32話 秘密の共有

 住宅街の中にある小さな公園から、駅への道中。

 佐助は依織を無事に駅まで送り届けるべく暗い夜道を静かに歩く。


 灰色のアスファルトの道に疎らに配置された電灯は頼りなく、空には三日月と弱々しく光る小さな星がいくつかあるのみだった。

 電灯はあまり整備されていないのだろう未だ蛍光灯によるもので、中には寿命が迫っており点滅しているものすらある。


 そんな道で依織は佐助の隣を離れずに歩いていた。


「で、結局佐助っちが隠してることって何?」


 単刀直入に依織が問う。

 佐助とガンマが会話した内容――その中でも取り分け忍者とヤクザという言葉について言っているのだろう。


 ヤクザは依織の身内、あの場にいた日本人二人。

 では忍者は?

 そう問われれば、佐助に答えられることはなかった。


「……何も隠していない」


 もちろん隠し事をしているのだがそうとも言えず、早く依織を駅に送って別れたい。

 佐助の頭の中は今はそれで一杯だった。


「それにしても佐助っち、歩くの早い〜」

「……すまん」


 気持ちが行動に出てしまったのだろう、隣を歩く依織から指摘されてしまった。

 気は逸るが送り届けると言った以上、依織を置いていくわけにもいかない。

 佐助は歩調を緩めて再び歩きだす。


 その様子を見て依織はやれやれといった様子で肩を竦めた。


「それじゃあデートする時女の子に嫌がられるちゃうよ」

「前にも言ったが、俺にその手の欲求はない」

「クロエの告白を放置してる佐助っちがそれを言うのかい?」

「うっ……」


 痛い所を突かれて佐助の背中に痛みが走る。


 そうは言っても断る機会がなかったのだ。

 言われたその場では混乱していたし、その後も周りに人がいた。

 クロエは公衆の面前で告白してきたわけだから佐助が断るのも人目を気にする必要はないかもしれない。

 しかし、残念ながら佐助にそこまでの度胸はなかった。


「……機会があれば断りの旨を伝えておく」


 佐助にはそう言うのが精一杯だった。

 わざわざ依織に言うことでもないが、言葉にしなければ決意も揺らぐ。


「ま、クロエは一回断られたくらいじゃ諦めないと思うけどね」

「……なに?」

「なにせ本人が言ってたし。愛されてるね〜このこのぉ」


 依織が冗談めかして脇腹を肘で突くが、佐助はそれを笑う気にはなれなかった。


「一体クロエに何をしたらこんなことになるのよ」

「まったく心当たりがないのだが……」


 むしろ嫌われる心当たりしかないくらいだ。

 まさか敵意と殺意を向けた相手に好意を持たれることになろうとは夢にも思わない。


「はぁ、そんなんだからレイドボスって言われるのよ」

「れい……なんだそれは」

「レイドボス。ソシャゲやらないの? ま、それはこっちの話だからいいや」


 知らない言葉に佐助は戸惑う。

 どうやらゲームの話らしい。

 佐助はスマートフォンでゲームを遊んだことはなくレイドボスなるものは知らなかった。

 それでもいい意味ではないことだけは理解できたが、依織もこれ以上喋るつもりもなさそうなので追及しないでおく。


「それよりもさっきの話。佐助っち、あの外国人の人が言ってた忍者ってなんのことか分かる?」

「分からん。しつこいぞ」


 こうして白を切るのは何度目だろうか。

 追求される隙を作ったことには反省せざるを得ないが、だからと言って何度も同じ質問に答えたいわけではない。


 依織は佐助の変わらない回答に頬を膨らませた。


「だって気になるんだもん」

「過ぎた好奇心は身を滅ぼすことになる」

「それって知ってるって言外に言ってるようなものなんですけど」

「……これまでの千浪の行動を見てそう思っただけだ」


 実際、逢坂の件も今日の件もそうだろう。

 今日の揉め事の原因は知らないが、依織は本質的に無関係なはずだ。

 近しい人間にヤクザがいるというだけで依織本人は部外者でしかない。


「細かい事情に首を突っ込むつもりはないが、裏の世界の揉め事は穏やかではないことの方が多いだろうに」

「今日のは……まぁ、例の売人関係よ」


 過去に遥香を襲おうとした男、逢坂は薬物に手を出していた。

 依織はその売人を見つける手掛かりがほしくて逢坂のことを調べていたらしい。


「そいつはこの辺で活動している外国人なんだってさ。で、うちの奴らがいたからもしかしてって思って後を追ったんだよね」

「千浪にはできることの方が少ないだろう」

「うぐ……それはそうなんだけどさ。なんというか、心配で」


 場合によっては足を引っ張る可能性の方が高い。

 見上げた行動力ではあるが、実力が伴わないなら残念ながら意味もない。


「家の者を大事に思うなら、自分が相応の力をつけるか適切な者に頼ることだ」

「……はーい」


 佐助の忠告に依織は肩を落としつつも肯首する。


 しばらく無言で歩いていると、ふと依織が足を止めた。

 佐助はそれに気付き二歩ほど進んだ所で足を止め、依織の方へと振り向く。


「……佐助っちは、私が頼ったら助けてくれる?」


 依織は街頭を背にしており、その顔に影が差しているように見える。

 また、珍しくその顔に表情がない。


 佐助は遥香の護衛を任されている忍者であり、その任務を疎かにするつもりはない。

 しかし、普段と違う依織に少し調子を崩されて突き放す気にもなれなかった。


「……俺のできる範囲で手伝おう」


 佐助は頭を掻きながら、そう答えた。


 この答えを聞いた依織の表情は徐々に崩れていき、口どころか目さえも三日月形に近づいていく。


「んっふっふ〜。言質取った!」

「お前な……」


 どうやら佐助は一杯食わされたらしい。

 依織は兎のように一飛びすると、懐に潜り込んで佐助を今度は屈託のない笑顔で見上げる。


 そして、佐助が予想だにしていないことを口走った。


「頼りにしてるよ、忍者くん!」

「なっ……」


 想定外すぎるその一言に、佐助の顔は不覚にも驚愕に染まってしまう。


「あーその反応。やっぱり佐助っちが忍者なんだぁ」


 依織のこの言葉で、鎌をかけられたことにようやく気付く。

 一杯食わされる所の話ではない。


 迂闊な言動をした自分に腹立たしく思うものの、今はそれは置いておく。

 それよりも、今は佐助を騙した目の前の女だ。


「そんな怖い顔しないでよ。だってあの場にいる忍者候補って佐助っちしかいないじゃん。私にだってそのくらいは分かるよ」


 依織に言われ自分の顔が険しくなっていることに気付く。

 しかし、だからといって気を緩めるつもりもない。


「忍者とかさむらいってまだいるって噂も聞いたことがあるし、佐助っちが只者じゃないってことは元々知ってるからね。そりゃあ、本当にいるとは思ってなかったけど。まさかって感じ」


 裏社会では忍者の存在までは秘匿されていることではない。

 家がヤクザの依織がその存在を知っている可能性は確かにあった。


「ああ、別に言いふらすつもりはないよ。一応、私もそういう世界のことは少しかじってるからね」

「それなら知らぬ存ぜぬでいればいいだろう」


 過ぎた好奇心は身を滅ぼす。

 先ほど佐助が依織に忠告したことだ。

 下手に足を突っ込めば怪我をするだけでは済まない。


「うーん。だって、嬉しかったからさ」

「……何がだ」

「私の秘密を知った上で、手伝ってくれるって言ってくれて」


 依織の秘密――家がヤクザであることは確かに知っている。

 だからといって、それが理由になるとは佐助には思えなかった。


「それと俺の詮索をするのになんの関係がある」

「それは謝るよ。ごめん。なんていうのかな、秘密の共有? みたいな感じ」

「全く理解できん」


 互いに弱みを握って何か利が得られるなどという発想を佐助は持ったことがない。


「でもさ、佐助っちも内心バレてるかもってちょっと思ってたでしょ? 佐助っちに変に思われるより、私からしたらオープンな方がよほどいいし」

「それは……確かにそうだが」


 佐助からしても、正体を知っているかもしれないと未確定の情報であるよりは、知っているという確定情報の方が扱いやすくはある。


「佐助っちが私のこと助けてくれるなら、私だって何か協力できるかもしれないし?」

「あのな……」


 依織はそう言うが、佐助にはそう思えなかった。

 少なくとも裏社会の仕事で依織が佐助に手伝えることはない。

 依織の家の者達にも頼るつもりはない。


 裏社会の仕事は子どもの遊びではないのだ。

 依織の認識の甘さに佐助は溜息を漏らしそうになるが、依織の次の言葉は予想の斜め上だった。


「例えば、恋愛指南とか」

「何を言ってるんだお前は」


 確かに佐助は男女の機微に疎いが、教えてもらいたいとまで思っていない。

 それどころか興味もないのだ。

 これは依織にも先ほど言ったばかりである。


「あのね。断るにしても付き合うにしても、相手の気持ちはちゃんと考えないとダメよ? 恋愛に興味がないってだけじゃ済まされないんだからね」

「むぅ……」


 依織が無遠慮に佐助の顔に人差し指を向けるので、佐助は思わずのけぞってしまう。


 しかし悔しいが一理ある。

 誠意には誠意を返すのは当然のことだ。


「どうせ今まで浮いた話とかなかったんでしょ? 修行だー鍛錬だーとか言ってそうだもん」

「それは……」


 図星である。

 事実、そこに任務と勉強が加わっただけで今も似たようなものだ。


「確かに私は忍者としての佐助っちの助けにはなれないと思うよ。言うて恋愛も経験豊富ってわけでもないし、勉強もできない。でも、女の子の気持ちなら分かる。私も女の子だからね」


 とうとう佐助はぐうの音すら出なくなってしまう。

 確かにこの二ヶ月程で、任務中に困ったことと言えば男女の機微に関することだらけだ。

 依織の言うことは正鵠を射ている。


「そんなわけで、困ったことがあればこの依織ちゃんに任せなさい!」

「勝手に決めるな……」


 反論はできないが、話が進んでしまうのも面白くはない。


「いいじゃん別に。せめてものお礼みたいなもんよ。何もなければ相談してくれなくてもいいし。そこは互いに一緒でしょ?」

「そうは言ってもだな」

「男がグチグチ言わないの! 別にデメリットがある話じゃないんだし。佐助っちのそういう所、男らしくない!」

「うっ……」


 佐助にも男としての矜恃くらいはある。

 反論する材料もなく、ここまで言われてしまえばもう素直に白旗を掲げるしかなかった。


「……まぁ、お手柔らかに頼む」

「素直でよろしい」


 佐助の回答に依織は満足そうに頷く。


 こうして、何故か佐助は依織に恋愛指南を受けることになるのであった。


「ひゃっほーう! これで私もレイドボスに参戦だぜー!」


 そして、とぼとぼと歩き始めた佐助の前で、依織は小躍りしながら宣った。

 その様子を見て、佐助は嫌な予感を感じるのだった。

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