第6話 私の名前

「私は一人でも大丈夫です。だからアダム様はお仕事をなさって下さい。」


お仕事が有るのは当たり前なのに、私がすっかり甘えてしまったから、アダム様は仕事に行けなかったんだ。

私はもう、自分の事は自分で出来ると思います。

だからいつまでもアダム様に迷惑を掛ける訳には行かない。

アダム様には早くお仕事に戻っていただかなくちゃ。


「ジーク!余計な事を言うな。」


「ああ、申し訳ありません。あなたが悪い訳では無いのですよ。

ただ、今回は健康上の問題で待てをくらった狼が、獲物の周りをウロウロするぐらいしかできず、欲求不満を溜め込んで、頭が使い物にならないだけですから。」


「え……?」


「いつもでしたら、たとえ在宅でも的確な指示が出せる人なんですが、

今はすっかり、残念な狼に成り下がってしまっているだけです。」


それって、えーと、あまり意味が掴めないけれど、

雰囲気的にやっぱり私のせいなんじゃないかな…?


「狼とは何だ狼とは。上官に向かって。」


「狼ではダメですか?では肝っ玉が小さいネズミにしますか?どんな動物に例えてほしいか言ってもらえれば考慮しますよ。

しかしそんな事に文句を言う暇が有ったら、さっさとお話を始めていただきたいんですけどね。」


そう言うと、ジークフリードさんは扉に行き大きく開け放った。


「さあ、ベッドなどでは話は進まないでしょ?

お加減もよさそうですし、こちらのソファでお話なさって下さい。」


「ちっ!」


するとアダム様は、薄い肌掛けのまま私を抱え上げ、隣の部屋へと向かった。


「あの、私歩けますから、下ろしていただけますか?」


いつまでもこんなに大事に扱われているから、

アダム様もいつまで経っても、私の為にお仕事に復帰できないんだ。


「無理をしては駄目だよ。何より俺がこうしたいのだから。」


やはりアダム様に大切にされる事は嬉しい。

だけど、ジークフリードさんがいるから恥ずかしいんです。


「すでに新婚のようですね。おめでとうございます。」


「何とでも言え。」


アダム様、とてもクールでかっこよく見えるけど、お顔がまた百面相っぽくなってますよ。

私はちょっと面白くなって、アダム様の頬にムキュッと人差し指を押し付けてみた。


「悪い子だ。」


私の指がアダム様に食べられた。

くすぐったくて、体がピクピクしてしまう。


「ンッ、ンンッ!」


そんな時、小さな咳払いが聞こえた。

キャ―、ジークフリードさんがいたんだっけ!


「そんな事ばかりしているからお話が進まないのですよ。

このエロ狼殿、さっさとして下さい。」


「五月蠅い!」


そう言いながらもアダム様は私を隣の部屋に運んでくれた。

何やかや言っても、お二人は仲が良さそうだな。


アダム様は、私を抱えたままソファに腰を下ろし、

肌掛けで丁寧に包みなおしてくれた。


「重くありませんか?」


人一人を膝に抱いているのだ。かなりの負担が掛かるだろう。


「全然。」


だけどアダム様は、余裕の笑みを浮かべそう言った。

ぐるっと見渡せば、そこは広くて大きい豪華な応接間。

でも私が一番目を引いたのは、大きな窓と、そこからの景色。

この部屋からも海が見えるんだ……。


「さて、まず名前の件だけど、いつまでも“君”では他人行儀で落ち着かない。

早く名前で呼びたいのだが。何か思い当たるものはあったかい?」


何となく胸に響くものはいくつかあった。でも、それを口に出すのが何故か怖い。

だから…。


「いいえ、あまり思い出せなくて……。でも私考えたんです。

もしアダム様のご迷惑でなければ、このままでもいいかなって思うんです。

無理に思い出さなくても、今のままでもとても幸せだから。」


「俺もとても幸せだ。愛しているよ。」


そう言って、またギュッと私を抱き締め、キスしようとしてくれる。

うん、私はアダム様のキスが好き。



「ですから、いい加減にして下さいと言っているのです。」


そう言われ、目の前に湯気が立ったティーカップが差し出された。

いつの間にか、いなくなっていたジークフリードさんが、

いつの間にか、お茶を入れて下さっていたのですね。

彼は、すごく出来る人って感じがします。


「私が少しでも目を離すと、とたんにこれですか。

まあ仕方がない事とは言え、

これからは少将殿ではなく、ずっとエロ狼とお呼びしましょうか。」


「この子に触れることが出来ないのなら、エロ狼だろうが何だろうが構わない。」


「ほう、あの頑固で堅物だったあなたがプライドすら手放しましたか。

運命の人とはすごい物なんですね。少し憧れます。」


え、アダム様って頑固で堅物なんですか?

私にとっては、とても優しくて、頼りになる人としか思い浮かばないのに。


「とにかく、エロ狼殿は済ませたと思いますが、あなたはまだ朝食を召し上がって無いでしょう?

簡単なものを用意しましたから、お話をしながらでも召し上がって下さい。」


そう言いながら、サンドイッチもテーブルに並べてくれた。


「さて、まず名前からでしたね?

私はその隅の椅子で空気になって居ますのでチャッチャと片付けてください。

いいですね。空気になって、い、ま、す、からね。エロ狼殿。」


そう言うと、自分のカップを手に部屋の隅にあるサイドテーブルのセットに移動していった。


「どうぞ。」


椅子に腰かけたジークフリードさんが、アダム様を促す。


「わ、分かった。だが、まず少しでも食べた方がいい。」


そう言いながら、アダム様がサンドイッチを一つ手に取り、私の口元に差し出した。

これって、いつものあれですよね……。

まあ、今更抵抗しても無駄な事は分かっていたので、私は大人しく口を開け、

アダム様の手ずから私の口にサンドイッチが運ばれるのを待った。ア~ンと…。

結局私は思ったほど食欲がなく、サンドイッチを一つしか食べられなかったので、

もう一つは、私がアダム様にア~ンをして、とても喜んでいただきました。



「さて、では名前の件だが、君が思い出せないのであれば、

この際新しい名前を付け、戸籍を作ってしまおうと思ってね。どうだろう。」


「うれしいです。私も、いつも“君”ではちょっと寂しかったから。

アダム様が付けて下さいますか?」


「俺でいいのか?自分の好きな名が有れば付けてもいいんだぞ。」


「いえ、アダム様に付けてほしいんです。

何て言うか、名付け親と言うか。」


「………。」


「え、いえいえいえ、違います!言い間違えました!

私はアダム様の物って感じで嬉しいんです。」


「よかった、一瞬どうしようかと思った。」


隅の方で、押し殺したような笑い声が聞こえたけど、

ジークフリードさんも呆れちゃいましたよね、きっと。

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