三六、爆発

 いま、一台のトラックが高架下の交差点を左折した。

 その運転席で、厳めしい顔つきの男が、バツ印の傷が刻まれた眉をひそめた。

 一方、助手席ではツナギ姿の青年が身を震わせていた。


「いちいちビビってんじゃねぇ!」

「工場長が減速しないからッスよ!」


 理不尽に怒鳴られたツナギは、ダッシュボードにしがみつき抗議した。

 一般道であるにもかかわらず、そのスピードメーターはゆうに百キロを超えているのである。


「それより、あのカニ野郎どもだ。イカれてやがるぜ」

「いや、スピード……。まあ、同感ッスけど」


 トラックは高架線路を左手に見ながら走行する。

 間もなく、フクイ駅西口を通過するところだ。

 工場長が一瞥したのは、その手前にそびえ立つホテルの足許から立ちのぼる灰色の煙だった。


「あそこって交番ッスよね?」


 ツナギが訊ねると、はす向かいにフクイ駅前のバスロータリーが見えてきた。角でチンピラを磔にしたトリケラトプスが、頭を振っている。


「警察メガネイターを叩いてるんだろうよ。一体、どれだけいやがんだ、カニ野郎どもは!」


 工場長は唾を飛ばしながらアクセルを踏みこんだ。ふたりの背中がぐんと後ろに引かれ、メーターが勢いよく右に傾いた。百四十キロ。


「ちょっと! スピード、スピード!」

「うるせぇ! いまは緊急時だろうが!」


 工場長は聞く耳をもたない。

 速度を落とさぬままハンドルを切り、駅前大通りへと右折した。

 トラックの後続についていた車が運転を誤り、前方車両と接触した。車体がひしゃげ、爆発炎上した。

 ツナギは、その様をサイドミラー越しに見て蒼褪めた。


「かか、勘弁ッスよ! 勘弁! 後ろになに積んでんのかわかってるんッスか!」

「武器弾薬だよ! それを現地に届けるために俺たちが来たんだろうがッ!」

「その前に死んだら元も子もないッスよ! 火薬に引火したら終わりッス!」

「だったら、引火させなけりゃいいだろッ!」


 その時、工場長が急ブレーキを踏み、ツナギはしたたかダッシュボードに額を打ち付けた!


「いっで!」


 勢いダッシュボードが開いた。中から何冊もの成人誌が溢れだした。

 ツナギは、その見出しに目を奪われた。


『無機質な蠱惑さに業界騒然! 猥褻メガネイター特集!』


 雑誌をしまうフリをして、こっそり一冊を懐に忍ばせた。


「……ふむ」


 スピードの世界に酔っている工場長は、どうやら気付いていないようだった。

 ツナギはほっと胸を撫でおろした。


 そして、ふと窓外に目をやって気付いた。

 ここが県庁入口の交差点であること。

 右折すれば、たちまちゴホンジョウ橋前スクランブル交差点までたどり着いてしまうことに。

 ツナギは今更になって、戦場へ身を投じる不安に囚われた。


「ところで、なんで俺たちが直接県庁に行かなくちゃいけないんッスか? 運ちゃんに任せとけばよかったんじゃ」

「それじゃ余計な手間と時間がかかるだろ」


 てっきりドヤされるかと覚悟していたツナギは、返ってきた声音の意外な静けさに虚を衝かれる思いがした。工場長の横顔は、獰猛なスリルジャンキーのそれから、フクイの未来を見据えるひとりの大人の顔つきへと変わっていた。


「それにな、これは俺たちの問題なんだぜ。みんながみんな好きでフクイに住んでるわけじゃねぇが、俺たち一人ひとりがフクイを形作ってるのは確かだ。迷惑かけられつつも、確実に守られて生きてんのよ。なのに、そのフクイが危ねぇってときに、ボサっとしてていいと思うか?」


 ツナギはむっつりと黙りこみ、工場長の言葉を咀嚼した。

 沈黙をサイレンの音が埋めた。

 それはフクイの悲鳴のようで。

 幼い頃、倒壊した家のまえで泣き崩れた両親の嗚咽を思い出させた。


「……俺の家、飯屋だったんッス。一階が飯屋、二階が居住スペースで、いつもウマそうな匂いがしてたんッスよね」

「はぁん。で?」

「けど、例の抗争の前ッスかね。〈クラブラザーズ〉が来て、家ぶっ潰されて金も奪われちまったんッス」

「へぇ、初めて聞いたな」

「初めて話すんで」

「そんで?」

「家族は無事だったんッスけど、まあ、途方に暮れちまってたんッスよね、うちの親。これからどうやって生きていこうって。俺も子どもながらに、やべぇよなって思ってたんッス」

「まあ、やべぇよな」

「でも、近所の人たちが助けてくれたんッスよ。またウマいメシ作ってくれ、坊ちゃんのことだって心配いられねぇって」

「じゃあ、せっかく助けてもらった命捨てんのは惜しいな。今ならまだ降りられるぜ?」


 信号はまだ切り替わっていないが、歩行者信号は点滅をはじめていた。引き返すなら今しかなかった。

 ツナギは頷いた。


「惜しいッスね。死にたくないし、怖い思いもしたくないッス。でも、いざって時になんもしないでボサっとしてるのは、もっと嫌ッス」


 示し合わせたように、信号が青に切り替わった。

 工場長はクレイジーな笑みを浮かべた。


「そうか! んなら、話は終いだ! 舌噛まねぇように気を付けろぉ!」


 いっぱいにアクセルが踏まれた!

 さらにハンドル一回転!

 トラックは交差点中央で大きくケツを振る!


「ちょ、ちょ、ちょっとおおお!」


 プウウウ! ププウウウウウウウウウ!

 けたたましいクラクションの中を、トラックは突き進む!

 対向車の間を縫い、ガードレールに火花を散らし、小さき孤島――県庁を正面に捉える!


「やっべぇ!」


 しかし工場長は、急遽ブレーキを踏んでハンドルをさらに右に切った!

 半円のブレーキ痕を刻みながら、トラックは横面をさらして滑る! その先に、煙の立ち昇る渋滞の列!


「やることやる前に死ぬのは勘弁ッスよおおおおおぉ!」


 ツナギは絶叫し頭を抱えた。

 最悪の事態を想定し、信じたこともない神に祈った。

 コンテナの横っ腹が、渋滞車に衝突した。

 次の瞬間、爆発が起こった。



――



 振り下ろされるハサミが、ナカネの目にはひどく緩慢に見えた。

 首筋を冷たい指に撫でられた心地がした。死神というものがいるのなら、これはその指先に違いなかった。


「ブジュ――」


 ナカネは祈った。

 せめて、その神が慈悲深くありますように。

 己が魂を妻子の許へ連れて行ってくれますように、と。


 ん……?


 ところがその時、ナカネは気付いた。

 カニ人間の肩越しに、放物線をえがいて落下してくる乗用車の存在に。


「――ウウウウウウウウウ!」


 その瞬間、時の流れが戻った。

 ひしゃげたドアが徹甲弾のごとく飛来し、カニ人間を吹っ飛ばした!


「ブジュアアアアアアアアアッ!」


 カニ人間は地面をバウンドしながら、カニみそをまき散らした!

 そこへ追い縋るように、乗用車が落下!


 ボゴオオオオオオオオオオオン!


 ナカネたちの背後で爆発した!

 乗用車の残骸は、水堀に降り注ぎ、水柱をあげる!

 辺りに飛沫しぶきが降り注ぐ!

 それが、ナカネの首筋を濡らした。


 その冷たさ。

 間違いなく死神の感触ではなかった。

 ナカネは我に返り、戦況を見渡した。


「ヒエッ、ヒエア、アッ……!」


 突如、飛来した乗用車に、さすがのチンピラたちも動揺を隠せていなかった。おまけに吹っ飛ばされたのは、カニ人間だ。二の足を踏むもの、後退るものが散見された。

 数もかなり減っている。

 精々、こちらの二、三倍の戦力と言ったところか。


「おらァ、ビビってんじゃねェ! 盾構えろ盾ェ! わんさかあんだろうがッ!」


 しかしカニバサミツインテールの男が叫ぶと、チンピラたちの躊躇は消え失せた。渋滞車のドアをひき剥がし、それを盾に距離を詰めてくる!


「……橋を上げろッ!」


 ナカネはメガネイターに叫んだ。

 メガネイターは、かぶりを振った。


「先の爆発で駆動部が損傷しました。橋が動きません」

「バカな……」


 ナカネは色を失った。

 さらに、そこへ同志からの報告が飛びこんできた。


「石垣の防衛、そろそろ限界です! 防衛にあたっていたメガネイターが次々落ちていきます!」


 ナカネも引金をひきつつ、人工樹林のほうを見やった。

 ちょうど樹上から撃ち落とされたメガネイターが確認できた。

 その下から、チンピラと思わしき影があがってきていた。


 一難去ってまた一難。

 戦況は、すでに次のステップへ移りつつあった。

 ナカネは一転、顔を真っ赤にして叫んだ。

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