六、日食
ハシモトは、店内に残された物資を回収していった。
チンピラの残したメリケンサック、警棒型スタンガン、へしこ味エナジードリンク――。
バールのようなものは、電車に乗るとき邪魔になるという理由で捨て置くことになった。
「……」
去り際、ハシモトは入口近くに放置されたコシノ・ヒカリを見やった。
乱戦の最中、沈黙したのには気付いていたが、その姿は見るも無残に変わり果てていた。
頭部に巨大なハサミが突き刺さり、火花を散らしていたのだ。
なにかのはずみで、不幸にもちぎれ飛んだハサミが刺さったのだろう。
ハシモトはコシノ・ヒカリに向かって手を合わせる。
生意気なロボットだったが、やはり誰に顧みられることもなく、いずれ廃棄されるのかと想うと憐憫の情がこみ上げてきたのだ。
機械に魂があるかはわからないけど、せめて安らかに……。
その時突然、コシノ・ヒカリの両目が点滅した。
「アブナ、い……ハヤ、く、しテ……」
喉の奥から熱いものがこみ上げてきた。
ハシモトは目頭に手を当てながら、コシノ・ヒカリに深く頭を下げた。
「行くぞ」
アサクラに促されるまで、ずっとそうしていた。
――
「ところで、どこへ逃げるんです……?」
アーケード街を出たふたりは、一度は大きく南下し、今は弧を描くように東へ向けて歩いていた。
片側二車線の車道には、ゆうにメーター百キロを超えた車両が行き交う。アサクラが言うには、隔絶されたフクイにしては比較的大きな通りで、
「うぎゃあああああああああ!」
交通事故も少ないらしい。
だが、ハシモトは気を揉まずにいられなかった。
〈クラブラザーズ〉を警戒するなら、より暗く湿っぽい道を選ぶほうが賢明に思えたからだ。
その懸念を見抜いたのか、アサクラが軽く周りを見渡してから、こう言った。
「とりあえず、フクイ市は離れるつもりだが、今はあんま心配すんな。フクイにだって法律はあるんだからな」
思いがけない言葉に、ハシモトは目を剥いた。
「え、法律あるんですか! みんな普通に銃器持ち歩いてるのに?」
「あるに決まってるだろ」
「司法のしの字もないと思ってました」
「あのなぁ、メガネイターの中には警察もいるし、裁判所だってちゃんとあるんだぞ」
その言葉を裏付けるかのように、パトカーが炎上車両を追い抜いて走っていった。
「……。どうして銃は問題ないんですか?」
「知らねぇ。条例かなんかだろ」
「はあ。そういえば、〈クラブラザーズ〉は銃器を使ってませんでしたね」
「あいつらは肉体的な強さを重んじるんだ。だから飛び道具は使わねぇんだよ。武器投げたりはするし、カニ人間は泡吐いたりすっけどな。あと茹でガニは死の象徴とかなんとか……とにかく、火を使うこともないんだとよ」
そういえば、カニ人間は泥をかぶったような色をしていた。茹でられる前の素ガニなのだ。
「まあ、つまりな、大通りを歩いてたって狙撃とかは心配ねぇ。法の目もあるし、表向きはあんまハデなことできねぇだろ」
「なるほど」
「フクイでは現行犯は即射殺だしな。パンプアップした奴やカニエキス所持を認められた奴は、逮捕されて拷問されることもあるぜ」
「え? アサクラさんカニエキス回収してませんでした?」
「……。それも大抵の場合すぐに殺されるけどな、危険だから」
このアホ、無視しやがった。
ハシモトは突っかかろうとするが、続く一言に慄然として言葉を失ってしまう。
「軽犯罪だとメガネ禁固刑とかもあるぜ」
「メガネ、禁固刑……?」
おぞましい響きだった。もはや先を聞くことすら躊躇われるが、アサクラの口調は淀みなかった。
「メガネを埋めこまれて牢にぶちこまれるのさ。期限を過ぎれば牢を出されるが、その頃にはメガネイターになってるって寸法だ」
「軽犯罪で、そんな恐ろしい罰を……?」
「フクイの人間でも、メガネが危険だって知らねぇ奴もいる。洗脳メガネは、比較的最近になって登場したからな。メガネを自ら埋めこむ奴もいれば、メガネ欲しさにわざわざ捕まりに行く奴だっているぜ」
「そんな……」
世も末だとハシモトは思った。
吐き気をおぼえつつも、アサクラに促され道を左に折れた。
「ん?」
すると、全面ガラス張りの建物が見えてきた。頂上付近にカラフルな字体で〈
しかしハシモトの注意は、その奥のものに縫い付けられた。
フクイ駅らしき建造物が佇んでいたのである。
西口をでて、『ボルガ』から逃げだし、ぐるりと半円を描いて――東口に戻ってきたというわけだ。
待てよ……。
ハシモトは、そこで違和感にぶち当たり、東口正面のロータリーに目をやった。
そこにはバス、タクシー、自家用車などが通行していた。
ドリフトした自家用車が今、タクシーと衝突し爆発炎上したのは、まあいいだろう。
それよりも、通行人が周囲を警戒していないのは、どういうわけか?
誰もが、東口をふさぐように
ハシモトは、はたと気付いた。
そしてアサクラを
「あの、アサクラさん」
「あ?」
「もしかして、東口には恐竜っていないんじゃないですか?」
「いないことはねぇ。まあでも、西口のフクイティタンみたいに棲みついてる奴はいねぇな」
こいつはアホか。
何でもないことのように答えたアサクラに心中毒づき、ハシモトは目つきを鋭くした。手のひらに爪をたてた痛みで、かろうじて理性を抑えつけながら。
「じゃあ、どうして西口をでる必要があったんです? 多少遠回りすることになっても、東口から出れば恐竜を避けられたわけでしょう?」
「かもしれねぇが、フクイに来た以上、恐竜と無縁ではいられねぇぞ?」
「そんなの詭弁ですよ! 無駄なリスクは避けるべきです!」
たまらずハシモトが怒鳴りつけると、アサクラは面倒そうに頭を掻き、もう一方の手で鼻をほじりはじめた。
「まあ、確かに? あの時点では避けても良かったかもな。でもよ、オレたちは今〈クラブラザーズ〉から追われる身だぜ?」
「それと恐竜となんの関係があるんです?」
もはやハシモトは引かなかった。
「話をすり替えようとしても、そうはいきませんよ」
「あー……ん。そうかぁ」
さすがに観念したのか、アサクラはようやく猜疑の眼差しを真正面から受け止めた。
ところが、次にアサクラのとった行動は、弁明でも謝罪でもなかった。
突然、挑発的に両腕をひろげ、あろうことか
「まあ、見てろや」
全能の力得たりと言わんばかりの態度に、ハシモトは憤慨するより、むしろ恐怖した。
そして、その底知れぬ狂気は、たちまちハシモトを呑み込んでしまったようだった。
「な、なんだ……?」
ふいに、辺りが
影が急速に長さを増し、建物や車の光沢が見る見るうちに萎んでいく――!
「こ、これは!」
慌てて空を見上げたハシモトは、驚きのあまり腰を抜かした。
空が
太陽が削れ、欠け、消えていく。
まるで、瞼を閉ざすように!
「に、日食だ……ッ!」
「その通りさ!」
アサクラは腕を拡げたまま天を見上げた。
その瞬間、太陽は完全に闇と重なり、光輪の翼をひらいた。
それは、そのままアサクラの背景となり、後光となった。
「アサクラさん、あなたは、もしかして……」
ハシモトの目には、その姿が真実、全能の力を得た神のように見えた。
いや、神のよう、ではないのだろう。
自らの意思で日食を起こせる人間などいるはずがないのだから!
「フ、フクイの神様……!」
「あん?」
ところが、フクイ神にあるまじきマヌケな声があがった途端、フクイの街並みは色彩をとり戻しはじめた。
天の眼がまぶたをもち上げ、徐々に明るみをとり戻していく。
太陽を覆った影は、そのまま空に居残って、緩慢と東の方角へ移動していった。
「まさか……」
その時ハシモトは、先程までとまったく別種の恐怖に頬を震わせた。
察してしまったのだ。
あれはフクイに普遍的に存在するものなのだ、と。
アサクラは神ではないのだ、と。
「ウ、ウゥ、ウゥン!」
ハシモトはこれでもかと咳払いをして、平静を装った!
「すみません、すごい痰が絡んじゃって。すごい痰なんです、はい。えっと、それで? ハハ、さっきのあれは何です?」
急にニコニコしはじめたハシモトを気味悪がったのか、神と疑われた男は目をすがめ、眉をひそめた。
「なんだ、お前……」
「いいから教えてくださいよ! 気になるじゃないですかぁ!」
そこに異様な気迫を湛えた笑みが迫って、さすがのアサクラも屈したようだった。わかったわかったと肩を押しやって、とうとう答えた。
「あれはな、天空城〈オオノ〉ってんだ。毎日このくらいの時間になると、お天道様と重なって日食を起こすのさ」
「なるほど! ハハ、そういうことですか!」
なにも納得できるところはなかったが、ハシモトは異様なテンションのまま、ぶんぶんと頷いた。
アサクラは、呑みこみの早い生徒には寛容らしかった。感心したように腕を組むと、これ見よがしに胸を張った。
「最初の質問に戻るが」
それから、ぐいと顔を寄せてきた。
「あれがオレたちの最終目的地だ」
「ああ、あれが、ってぇ、え? えっとぉ……ん?」
ハシモトの底上げされたテンションは、そこで元の段階まで叩き落された。頭のなかが疑問符でいっぱいになる。〈オオノ〉を見上げ手を伸ばしてみた。当然、届くはずもなかった。疑問が口をついて出た。
「……でも、あれ空に浮かんでますよ。どうやって?」
「恐竜だ」
フクイの先生はニコリともせず答えた。
頭のなかの疑問符が回りだした。
「プテラノドンを手懐けて飛ぶのさ」
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