒い感情が沸き起こる。

「いいのか? お嬢様の機嫌を損ねるぞ」

「それはキミがある事ない事告げ口すればだろう。僕はこの件については全てを任されてる。それにキミも黙って見ていたとあっては何も言えないだろう」

 躍斗は足に力を込めるようにして歩み寄る。

「おっと。あまり大人を舐めるもんじゃないよ。大人の世界では結果が全てなんだ」

 桐谷は内ポケットから黒い鉄の塊を取り出した。

 躍斗は足を止めるが、そのまま桐谷を真っ直ぐに見据える。

「撃てないと思ってるのか? もちろん本物だ。ただし鉛の弾ではなく、プラスチックの弾を発射する。暴動鎮圧に使うもので、当たればしばらくは動けない。撃つ事に何の躊躇もないぞ」

 躍斗は不敵に笑ってみせる。

「やっぱ三流だなアンタ。百目鬼のオッサンならもう撃ってる。撃ってから能書きを垂れるさ。別に死なないんだからな。今撃ってない時点でもう躊躇してるんだよ」

 桐谷は露骨にカチンときた顔をする。その時、躍斗の後ろにボール遊びに使う、壁に描かれた的があるのに気が付いた。

 桐谷から見れば、躍斗はその大きな的の真ん前に立っているのだ。躍斗との距離は五メートルほど、的までは十メートル。

 いつもの射撃訓練よりも遥かに狙いやすい。

 桐谷は思わず笑みを漏らし、そして引き金を引いた。

 パン! と軽い音と共に鉄の塊が弾ける。

 躍斗は悶絶して地面を転げ回る……はずだったのだが、平然とその場に立ったままだった。

 桐谷は怪訝な顔をするが、再度引き金を引く。

 爆竹を鳴らすような音と共に躍斗の袖が弾けた。

 外れた!? この距離で!?

 桐谷は信じられない、という顔で両手に持ち直し、姿勢を正して腰を落とす。

 狙いを定め、銃がブレないように細心の注意を払いながら引き金を引く。

 だが、それは全て躍斗の服をかすめて飛んだだけだった。

 空砲を間違えて装填したのではない。服や髪は確かにかすめている。

 桐谷は何が起きているのか分からずに煙の出る銃口を覗いた。

「アンタ人に向けて撃つのは初めてだろ? 拳銃っていうのはライフルと違って意外に狙うのは難しいんだ。いつもは射撃場みたいな所で練習してるんじゃないのか? こんな開けた所だと狙いは思ったより逸れるもんなんだよ。音もいつもと違ったろ? 開けた場所だと、鉄砲の音も意外に地味だったろ?」

 高校生のガキにいい様に言われ、頭に血が上った桐谷は構わずに撃ちまくる。仮に躍斗の言う通りだとしても、全弾撃って全て外れるなど、確率的にあり得ないではないか。

 だが、銃声がカチカチという虚しい音に変わっても、躍斗は平気な顔をして立ったままだった。

 桐谷は手を震わせる。

 自分は射撃成績で一、二を争うほどの腕前だぞ? それももっと遠くの的を撃った時の話だ、と納得いかないように顔を横にズラして躍斗の背後にある的の描かれた壁を確認する。

 赤い的には潰れたプラスチックの弾がガムのように張り付いていた。

「そんな……バカな」

 確かに的には当たっている。その間に立っている躍斗に当たっていなくてはおかしいはずだ。

 桐谷の様子に躍斗は眉を動かし、背後を確認する。

「ああ、弾ってのは意外に真っ直ぐ飛ばないもんなんだよ。特にプラスチックの弾だとね」

 一応フォローしてみるが、桐谷の表情は変わらない。

 躍斗は苦笑いする。

 まあいい。納得させるのは世界であって桐谷ではない、とそのまま拓馬の方へ向かって歩き出す。

 桐谷は表情を硬くしながらも、拳銃を仕舞い、躍斗に向かって武術の構えで躍りかかる。

 弾は逸れても、直接殴れば外しようがないはずだ。

 桐谷は格闘技に関してもエキスパート。躍斗が何の武術の心得もない事は肌で感じている。

 だが桐谷の研ぎ澄まされた動体視力の中、躍斗はその拳を紙一重、正に紙一枚分入る隙間を残すようにしてかわし、桐谷の額を手の平で撫でる様にして通り過ぎた。

 桐谷の体は地面を転がる。

「テコの原理だよ。小さな力でも、脳を揺らすとしばらく体が麻痺するんだ」

 それはアゴを打った時の話だろう。額を打って脳を揺らすなど聞いた事がない、と反論しようとしたが、桐谷の体は痺れた様に動かなかった。

 躍斗は拓馬を押える男二人に向かっていったが、男達は拓馬を放して後ずさった。

 この男達は桐谷よりも腕に自信がないようだ。

 拓馬は立ち上がって、躍斗のもとに走り寄り、男達にアカンベーをする。

 男達は躍斗を避けて桐谷を助け起こしに向かう。

 桐谷は一時的に脳が揺れたと桐谷自身に錯覚させただけだ。

「おい! 逃がすな。複数でかかれば捕まえられる」

 桐谷はふらつきながらも立ち上がる。

 あのくらいでは怯んでくれないらしい。

 これ以上、世界の機嫌を損ねないように立ち回るのも面倒だ。

 逃げるぞ、と拓馬の背中を押す。

「アニキ! これ乗って逃げよう」

 拓馬が停めてあるバイクに跨がる。

 こら、人の物を勝手に……、と諌めようとした所へ、背後から桐谷が叫ぶ。

「野郎! 僕のバイクを!」

 よし。そうしよう、と躍斗もバイクに跨がってハンドルにかけてあったヘルメットを投げ捨てる。

 だがよく考えればキーがない。狭間の力でエンジンをかけられるのか? と考えるも桐谷達が追いつくまでに出来るだろうか。

 逡巡していると、拓馬が背後からキーの差し込み口に手を伸ばす。

 そしてキーを持っているかのように手を回しながら、口からエンジンをかける時の音を発した。

 その音と主に車体が唸りを上げて振動する。

 力を使ったな……と拓馬を見るとバツが悪そうに照れ笑いした。

 この場合は仕方ない、とアクセルを回す。

 ちょうど追いついてきた桐谷達の手を逃れてバイクは走り出した。

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